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「えっと、隣に越してきた東です……宜しくお願いしますね。」
一目惚れと云うのは、名曲との出逢いにも似ている。
其れは魔法の掛かった音。
前奏から惹き込まれて、ずっと耳を離れない。
岸透子にとって早苗はそんな存在に思えた、同性であっても。
新しい季節の始まりに。
長身ながら和柄のワンピースに包まれた曲線は女性的。
バレッタで纏められた黒褐色の髪に、色素の薄い肌。
唇から覗く大粒の前歯が目立ち、何処かウサギを思わせて愛らしい。
顔立ちも雰囲気も、柔らかで優しげ。
女の子同士の恋の歌なら幾つも作ってきた。
しかし理解があるとは云え、透子自身が惹かれる事になるとは。
性癖と作品が必ずしも直結するとは限らない。
もしもそうなら、成年誌の漫画家は全員性犯罪者になってしまう。
ただ、此の感情は曲に対するものと近い。
どれだけ夢中になろうとも、自分だけの物には出来ず。
留めておけなくても構わない。
声一つで、甘いものが広がった胸が躍る。
「……はぁ?お菓子食べてるからでしょ、ソレって。」
鼻歌混じりにチョコバーを齧っていたら、横から水を差された。
お陰で良い新曲が出来そうだったのに。
反論も面倒なので溜息で済ませ、パソコンのモニターから視線を移す。
素っ気無い声の主は爪を磨いていた由紀。
同居人、否、正しく表すれば居候。
互いの姉と兄の結婚により、幼馴染とは義理の姉妹になった。
とは云えど遊んでいたのも幼い頃まで。
中学校では既に別々の世界を築いて、細く長くの付き合い。
派手で男受けする由紀に、浮世離れした雰囲気の透子。
そもそも、全く違うタイプなのだから仕方ない。
大人になろうとする気持ちを逸らせる思春期。
友達より先に経験を済まそうとする空気の中、由紀も居た。
片や、作曲が好きな透子の恋人は電子の歌姫。
学校で喋る数人が居れば良く、興味以外は無関心を貫いてマイペースに。
進んだ道は裁縫の趣味でも。
車もあるので、家から通えない事もない距離の服飾の学校。
一人暮らしを選んだのは、望んだから。
其処に由紀が尋ねて来たのも今更だが、理由もあるにはある。
彼女もまた結婚を控えているのだ。
地元に居られるのも僅か。
数日だけでも、彼も親も居ない自由な時間が欲しいとの主張。
それを考慮したとしても、何故此処なのだろうか。
他に頼る友達だって居そうなものを。
昔の縁と家族の仲と云う事で承諾したものの。
「それよかお腹空いたんだけど、夕飯どーすんの?」
「あぁ、行ってみたいお店あるから其処で良いかな。」
何となく不遜な由紀の物言いにも、透子の返事は波風立たず。
刺さらない棘は簡単に受け流される。
居候なら作れと命令しても罰は当たるまいに。
尤も、由紀の性格上からして素直に従うとも思えないが。
そして、必要以上に他人へ踏み込まないのが透子の性格。
だからこそ此の数日間は平和に過ぎている。
同じ部屋で生活しようとも干渉せず、会話も多くない。
暦の上で春を迎えても夜は冷え込む。
外気の厳しさに備えて厚手のストールを肩から羽織った。
合わせ目は結ばず、蝶々のブローチ。
エスニック調の衣服を好むので、ゆったり身体を包まれる形の恰好。
故に尚更、由紀が薄着に見えてしまう。
デニムのホットパンツから突き出した脚はストッキングのみ。
寒そうだと思っても口に出さず。
此の場合の心配は寧ろ余計なものだと思う。
好きで着ている物に、他人があれこれ言うべきではないと。
「お店って何処行くわけ?」
「少し遠いけど「四ツ葉」って所、和風レストラン。」
「ふーん、何でも良いけど。」
「鶏じゃがが美味しいんだって、あと……、あっ!」
鍵を閉めながらの玄関先。
金属音を確かめた後、弾かれる勢いで透子が顔を上げた。
廊下の向こうから近付く足音と、長身の影。
「お帰り、早苗ちゃん。」
隣とは云え、思いがけず出会えて嬉しくなる。
掛ける声も無意識に緩んで甘く。
ただいま、と返される早苗の笑みは今日も柔らか。
友達に対してのものと解かっていても可愛くて仕方ない。
出逢って二週間ほど、顔を見るだけで夢中なのは恋の始まり。
「透子ちゃんは出掛けるところ?」
「そうそう、こないだ教えて貰ったお店行ってみようかと。」
「え、本当?!何か嬉しいな。」
「うん、気になったからネットでも見てみたら行きたくなって……」
唐突に、背後から腕を掴まれて途切れた会話。
透子が振り向くと、不機嫌な由紀の眼。
取り残された所為だけでなく。
「行くなら早くして、ここ寒いんだけど。」
ごめんごめん、と軽く頭を下げた刹那の事だった。
何処か意味ありげに笑った由紀。
気まずげに軽く瞼を伏せた早苗。
向き直ろうとした一瞬、それは確かに。
透子を挟んで交差した視線、淡くとも見逃さなかった。
二対の眼に混ざった色。
「…………」
それじゃまた、と部屋へ引っ込んだ早苗に手を振って。
隣室の扉が閉ざされる金属音。
其れは、冷たい廊下に言い知れぬ不穏を残して消える。
「……君らって、何か変な空気。」
「別に……、運転が透子ならあたし呑んでも良いでしょ?」
一歩先、顔の見えない由紀は既に違う話題。
頷き返しても曖昧に。
床を叩く靴音二つ、それぞれ違う重さ。
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一目惚れと云うのは、名曲との出逢いにも似ている。
