林檎に牙を:全5種類
勘が鋭く、相手の気持ちや要求に敏感。
本来それは長所である筈だった。

もっと優しい人間ならば。

相手の望みと云うのは勝手なものだ。
例えばの話、誰かが1つしかない物を手に入れたとする。
すると、同様に欲していた他の誰かを落胆させる事になってしまう。
全部に応えて叶えるなんて出来る訳が無いのだ。
神様じゃあるまいし。

だから、気付いても横目で通り過ぎる術を身に付けた。
私の知った事ではないと雪菜は呟く。



高い窓から差し込む夕陽に染まり、影の濃い体育館。
先程まで弾んでいたボールは籠の中で眠る。
本日のバスケ部は終了。

床を磨いていたバッシュの音も鳴り止んだ広い空間。
今騒がしいのは、片隅の更衣室である。
散々走り回るのも毎日の事だ。
すっかり慣れてしまった学生達は夕方でも元気。

女子更衣室は、いつも清涼感のある香りで噎せ返ってしまう。
混ざり合った制汗剤に隠される熱。
タンクトップを脱ぎ捨てるとスプレーで匂い立つ。

薄く筋肉がついた身体に、愛らしいレース。
ユニフォームの下は誰でも乙女。


手早く着替える雪菜も缶を取ったが、空だと気付いて蓋を戻す。
押し出されるのは弱い匂いと音だけ。
必需品だけに減りが早い。
隣に借りる事だって出来る、けれど少し躊躇ってしまう。

此処に、例の"神様"とやらが居る。
要は周囲から押し付けられているだけなのだが。

そんな損な役回りだった、早苗は。

長身が揃うバスケ部でも目立つ存在。
黒褐色のショートカットは、後姿だと男子にも見える。
人気に関してはそれ以上か。

黒褐色のショートカットに、柔らかな表情と人柄。
不慣れな一年生にも指導は飽くまで優しい。
綺麗で頼り甲斐のある先輩。
そう云う訳で、後輩の女子達から大変懐かれていた。


付き合いこそ一年生の頃から、そして今年、初めて同じクラスになった。
共にする時間が増えた事で、距離も縮まりつつある。

だからこそ気付いてしまった。
何事にも興味を持たないように見える雪菜だが、洞察力は鋭い。
以前からの一つの疑惑は確信に近くなった。
相手が男女かで、早苗には僅かな温度差がある。

異性に対して媚びる訳ではない、寧ろ、その逆。
同性と一緒に居る時の方が温かくなるのだ。

それだけならば何も可笑しくなく、誰でも当然の事。
しかし、親しみ易さで和らぐ訳ではない。
感情とは声や仕草の端々に表れる。

雪菜が直感を信じるなら、早苗は同性愛者かもしれない。
だから何だと云う事でもないが。


「アズ先輩、良かったらどうぞ!」
「あっ、私も!」

甘い匂いに、黄色い声。
お菓子の包みを差し出す後輩に囲まれる、早苗の姿。
今日、一年生は調理実習だったらしい。

こうした光景をバレンタインにも見た覚えがある。
ありがとう、と受け取る早苗の笑みも。

果たして、簡単に喜んで良いものだか。
よく知らない相手から食べ物を貰うのは、有り難迷惑な方が多い。
それも完全に密封された売り物でなく手作り。
勿論、全ての場合に当て嵌まるとも言えないものの。



制服姿の部員が消えた事を確認し、閉ざされた扉。
早苗の手元で鍵が鳴った。

職員室に鍵を返せば今度こそ終わり。
帰り道が途中まで一緒の為、雪菜も連れ添って。
まだ明るい茜色の廊下。
伸びた影は二つ、それぞれ長さが違う。

本来、此の役目を負う筈の部長は真っ先に帰って行く。
いつでも適当な用を言い訳に。
権力を握っておきながら、責任だけは早苗のものなのだ。

「付き合せちゃって、ごめんね。」
「別に……、アズの所為じゃないし。」

大人しく部長に従う早苗に対して時に苛立ちも。
しかしそんな時、口出しする事ではないと雪菜は無言になる。
早苗が現状を変えようとする姿勢が見えないのだ。
抗おうとしなければ、ずっと此の侭。

人の役に立ちたいと思うのは美徳。
けれど、その善意が利用される事もよくある話。

今は此の程度でも、そのうち酷い目に遭うだろう。
いや、もしかしたら既に何度も傷付けられてきたのかもしれない。
雪菜が知らないだけで。

自分に関係無い筈でも、ついそんな事を考えてしまう。
だから、付き合いがあっても早苗は少し苦手な相手だった。
見ないようにして通り過ぎるには危なっかしい。
目が離せなくなる時があるのだ。


「駅前って新しいお店出来たよね、何だっけ?」
「反対側だから行った事無いけど……確かミスドだったわね。」

放課後の静かな空間、ぽつりぽつり短い会話を落としながら進む。
一緒の時、盛り上がると云う感じにはならない。
口が悪い事は自覚あるだけに、雪菜からあまり面白い話題が振れず。

それでも、沈黙になろうと重くない。
視線が交わらない時でも繋がりはあるのだ。


職員室を出て、正面玄関へと続く長い廊下。
此処からは中庭がよく見える。
桜も風に消え去って紅い芯のみを残し、近付く若葉の季節。
何気なく窓の外に視線を移して、見慣れた姿に気付いた。

あれは、早苗にお菓子を渡していた後輩の一人。
それから木々で陰になった辺りでも、確かに見えた。
例の包みを手にした男子生徒。

まぁ、そんなものだろう。

中身が早苗と同じ物だとしても託された感情は違う。
どんなに後輩から「好き」と騒がれようと、一線を越えない。
男女で分かつ限り。

雪菜から見える光景は、隣の早苗からも同じく。
一瞬だけ盗み見た表情。
男に敵わない事を彼女も知っているのだ。
軽く伏せた瞼は、切なげ。
受け取っていた時に嬉しそうだっただけに。


「……お腹空くわよね、部活の後って。」

窓に背を向けて雪菜が切り出した。
見上げてみた早苗の方は、意味を図りかねながらも曖昧に頷く。

「ミスド、行ってみる?確か今100円だったし。」
「えっ?!」
「何、嫌なの?時間無いとかなら……」
「い、行く!嬉しい!」

鞄を抱いたまま今度こそ強く頷いた。
先程までの陰りを晴らして。



最後の一年の間、いつしか友達としての日々は色を変える。
部活を引退してから伸ばし始めた髪は、早苗によく似合っていた。
軽い気持ちじゃ手を伸ばせない。

触れてしまえば、もう戻れなくなる感情。
女同士ならただの戯れ合いだったと笑って済むかもしれない。
けれど、それは出来そうもなかった。
何より自分にとっても。

その先、どうなるかなんて分からないけれど。



「言わないから伝わんないのよ、あんたは。」


卒業式の帰り道、雪菜が凛と響かせた声。
繋がりが切れるか否かの賭け。

好きだと言って欲しい、早く早く。
決心は出来ている。
私なら、同じ意味の言葉を返せるから。
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2012.04.06