林檎に牙を:全5種類
もうそろそろ透子は戻ってきている頃だろうか。
そして、気付いているだろう。
由紀の車ごと何もかも消えている事に。


ハンドルを切った拍子、乱暴に揺れた車体。
音を立てて助手席から落ちた大きな鞄に舌打ち一つ。
急いでいる訳でもないのに。
運転が荒くなってしまうのは、ささくれた気持ちの所為。

霞んでいた視界を晴らし、頬が濡れていく。
人を傷付けておいて加害者が泣くなど、なんて勝手だろうか。

由紀だって自分で解かっている。


あれは賭けだった。
透子が感情をぶつけるか如何か。

本当は頬を叩いて怒って欲しかったのに。
此方など見向きもせず、擦り抜けて行ってしまった。
ああ、昔からそうだ。
透子は由紀に対して興味を持ってくれない。


子供の頃にピアノを習っていたのは二人とも同じ。
けれど、その差は大きかった。

根性が足りない由紀はすぐ辞めてしまい、意味の無いまま終えた。
引き換え、上達の早い透子。
合唱コンクールでは壇上でピアノに向かっていた事が思い出される。
VOCALOIDが出回る頃には、趣味で作曲まで手掛けていた。

鍵盤に指先を躍らせる透子は本当に愉しそうで。
軽々と音を操り、流れる旋律に包まれる。
小柄で華奢な甘い容姿と相まって、人々の目に一層可憐に映った。

場の中心にもなれる筈なのに。
そもそも、彼女は輪に加わろうとしなかった。
好きな物を一途に追い掛け、興味が無ければ相手にもしない。
故に、雰囲気と相まって学校では浮いた存在だった。
少なからず異端視もされていたが、それすら如何でも良さそうに。
話の合う友達がほんの一握り居れば構わないと。


そんな透子に、由紀は物心付いた頃から苛立ちを覚えていた。
面倒事をすぐ投げ出す取り得の無い自分。
人目ばかり気にして、本当にしたい事が出来ない。

強い羨望と憧憬。
惹かれずにいられなかった。

それは耳を塞いでも聴こえる曲にも似ている。
だからこそ、異性に媚びて逃げた。
認めたくない一心で何年も押し殺してきた感情。

もう息の根なんて止まったと思っていたのに。
今更、透子に逢いに来たのは緩み。
完全に男の物になる前、最後に気持ちの整理をするつもりで。
けれど、思い出してしまった。


「女相手に本気」

あの言葉は、他ならない由紀自身だった。


もうあのアパートには二度と行けない。
あれ以上居たら、早苗に対して嫉妬を制御出来なかった。

女同士で恋する事。
透子の好意。
怖くて由紀が手を伸ばせなかったもの。
其の全てを持っている彼女に、憎悪が爆ぜてしまいそうで。



色を無くした由紀の世界。
不意に、着信音で切り裂かれて鼓動が跳ねた。

携帯の入った鞄は助手席の下。
しかし出なくともメロディで判る、透子だと。
運転中だなんて知ってる筈なのに。

鳴り終わるまで鋭く痛み続ける心臓。
耳の奥に刻まれる音を、きっと忘れないだろうと由紀は思った。
透子が自分を気に掛けてくれた証。
例え、どんな形であれど。


吹き抜けた一陣の風で、車が桜吹雪に包まれた。
考え事をしながらの信号待ちは短い。
クラクションに背中を叩かれ、青に変わっていた道を走り出す。

爛れた初恋に、別れを告げて。

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2012.03.27