其れは魔法の掛かった音。
前奏から惹き込まれて、ずっと耳を離れない。
岸透子にとって早苗はそんな存在に思えた、同性であっても。
新しい季節の始まりに。
長身ながら和柄のワンピースに包まれた曲線は女性的。
バレッタで纏められた黒褐色の髪に、色素の薄い肌。
唇から覗く大粒の前歯が目立ち、何処かウサギを思わせて愛らしい。
顔立ちも雰囲気も、柔らかで優しげ。
女の子同士の恋の歌なら幾つも作ってきた。
しかし理解があるとは云え、透子自身が惹かれる事になるとは。
性癖と作品が必ずしも直結するとは限らない。
もしもそうなら、成年誌の漫画家は全員性犯罪者になってしまう。
ただ、此の感情は曲に対するものと近い。
どれだけ夢中になろうとも、自分だけの物には出来ず。
留めておけなくても構わない。
声一つで、甘いものが広がった胸が躍る。
「……はぁ?お菓子食べてるからでしょ、ソレって。」
鼻歌混じりにチョコバーを齧っていたら、横から水を差された。
お陰で良い新曲が出来そうだったのに。
反論も面倒なので溜息で済ませ、パソコンのモニターから視線を移す。
素っ気無い声の主は爪を磨いていた由紀。
同居人、否、正しく表すれば居候。
互いの姉と兄の結婚により、幼馴染とは義理の姉妹になった。
とは云えど遊んでいたのも幼い頃まで。
中学校では既に別々の世界を築いて、細く長くの付き合い。
派手で男受けする由紀に、浮世離れした雰囲気の透子。
そもそも、全く違うタイプなのだから仕方ない。
大人になろうとする気持ちを逸らせる思春期。
友達より先に経験を済まそうとする空気の中、由紀も居た。
片や、作曲が好きな透子の恋人は電子の歌姫。
学校で喋る数人が居れば良く、興味以外は無関心を貫いてマイペースに。
進んだ道は裁縫の趣味でも。
車もあるので、家から通えない事もない距離の服飾の学校。
一人暮らしを選んだのは、望んだから。
其処に由紀が尋ねて来たのも今更だが、理由もあるにはある。
彼女もまた結婚を控えているのだ。
地元に居られるのも僅か。
数日だけでも、彼も親も居ない自由な時間が欲しいとの主張。
それを考慮したとしても、何故此処なのだろうか。
他に頼る友達だって居そうなものを。
昔の縁と家族の仲と云う事で承諾したものの。
「それよかお腹空いたんだけど、夕飯どーすんの?」
「あぁ、行ってみたいお店あるから其処で良いかな。」
何となく不遜な由紀の物言いにも、透子の返事は波風立たず。
刺さらない棘は簡単に受け流される。
居候なら作れと命令しても罰は当たるまいに。
尤も、由紀の性格上からして素直に従うとも思えないが。
そして、必要以上に他人へ踏み込まないのが透子の性格。
だからこそ此の数日間は平和に過ぎている。
同じ部屋で生活しようとも干渉せず、会話も多くない。
暦の上で春を迎えても夜は冷え込む。
外気の厳しさに備えて厚手のストールを肩から羽織った。
合わせ目は結ばず、蝶々のブローチ。
エスニック調の衣服を好むので、ゆったり身体を包まれる形の恰好。
故に尚更、由紀が薄着に見えてしまう。
デニムのホットパンツから突き出した脚はストッキングのみ。
寒そうだと思っても口に出さず。
此の場合の心配は寧ろ余計なものだと思う。
好きで着ている物に、他人があれこれ言うべきではないと。
「お店って何処行くわけ?」
「少し遠いけど「四ツ葉」って所、和風レストラン。」
「ふーん、何でも良いけど。」
「鶏じゃがが美味しいんだって、あと……、あっ!」
鍵を閉めながらの玄関先。
金属音を確かめた後、弾かれる勢いで透子が顔を上げた。
廊下の向こうから近付く足音と、長身の影。
「お帰り、早苗ちゃん。」
隣とは云え、思いがけず出会えて嬉しくなる。
掛ける声も無意識に緩んで甘く。
ただいま、と返される早苗の笑みは今日も柔らか。
友達に対してのものと解かっていても可愛くて仕方ない。
出逢って二週間ほど、顔を見るだけで夢中なのは恋の始まり。
「透子ちゃんは出掛けるところ?」
「そうそう、こないだ教えて貰ったお店行ってみようかと。」
「え、本当?!何か嬉しいな。」
「うん、気になったからネットでも見てみたら行きたくなって……」
唐突に、背後から腕を掴まれて途切れた会話。
透子が振り向くと、不機嫌な由紀の眼。
取り残された所為だけでなく。
「行くなら早くして、ここ寒いんだけど。」
ごめんごめん、と軽く頭を下げた刹那の事だった。
何処か意味ありげに笑った由紀。
気まずげに軽く瞼を伏せた早苗。
向き直ろうとした一瞬、それは確かに。
透子を挟んで交差した視線、淡くとも見逃さなかった。
二対の眼に混ざった色。
「…………」
それじゃまた、と部屋へ引っ込んだ早苗に手を振って。
隣室の扉が閉ざされる金属音。
其れは、冷たい廊下に言い知れぬ不穏を残して消える。
「……君らって、何か変な空気。」
「別に……、運転が透子ならあたし呑んでも良いでしょ?」
一歩先、顔の見えない由紀は既に違う話題。
頷き返しても曖昧に。
床を叩く靴音二つ、それぞれ違う重さ。
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2012.03.06 ▲
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