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日溜まりの部屋には鼻歌がよく似合う。
陽光を浴びた透子の頬に、長い睫毛が影を落とす。
そうして時折、唇にも詞。
今は一人きりなので何も気兼ね無く、穏やかな三月の真昼。
開かれたままの窓に風、透子の歌にカーテンも踊る。
折角の桜の季節でも残念ながらマンションに樹は無かった。
眺めた青空、遠くに薄紅の彩り。
厳しかった寒さの終わりに人は浮かれる、透子もまた。
頭の中、幼い頃から習っていたピアノを奏でながら。
しかし叩いているのは鍵盤ではない。
軽快に指先が舞う下、パソコンのキーボード。
モニターには出来たばかりの歌詞。
透子のネット上の顔は、VOCALOIDのプロデューサー。
動画サイトでは「竜生P」の名を持つ。
基本スタイルと云えば狂気を帯びたホラー調。
透子の手に掛かれば、天使と呼ばれた歌姫さえも仄暗い声で笑う。
どれも背筋をざわめきが駆ける旋律。
アングラ系なので万人受けせずとも一度耳にしたら離れない。
故になかなか中毒性が高く、固定ファンも居る。
そして、もう一つ得意手が女性デュエットの百合物語調。
夜毎、少女の夢に恋人の姿で現われるサキュバス。
泡と消えた人魚姫に愛を誓い、遺された声を抱いて生きる魔女。
切ない悲恋は、微かに温かな余韻を残して締め括られる。
ホラーも恋物語も一見全く違うようでも、どちらも幻想の色。
それこそが透子の生み出す音の武器である。
と云うと、如何にも夢見がちな乙女を想像するだろう。
聴き手からすれば、ゴスロリでも着ていそうなイメージを抱くもの。
しかし、飽くまで顔が見えないからの話。
実際の透子は、黒地に蓮が描かれた長袖Tシャツとタイパンツ。
濃いキャラメル色のお団子頭にヘアバンド。
服装だけでなく、部屋もインド染めの布で異国情緒の匂い。
アジアンショップへ通い続けた賜物。
エスニックが身近になった時代、入手も容易くなったものである。
それはそれで同級生の女子達の中では少々風変わり。
透子にとっては普段着でも、恰好によっては何かのキャラクターに見える。
浮世離れしている、とはそう云う意味でもあった。
勿論、同級生の女子達と同じく甘い物も好きだけど。
そんな訳で小腹の空く時間。
突然鳴り響いたインターホンに途切れる鼻歌。
ケーキのお裾分けに訪れた早苗を、透子は快く部屋に招き入れた。
今日のお茶の時間は愉しいものになりそうだ。
青み掛かったセラドン焼の湯呑み二つ。
透き通る琥珀色は流線型を描き、バニラの香りが注がれる。
ナイフを立てられたのは、まだ少し温かい苺のパウンドケーキ。
華やかな見栄えでなくとも綺麗な焼き色が空腹に沁みる。
紅茶と混じり合って、甘い匂いで溢れるテーブル。
「丁度甘い物食べたかったんだ、嬉しい。」
「良かったぁ、入学したらいっぱい持って来ても良い?」
「そうか……早苗ちゃん、製菓学校だったね。」
「わたしは製パン志望なんだけどね、一年生ではお菓子も作るの。」
一つ二つ、交わす声は柔らかい。
しかしフォークを握った意味も忘れておらず。
切り分けられた断面からは深紅の汁が滲み出す。
とろり濃厚で熱い苺の蜜。
皿に零れた一滴すら惜しくて、ケーキの欠片で掬って頬張る。
口一杯に、バターの香りと果実の甘酸っぱさ。
「うん……、美味しい。」
素直に頷いた透子を見て、作り手は嬉しそうな表情。
微笑んだ早苗の唇も染まって深紅。
自分でも判ったらしく、手で隠した陰で小さく舌舐め擦り。
ほんの僅かな間の仕草でも妙に透子の目を奪う。
普段可愛らしい印象が強かっただけ、不意の艶は心音を速める。
背中を向けていたので、気配に気付くのが遅れた。
玄関のドアの重い金属音。
振り返らずとも判る、由紀が帰って来たのだ。
「お帰り……、お茶飲む?」
「要らない、またすぐ出るし。」
由紀の分も湯呑みを用意しようとして、止まる。
冷めた口調なんていつもの事。
気にする必要も無い筈なのに、今のは僅かに棘も感じた。
原因があるとすれば。
会釈する早苗に、陰のある視線を返す由紀。
また、此の空気だ。
今度こそ気の所為ではない確信。
透子も早苗とは逢ったばかりで、よく知っている訳じゃない。
まして、由紀など接点なんてほぼ無い筈なのに。
見えない壁に苛立ちを覚えた。
此の感情は、果たしてどちらに対してか。
「……出掛けるって、また遊び?」
広がり出したモヤが気持ち悪い。
少しでも吐き出そうとして、無理やりに開いた口。
そう、透子にとってそれだけの言葉だった。
応えなんて要らなかったのに。
由紀の唇が、作り笑いで残酷に歪む。
「女相手に本気になってる人と、一緒に居たくないだけ。」
覗いていた刃はとうとう抜かれた。
凍った空気で息が出来ない胸を、深々と抉る。
「あ……ッ!」
しかし、次の瞬間は予想外。
立ち上がって部屋を飛び出したのは早苗だった。
どうする、と考えるまでもなく透子の身体が先に動く。
裂かれたばかりの胸は血が溢れそうな痛み。
それすらも構っていられずに、すぐさま追い掛ける脚。
跳ねるように駆ける早苗の後姿は、やはりウサギを思わせた。
こんな時ですら見蕩れそうになっている自分が可笑しい。
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陽光を浴びた透子の頬に、長い睫毛が影を落とす。
