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「あの……、ごめんね。」
やっと解けた唇からぽつりぽつり落ちる言葉は塩辛い。
捕まえた時に滲んでいた涙の後味。
何故、早苗が謝るのだろう。
隣の自室に逃げ帰るかと思いきや、階段を駆け降りて行った背中。
すぐ追い着くなど甘い考え、相手が悪い。
日頃のインドア生活も祟って随分と梃子摺った。
つい最近まで運動部だった早苗に、透子が勝る物は土地勘。
息を切らしてのショートカットで腕を取った。
それはそうと、いざ顔を合わせても気まずさだけが流れる。
追って、捕まえて、その後の事を考えていなかった。
とりあえず落ち着いて話せる場所を探し、連れ立って鳴る靴音二つ。
飲食店でもあれば望ましいが、生憎と遠すぎる。
マンション周辺は静かで良いものの、車が無ければ不便な土地。
第一、つい先程まで寛いでいたままの恰好なのだ。
財布すら無い手ぶらなのはお互い様。
結局、ウサギを追ってこんな所まで来てしまった。
尤も透子はアリスではないので辿り着いた先は穴にあらず。
桜が咲き零れる、近くの小さな公園。
まだ上着無しでは少しだけ肌寒い季節。
しかし、麗らかな陽気の下で全力疾走した後。
息が整っても透子には汗ばむ暑さ。
せめて小銭さえあれば、と自販機を遠目で恨めしく睨む。
「いや早苗ちゃんが謝る必要は……、じゃなくて、何で逃げたの?」
「…………」
「原因、あの言葉?」
「……うん。」
花弁が降り注ぐ下、共に腰を落ち着けたベンチ。
距離は近くても何一つ触れ合えず。
まだ解からなかった。
由紀に傷付けられた事には他ならない。
とは云え、何故早苗が泣くのか。
女相手に本気、は透子の方なのに。
そうだ、無我夢中で走ったもので、暫し胸の傷すら忘れていた。
お陰様でと云うのも妙だが。
それはそうと、あれで早苗もショックを受けたとするならば。
透子の想いを知られていたのかもしれない。
早苗と由紀の間には何かあったのかもしれない。
もしかして、と考え出すと止まらなくなる。
「わたし、ね……女の子と付き合ってるの。」
思考に歯止めを掛ける、早苗の言葉。
痛みの引いていた胸に重く響いた。
「それで、こないだ……あの、透子ちゃんと同居してる人に……
玄関先で彼女とキスしてるとこ、見られちゃって。
あんな所で、悪かったのはわたしの方なんだけど、勿論。
でも、やっぱ"異常"だって突き付けられると、ショック大きくて……」
透子よりずっと高い背を丸めて小さく。
無理に笑ってみせなくても、もう良いのに。
乾いてない涙が痛々しい。
「異常だとは思わない……私も、女の子を好きになった事あるから。」
嘘偽りなど無い真摯な強さで、透子が答えた。
けれど、其れ以上は余計。
早苗を困らせたくなくて"誰"とは言わず。
本気で好きだったから、伝えない。
「女同士で付き合ってる友達、早苗ちゃんの他にも居るからね。」
「え、そうなの?!」
「同性だから惹かれる、て感情はあるよ。だから異常じゃない。」
「……うん……」
腰掛けている今なら手が届く、黒褐色の頭を撫でた。
伸ばした指先に当たるウサギのバレッタ。
透子が触れられるのは、此処まで。
今度こそ、張り詰めたものが緩んで早苗が笑った。
そんな事を話しながら緩やかな時間は過ぎて行く。
もう少し桜を見てから帰る、と公園に残って透子一人きり。
本当の理由は花じゃない。
圧し掛かった失恋の重み。
動けない程でなくとも、まだ持ち帰りたくない気分。
しかし、痛みは大した事無いので少しぼんやりするだけ。
いっそ泣けたら、涙の分だけ軽くなるだろうに。
見上げた青空は滲まない。
「はぁ……」
ああ、そうだ、問題はもう一つある。
由紀には謝らせないといけない。
素直に頭を下げるとも考えられないので、戦う事になるだろうか。
そうして、しみじみと思う。
長く続いた関係でも今まで由紀と向かい合おうとしていなかった。
家族となろうと、深い付き合いは面倒。
我が侭も暴言も適当に相手して受け流してきた。
多少の苛立ちよりも、衝突を避ける気楽さを選んだ訳である。
正直なところ、どうでも良かったのだ。
けれど、今回は話が違う。
透子一人が我慢すれば済む話ではない。
深呼吸してからベンチから立ち上がる。
決意を以って、突っ掛けのサンダルが砂を蹴った。
「……由紀ちゃん?」
いつもの隠し場所から取り出した鍵で、開いた扉。
其処はもう、透子一人の部屋だった。
向こう側には誰も居なかった。
当人どころか、滞在用の荷物も全て。
彼女の痕跡など何処にも無く。
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やっと解けた唇からぽつりぽつり落ちる言葉は塩辛い。
