林檎に牙を:全5種類
「あの……、ごめんね。」

やっと解けた唇からぽつりぽつり落ちる言葉は塩辛い。
捕まえた時に滲んでいた涙の後味。

何故、早苗が謝るのだろう。



隣の自室に逃げ帰るかと思いきや、階段を駆け降りて行った背中。
すぐ追い着くなど甘い考え、相手が悪い。
日頃のインドア生活も祟って随分と梃子摺った。
つい最近まで運動部だった早苗に、透子が勝る物は土地勘。
息を切らしてのショートカットで腕を取った。

それはそうと、いざ顔を合わせても気まずさだけが流れる。
追って、捕まえて、その後の事を考えていなかった。


とりあえず落ち着いて話せる場所を探し、連れ立って鳴る靴音二つ。
飲食店でもあれば望ましいが、生憎と遠すぎる。
マンション周辺は静かで良いものの、車が無ければ不便な土地。
第一、つい先程まで寛いでいたままの恰好なのだ。
財布すら無い手ぶらなのはお互い様。

結局、ウサギを追ってこんな所まで来てしまった。
尤も透子はアリスではないので辿り着いた先は穴にあらず。
桜が咲き零れる、近くの小さな公園。

まだ上着無しでは少しだけ肌寒い季節。
しかし、麗らかな陽気の下で全力疾走した後。
息が整っても透子には汗ばむ暑さ。
せめて小銭さえあれば、と自販機を遠目で恨めしく睨む。


「いや早苗ちゃんが謝る必要は……、じゃなくて、何で逃げたの?」
「…………」
「原因、あの言葉?」
「……うん。」

花弁が降り注ぐ下、共に腰を落ち着けたベンチ。
距離は近くても何一つ触れ合えず。
まだ解からなかった。

由紀に傷付けられた事には他ならない。
とは云え、何故早苗が泣くのか。

女相手に本気、は透子の方なのに。
そうだ、無我夢中で走ったもので、暫し胸の傷すら忘れていた。
お陰様でと云うのも妙だが。

それはそうと、あれで早苗もショックを受けたとするならば。
透子の想いを知られていたのかもしれない。
早苗と由紀の間には何かあったのかもしれない。
もしかして、と考え出すと止まらなくなる。


「わたし、ね……女の子と付き合ってるの。」

思考に歯止めを掛ける、早苗の言葉。
痛みの引いていた胸に重く響いた。


「それで、こないだ……あの、透子ちゃんと同居してる人に……
 玄関先で彼女とキスしてるとこ、見られちゃって。
 あんな所で、悪かったのはわたしの方なんだけど、勿論。
 でも、やっぱ"異常"だって突き付けられると、ショック大きくて……」

透子よりずっと高い背を丸めて小さく。
無理に笑ってみせなくても、もう良いのに。
乾いてない涙が痛々しい。


「異常だとは思わない……私も、女の子を好きになった事あるから。」

嘘偽りなど無い真摯な強さで、透子が答えた。
けれど、其れ以上は余計。
早苗を困らせたくなくて"誰"とは言わず。

本気で好きだったから、伝えない。

「女同士で付き合ってる友達、早苗ちゃんの他にも居るからね。」
「え、そうなの?!」
「同性だから惹かれる、て感情はあるよ。だから異常じゃない。」
「……うん……」

腰掛けている今なら手が届く、黒褐色の頭を撫でた。
伸ばした指先に当たるウサギのバレッタ。
透子が触れられるのは、此処まで。
今度こそ、張り詰めたものが緩んで早苗が笑った。



そんな事を話しながら緩やかな時間は過ぎて行く。
もう少し桜を見てから帰る、と公園に残って透子一人きり。
本当の理由は花じゃない。

圧し掛かった失恋の重み。
動けない程でなくとも、まだ持ち帰りたくない気分。

しかし、痛みは大した事無いので少しぼんやりするだけ。
いっそ泣けたら、涙の分だけ軽くなるだろうに。
見上げた青空は滲まない。

「はぁ……」

ああ、そうだ、問題はもう一つある。
由紀には謝らせないといけない。

素直に頭を下げるとも考えられないので、戦う事になるだろうか。
そうして、しみじみと思う。
長く続いた関係でも今まで由紀と向かい合おうとしていなかった。

家族となろうと、深い付き合いは面倒。
我が侭も暴言も適当に相手して受け流してきた。
多少の苛立ちよりも、衝突を避ける気楽さを選んだ訳である。
正直なところ、どうでも良かったのだ。
けれど、今回は話が違う。
透子一人が我慢すれば済む話ではない。

深呼吸してからベンチから立ち上がる。
決意を以って、突っ掛けのサンダルが砂を蹴った。




「……由紀ちゃん?」


いつもの隠し場所から取り出した鍵で、開いた扉。
其処はもう、透子一人の部屋だった。

向こう側には誰も居なかった。
当人どころか、滞在用の荷物も全て。
彼女の痕跡など何処にも無く。

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2012.03.18