そうして時折、唇にも詞。
今は一人きりなので何も気兼ね無く、穏やかな三月の真昼。
開かれたままの窓に風、透子の歌にカーテンも踊る。
折角の桜の季節でも残念ながらマンションに樹は無かった。
眺めた青空、遠くに薄紅の彩り。
厳しかった寒さの終わりに人は浮かれる、透子もまた。
頭の中、幼い頃から習っていたピアノを奏でながら。
しかし叩いているのは鍵盤ではない。
軽快に指先が舞う下、パソコンのキーボード。
モニターには出来たばかりの歌詞。
透子のネット上の顔は、VOCALOIDのプロデューサー。
動画サイトでは「竜生P」の名を持つ。
基本スタイルと云えば狂気を帯びたホラー調。
透子の手に掛かれば、天使と呼ばれた歌姫さえも仄暗い声で笑う。
どれも背筋をざわめきが駆ける旋律。
アングラ系なので万人受けせずとも一度耳にしたら離れない。
故になかなか中毒性が高く、固定ファンも居る。
そして、もう一つ得意手が女性デュエットの百合物語調。
夜毎、少女の夢に恋人の姿で現われるサキュバス。
泡と消えた人魚姫に愛を誓い、遺された声を抱いて生きる魔女。
切ない悲恋は、微かに温かな余韻を残して締め括られる。
ホラーも恋物語も一見全く違うようでも、どちらも幻想の色。
それこそが透子の生み出す音の武器である。
と云うと、如何にも夢見がちな乙女を想像するだろう。
聴き手からすれば、ゴスロリでも着ていそうなイメージを抱くもの。
しかし、飽くまで顔が見えないからの話。
実際の透子は、黒地に蓮が描かれた長袖Tシャツとタイパンツ。
濃いキャラメル色のお団子頭にヘアバンド。
服装だけでなく、部屋もインド染めの布で異国情緒の匂い。
アジアンショップへ通い続けた賜物。
エスニックが身近になった時代、入手も容易くなったものである。
それはそれで同級生の女子達の中では少々風変わり。
透子にとっては普段着でも、恰好によっては何かのキャラクターに見える。
浮世離れしている、とはそう云う意味でもあった。
勿論、同級生の女子達と同じく甘い物も好きだけど。
そんな訳で小腹の空く時間。
突然鳴り響いたインターホンに途切れる鼻歌。
ケーキのお裾分けに訪れた早苗を、透子は快く部屋に招き入れた。
今日のお茶の時間は愉しいものになりそうだ。
青み掛かったセラドン焼の湯呑み二つ。
透き通る琥珀色は流線型を描き、バニラの香りが注がれる。
ナイフを立てられたのは、まだ少し温かい苺のパウンドケーキ。
華やかな見栄えでなくとも綺麗な焼き色が空腹に沁みる。
紅茶と混じり合って、甘い匂いで溢れるテーブル。
「丁度甘い物食べたかったんだ、嬉しい。」
「良かったぁ、入学したらいっぱい持って来ても良い?」
「そうか……早苗ちゃん、製菓学校だったね。」
「わたしは製パン志望なんだけどね、一年生ではお菓子も作るの。」
一つ二つ、交わす声は柔らかい。
しかしフォークを握った意味も忘れておらず。
切り分けられた断面からは深紅の汁が滲み出す。
とろり濃厚で熱い苺の蜜。
皿に零れた一滴すら惜しくて、ケーキの欠片で掬って頬張る。
口一杯に、バターの香りと果実の甘酸っぱさ。
「うん……、美味しい。」
素直に頷いた透子を見て、作り手は嬉しそうな表情。
微笑んだ早苗の唇も染まって深紅。
自分でも判ったらしく、手で隠した陰で小さく舌舐め擦り。
ほんの僅かな間の仕草でも妙に透子の目を奪う。
普段可愛らしい印象が強かっただけ、不意の艶は心音を速める。
背中を向けていたので、気配に気付くのが遅れた。
玄関のドアの重い金属音。
振り返らずとも判る、由紀が帰って来たのだ。
「お帰り……、お茶飲む?」
「要らない、またすぐ出るし。」
由紀の分も湯呑みを用意しようとして、止まる。
冷めた口調なんていつもの事。
気にする必要も無い筈なのに、今のは僅かに棘も感じた。
原因があるとすれば。
会釈する早苗に、陰のある視線を返す由紀。
また、此の空気だ。
今度こそ気の所為ではない確信。
透子も早苗とは逢ったばかりで、よく知っている訳じゃない。
まして、由紀など接点なんてほぼ無い筈なのに。
見えない壁に苛立ちを覚えた。
此の感情は、果たしてどちらに対してか。
「……出掛けるって、また遊び?」
広がり出したモヤが気持ち悪い。
少しでも吐き出そうとして、無理やりに開いた口。
そう、透子にとってそれだけの言葉だった。
応えなんて要らなかったのに。
由紀の唇が、作り笑いで残酷に歪む。
「女相手に本気になってる人と、一緒に居たくないだけ。」
覗いていた刃はとうとう抜かれた。
凍った空気で息が出来ない胸を、深々と抉る。
「あ……ッ!」
しかし、次の瞬間は予想外。
立ち上がって部屋を飛び出したのは早苗だった。
どうする、と考えるまでもなく透子の身体が先に動く。
裂かれたばかりの胸は血が溢れそうな痛み。
それすらも構っていられずに、すぐさま追い掛ける脚。
跳ねるように駆ける早苗の後姿は、やはりウサギを思わせた。
こんな時ですら見蕩れそうになっている自分が可笑しい。
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2012.03.12 ▲
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