林檎に牙を:全5種類
「開けてはならない」は誘惑の言葉。
少しだけと触れた瞬間、飛び散った物はまるでガラスの破片。
深く突き刺さって倒れ伏せば、後悔ばかり巡る。



草木も眠る丑三つ時、アパートに並ぶ窓は何処も頑な。
カーテンに閉ざされて月光すら締め出す。
いつまで経っても灯りが消えないのは一室のみ。
此処の住人はいつも夜更かし。
眉間に皺を寄せてパソコンの前、黙々と作業を続ける文江の所為。

「……眠いなら寝室行けば?」

黒縁眼鏡で鋭くなった文江の眼が此方を刺し、一言。
すぐ後ろのソファーで俯せのまま動かない絵梨は少しだけ怯んだ。
思わず目が覚める、とでも表すべきだろうがそんな事も無く。
眠くてそうしてる訳じゃないのだ、元から。


折角泊まりに来ているのに長い放置状態。
構ってくれても良いと思う反面、それでは本末転倒。
本当は文江を手伝う為として此処に居るのだから。

パソコンのモニターに映る、一糸纏わず絡み合う男女の絵。
線を走らせる文江は成人向け漫画家。
昼夜逆転で描き続けて睡眠も食事も疎かになりがち。
今は若くて体力があろうと、絵梨が世話をしなければ倒れるかもしれない。
頼まれた訳でもなく好意のつもりでの事。


「眠くない……、落ち込んでるだけ。」
「自分から訊いたクセにか。」

絵梨の返答は短くとも充分。
原因はほんの少し前まで遡り、文江との会話。

元々、漫画が趣味で知り合ったのだ。
同年代と云う事もあって好きな作品や価値観も合った。
そして深く狭い交友関係を好み、異性が苦手。
内向的な仲間だと思って絵梨は安心しきっていたのに。

一方の文江は「人は人、自分は自分」の信条。
だから、何の気なしに零した事だった。
絵梨と知り合う前の昔々、此処には彼氏と住んでいたと。
しかし、そんな初めての恋人と別れた日も昔々。
あれ以来、恋愛から遠退いて独り暮らしの方がずっと長くても。

知らなきゃ良かった、と絵梨を後悔させた。
「似た物同士」と胡座をかいていた処女にはショックな事実。


「あたしが喪女じゃなかったからって、勝手にヘコむなよボケ。」

きつい眼鏡に加え、邪魔な髪をヘアバンドで留め上げた格好。
仕事時の文江は年齢より老けて見える。
ただでさえ口も悪いので、苛つけば更に尖った棘。

恋人なんて居る訳ないと、無意識で見下していたのかもしれない。

今まで絵梨が見ていたのは目の前に居る文江ではなかったのだ。
頭の中で作り出した、都合の良い偶像。
そうして勝手に膨らんでいたイメージが音を立てて崩壊する時。
同時に、自分の醜さとも向き合う事になったのだ。

あの言葉が鍵となって開け放たれてしまった。
押し込まれていた、黒くて粘着いた感情。


「別に、あたしは知ってたけど。優越感抱かれてる事くらい。」
「……えっ?」

頬杖をつく背中で、文江が飽くまでも冷徹に吐き出す。
利き手と目をパソコンに集中させたまま。
見られてないと判っていても、絵梨は思わずソファーの上で正座になる。
居心地の悪さに息苦しくなって堪らない。

「そこを受け入れた上で友達になろうと頑張った、けど。
 でも、やっぱり無理か……絵梨が自分を取り繕うばっかのうちは。
 あたし自分の事くらい出来るし、もう家に来なくても良いから。」

次の声は一息で、まだ言葉足らずの部分は幾つも。

それでも充分に沁みた。
絵梨の方を向かない理由は、涙を堪えているからだ。

聡い文江はよく見ていたのだろう。
絵梨の中に箱がある事も、其処に何が封じられている事も。
だからこそ、知らぬ間に何度も傷付けていた。

要らないとまで言われてしまっては立ち上がれず。
いっそ消えてしまいたい。


「それだけじゃない、よ……」

呟きにも満たないかもしれない絵梨の声。
詰まって乾いた喉では、そう口にするのもやっと。
けれど、伝えなければ終われない。

「文さんが、今描いてる漫画みたいな事してたってのに嫉妬してた。」
「お前、処女って事にコンプレックス持ちすぎ……」
「いや……、元カレに対して。」
「…………あぁ?」

噛み合わなかった会話、歯車が不可解な音を立てた。


胸の中を重苦しくしていた物の名前は、嫉妬。
それに気付いたら、今まで描かれてきた漫画が見ていられなくなった。
情欲剥き出しの獣じみた、あれやこれ。
過去の文江と顔も知らない男の姿が重なって。

妄想ばかりが身勝手に駆け巡る。
絵梨がどれだけ一緒に居ても、女と云うだけで叶わない事。

これだから面倒くさい、処女の恋心。


「何で、そのタイミングで告白すんだよ……」

モニターに描き出される色欲も途中。
仕事を放り出した先生は、とうとう頭を抱えてしまった。
ヘアバンドと眼鏡を支える耳まで真っ赤に。

抱き締めてあげたくても、伸ばした絵梨の腕は届かない。
正座で痺れた脚では何処へも行けず。
一歩踏み出せたらお慰み。
此れが「希望」ならば、痛みなんて耐えられるだろうか。


*end



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2014.04.30