捕まえた時に滲んでいた涙の後味。
何故、早苗が謝るのだろう。
隣の自室に逃げ帰るかと思いきや、階段を駆け降りて行った背中。
すぐ追い着くなど甘い考え、相手が悪い。
日頃のインドア生活も祟って随分と梃子摺った。
つい最近まで運動部だった早苗に、透子が勝る物は土地勘。
息を切らしてのショートカットで腕を取った。
それはそうと、いざ顔を合わせても気まずさだけが流れる。
追って、捕まえて、その後の事を考えていなかった。
とりあえず落ち着いて話せる場所を探し、連れ立って鳴る靴音二つ。
飲食店でもあれば望ましいが、生憎と遠すぎる。
マンション周辺は静かで良いものの、車が無ければ不便な土地。
第一、つい先程まで寛いでいたままの恰好なのだ。
財布すら無い手ぶらなのはお互い様。
結局、ウサギを追ってこんな所まで来てしまった。
尤も透子はアリスではないので辿り着いた先は穴にあらず。
桜が咲き零れる、近くの小さな公園。
まだ上着無しでは少しだけ肌寒い季節。
しかし、麗らかな陽気の下で全力疾走した後。
息が整っても透子には汗ばむ暑さ。
せめて小銭さえあれば、と自販機を遠目で恨めしく睨む。
「いや早苗ちゃんが謝る必要は……、じゃなくて、何で逃げたの?」
「…………」
「原因、あの言葉?」
「……うん。」
花弁が降り注ぐ下、共に腰を落ち着けたベンチ。
距離は近くても何一つ触れ合えず。
まだ解からなかった。
由紀に傷付けられた事には他ならない。
とは云え、何故早苗が泣くのか。
女相手に本気、は透子の方なのに。
そうだ、無我夢中で走ったもので、暫し胸の傷すら忘れていた。
お陰様でと云うのも妙だが。
それはそうと、あれで早苗もショックを受けたとするならば。
透子の想いを知られていたのかもしれない。
早苗と由紀の間には何かあったのかもしれない。
もしかして、と考え出すと止まらなくなる。
「わたし、ね……女の子と付き合ってるの。」
思考に歯止めを掛ける、早苗の言葉。
痛みの引いていた胸に重く響いた。
「それで、こないだ……あの、透子ちゃんと同居してる人に……
玄関先で彼女とキスしてるとこ、見られちゃって。
あんな所で、悪かったのはわたしの方なんだけど、勿論。
でも、やっぱ"異常"だって突き付けられると、ショック大きくて……」
透子よりずっと高い背を丸めて小さく。
無理に笑ってみせなくても、もう良いのに。
乾いてない涙が痛々しい。
「異常だとは思わない……私も、女の子を好きになった事あるから。」
嘘偽りなど無い真摯な強さで、透子が答えた。
けれど、其れ以上は余計。
早苗を困らせたくなくて"誰"とは言わず。
本気で好きだったから、伝えない。
「女同士で付き合ってる友達、早苗ちゃんの他にも居るからね。」
「え、そうなの?!」
「同性だから惹かれる、て感情はあるよ。だから異常じゃない。」
「……うん……」
腰掛けている今なら手が届く、黒褐色の頭を撫でた。
伸ばした指先に当たるウサギのバレッタ。
透子が触れられるのは、此処まで。
今度こそ、張り詰めたものが緩んで早苗が笑った。
そんな事を話しながら緩やかな時間は過ぎて行く。
もう少し桜を見てから帰る、と公園に残って透子一人きり。
本当の理由は花じゃない。
圧し掛かった失恋の重み。
動けない程でなくとも、まだ持ち帰りたくない気分。
しかし、痛みは大した事無いので少しぼんやりするだけ。
いっそ泣けたら、涙の分だけ軽くなるだろうに。
見上げた青空は滲まない。
「はぁ……」
ああ、そうだ、問題はもう一つある。
由紀には謝らせないといけない。
素直に頭を下げるとも考えられないので、戦う事になるだろうか。
そうして、しみじみと思う。
長く続いた関係でも今まで由紀と向かい合おうとしていなかった。
家族となろうと、深い付き合いは面倒。
我が侭も暴言も適当に相手して受け流してきた。
多少の苛立ちよりも、衝突を避ける気楽さを選んだ訳である。
正直なところ、どうでも良かったのだ。
けれど、今回は話が違う。
透子一人が我慢すれば済む話ではない。
深呼吸してからベンチから立ち上がる。
決意を以って、突っ掛けのサンダルが砂を蹴った。
「……由紀ちゃん?」
いつもの隠し場所から取り出した鍵で、開いた扉。
其処はもう、透子一人の部屋だった。
向こう側には誰も居なかった。
当人どころか、滞在用の荷物も全て。
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2012.03.18 ▲
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