林檎に牙を:全5種類
3月から公開する「林檎に牙を」の先行バレンタイン小説です。
世界観同じでレギュラーキャラも出るけど、独立した読み切りとして。
踏み固められた雪を越えてきたブーツにも春が来る。
ショッピングモール内は、一足先に季節が巡った暖かさだった。
自動ドアのガラスを隔てただけで別世界。

こびり付いた真白も溶けて、濡れた足跡が床に続く。
エスカレーターを上がればすぐ其処。

豪奢なフリル、刺繍の花々、シフォンにリボンに……
いつも此処だけは色彩豊かな花園を思わせた。
可愛さもエロスも思いのままに、女性の身体を甘く飾り立てる。
ランジェリーショップ「LuLu」は男子禁制区域。


「今日来てくれたら良い物貰えるんだが、如何かな?」

此処でバイトしている学校の友達が、こっそり椿に教えてくれた。
当人は休みの日なので居ないものの。
入り口には濃桃のベビードールのマネキンと、それからボード。
良い物、とは恐らく此れの事だろう。
「1,000円以上お買い上げの方にチョコレートプレゼント」の手書き文字。

今、ランジェリーショップと並ぶほど華やかな空間はもう一つある。
乙女達で賑わうバレンタインチョコ売り場。
用が無い椿は素通りしてきたが、例年通り恋の祭典は桃色。

気になる人、なら居ない訳でもないのだが。
巡らせた視線の先、密かに椿の心臓が跳ね上がった。

溢れそうな明るい色に埋もれず、漆黒が一滴。


艶めく黒髪は頬の線を掠めて零れる長さ。
色白の細面を凛と際立たせ、伏せ気味の吊り眼に色香を混ぜる。
淑やかに纏うのはロゴ入りの桜色のブラウス。
細身の黒いパンツの長い脚。
甘ったるい装飾ばかりの中、余計な物が何も無い制服は却って映えた。
人並みの自分からすれば眩しいくらいの存在。

以前から店に来るたび、無意識に姿を探してしまう店員。
ポイントカードまで作って通っているのも彼女の影響。

ふと冷静になると、こんな自分が凄く妙な事も解かっているのだが。
年上に違いないだろうけれど、椿だって今年で二十歳。
大人の女性に憧れる青い年頃でも無いのに。
あまりに綺麗で、すっかりファンになってしまっていた。


「いらっしゃいませ、こんばんは……」

あまり大きい声でなくても、柔らかな低音は心地良い響き。
近くで見ると、意外と色素の薄い琥珀の瞳。
涼やかな表情を解いて微笑まれる。

慌てて会釈を返すと、いつも胸元の札に眼が行く。
少し珍しい名前で「稲荷」さん。
吊り目に細い容姿は確かに黒い狐と云ったところか。
椿が知っている個人情報なんて此の程度。

見惚れてしまって思わず緩む頬。
いざ彼女の前に出ると、どうしても表情が締まらない。

「新作、可愛いですよね……お探しのサイズはありますか?」

店内の一角、綺麗に並べられた商品の前。
チョコレート色のレースに、ふんわりカップを包む乳白のシフォン。
お菓子を思わせる甘いデザインのセット。
下着なんて間に合っているのに、思わず手に取ってしまった。

そんなにもチョコレートが欲しいかって?
いや、そもそも友達の言葉こそ店に行く為の口実に過ぎず。
ただ来たかったのだ。

「試着しても、良いですか?」
「はい……ハンガー外しますね、此方へどうぞ。」

買い物なら靴下だけでも良かった筈なのに。
けれど、レジを通ってしまったら其処で終わってしまう。
こんな遣り取りも出来ない。



ブーツを脱ぎ捨てると、縮こまっていた爪先がカーペットを踏む。
白いコートをハンガーに掛けた試着室で椿が息を吐く。

外気から身を守るストールもニットも、此処では不必要。
温度差で鳥肌が立っても一瞬の事。
肌に馴染んだブラを畳んだ衣服の上に置き、新しい物を着けてみる。
向き合う鏡の中にはシフォンを装う椿。
乳房を柔らかく包み込んで谷間を作る、可愛らしいデザイン。

「如何ですか……?」

鍵も掛からない布一枚、不意に長身の影。
声を掛けられて椿の肩が跳ねる。
暫し迷って、深呼吸してから再び口を開いた。

「あのっ、自分じゃぴったりか判んなくて……、見て貰えますか?」
「そうですか……、それでは失礼します……」

軽くカーテンが引かれ、琥珀の眼と視線が交わる。
閉ざされれば試着室に二人きり。


至近距離で屈むと音も無く黒髪が零れる。
店員だけに慣れているのか、乳房に触れていても変わらない表情。
椿の方はくすぐったくて妙な声を呑み込むのに必死でも。
先程の寒さも何処かへ消えて、今は熱いくらい。

正直、随分と思い切った発言をしてしまった。
こんな美人に肌を見られるなんて羞恥以外の何者でも無いのに。

レースと素肌の間を滑る冷たい指先。
骨っぽさがあっても、確かに女性特有のもの。
薄い化粧の匂いを意識すると、心音が全身に響きそうで震える。

「ああ、大丈夫ですね……きちんと着けられていますよ。」
「あ……っ、はい。」
「もう少しゆったりめが宜しければ、1サイズ大きめご用意しますけど……」
「いえ、此れで良いです、買います!」

下着姿よりも少し裏返ってしまった声に赤くなった。
元からあまり達者でない口が恨めしい。
打ち解けた間柄なら兎も角、緊張すると上手く喋れなくなる。



他に客が居なくとも、いつまでも店員を独占している訳にも行かない。
手早く衣服を直してレジの前で財布を開く。
代金と、忘れずにカードも。
もうすぐ一杯になるポイントは通い詰めた物的証拠。
形として残っている物をこうして見ると、椿としては妙に気恥ずかしい。

「お品物です……それと、サービスのチョコどうぞ……」

商品の袋と一緒に手渡されたのは、何とも愛らしい包み。
掌に収まる大きさの箱に赤いリボンの蝶々。
1,000円のサービスなら、てっきりチロル程度だと思ったのに。
気前が良過ぎではないだろうか。

「えっ、こんな立派なの……、貰っちゃって良いんですか?!」
「はい……八木さん、常連さんですし……」

顔を覚えてくれていた事と、呼ばれた事に驚いてしまった。
しかし椿の眼が丸くなったのも一瞬。
カードに記された名前とポイントを見たのだ、と気付く。

「此のトリュフ、本当に美味しいですよ……私も好きです。」

彼女は知らないだろう、密かに椿が浮き沈みした数秒間など。
何処か照れたような微笑に溶けて消された。
此の表情が営業ではないと思いたいのは、勝手だろうか。


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2012.02.14