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勘が鋭く、相手の気持ちや要求に敏感。
本来それは長所である筈だった。
もっと優しい人間ならば。
相手の望みと云うのは勝手なものだ。
例えばの話、誰かが1つしかない物を手に入れたとする。
すると、同様に欲していた他の誰かを落胆させる事になってしまう。
全部に応えて叶えるなんて出来る訳が無いのだ。
神様じゃあるまいし。
だから、気付いても横目で通り過ぎる術を身に付けた。
私の知った事ではないと雪菜は呟く。
高い窓から差し込む夕陽に染まり、影の濃い体育館。
先程まで弾んでいたボールは籠の中で眠る。
本日のバスケ部は終了。
床を磨いていたバッシュの音も鳴り止んだ広い空間。
今騒がしいのは、片隅の更衣室である。
散々走り回るのも毎日の事だ。
すっかり慣れてしまった学生達は夕方でも元気。
女子更衣室は、いつも清涼感のある香りで噎せ返ってしまう。
混ざり合った制汗剤に隠される熱。
タンクトップを脱ぎ捨てるとスプレーで匂い立つ。
薄く筋肉がついた身体に、愛らしいレース。
ユニフォームの下は誰でも乙女。
手早く着替える雪菜も缶を取ったが、空だと気付いて蓋を戻す。
押し出されるのは弱い匂いと音だけ。
必需品だけに減りが早い。
隣に借りる事だって出来る、けれど少し躊躇ってしまう。
此処に、例の"神様"とやらが居る。
要は周囲から押し付けられているだけなのだが。
そんな損な役回りだった、早苗は。
長身が揃うバスケ部でも目立つ存在。
黒褐色のショートカットは、後姿だと男子にも見える。
人気に関してはそれ以上か。
黒褐色のショートカットに、柔らかな表情と人柄。
不慣れな一年生にも指導は飽くまで優しい。
綺麗で頼り甲斐のある先輩。
そう云う訳で、後輩の女子達から大変懐かれていた。
付き合いこそ一年生の頃から、そして今年、初めて同じクラスになった。
共にする時間が増えた事で、距離も縮まりつつある。
だからこそ気付いてしまった。
何事にも興味を持たないように見える雪菜だが、洞察力は鋭い。
以前からの一つの疑惑は確信に近くなった。
相手が男女かで、早苗には僅かな温度差がある。
異性に対して媚びる訳ではない、寧ろ、その逆。
同性と一緒に居る時の方が温かくなるのだ。
それだけならば何も可笑しくなく、誰でも当然の事。
しかし、親しみ易さで和らぐ訳ではない。
感情とは声や仕草の端々に表れる。
雪菜が直感を信じるなら、早苗は同性愛者かもしれない。
だから何だと云う事でもないが。
「アズ先輩、良かったらどうぞ!」
「あっ、私も!」
甘い匂いに、黄色い声。
お菓子の包みを差し出す後輩に囲まれる、早苗の姿。
今日、一年生は調理実習だったらしい。
こうした光景をバレンタインにも見た覚えがある。
ありがとう、と受け取る早苗の笑みも。
果たして、簡単に喜んで良いものだか。
よく知らない相手から食べ物を貰うのは、有り難迷惑な方が多い。
それも完全に密封された売り物でなく手作り。
勿論、全ての場合に当て嵌まるとも言えないものの。
制服姿の部員が消えた事を確認し、閉ざされた扉。
早苗の手元で鍵が鳴った。
職員室に鍵を返せば今度こそ終わり。
帰り道が途中まで一緒の為、雪菜も連れ添って。
まだ明るい茜色の廊下。
伸びた影は二つ、それぞれ長さが違う。
本来、此の役目を負う筈の部長は真っ先に帰って行く。
いつでも適当な用を言い訳に。
権力を握っておきながら、責任だけは早苗のものなのだ。
「付き合せちゃって、ごめんね。」
「別に……、アズの所為じゃないし。」
大人しく部長に従う早苗に対して時に苛立ちも。
しかしそんな時、口出しする事ではないと雪菜は無言になる。
早苗が現状を変えようとする姿勢が見えないのだ。
抗おうとしなければ、ずっと此の侭。
人の役に立ちたいと思うのは美徳。
けれど、その善意が利用される事もよくある話。
今は此の程度でも、そのうち酷い目に遭うだろう。
いや、もしかしたら既に何度も傷付けられてきたのかもしれない。
雪菜が知らないだけで。
自分に関係無い筈でも、ついそんな事を考えてしまう。
だから、付き合いがあっても早苗は少し苦手な相手だった。
見ないようにして通り過ぎるには危なっかしい。
目が離せなくなる時があるのだ。
「駅前って新しいお店出来たよね、何だっけ?」
「反対側だから行った事無いけど……確かミスドだったわね。」
放課後の静かな空間、ぽつりぽつり短い会話を落としながら進む。
一緒の時、盛り上がると云う感じにはならない。
口が悪い事は自覚あるだけに、雪菜からあまり面白い話題が振れず。
それでも、沈黙になろうと重くない。
視線が交わらない時でも繋がりはあるのだ。
職員室を出て、正面玄関へと続く長い廊下。
此処からは中庭がよく見える。
桜も風に消え去って紅い芯のみを残し、近付く若葉の季節。
何気なく窓の外に視線を移して、見慣れた姿に気付いた。
あれは、早苗にお菓子を渡していた後輩の一人。
それから木々で陰になった辺りでも、確かに見えた。
例の包みを手にした男子生徒。
まぁ、そんなものだろう。
中身が早苗と同じ物だとしても託された感情は違う。
どんなに後輩から「好き」と騒がれようと、一線を越えない。
男女で分かつ限り。
雪菜から見える光景は、隣の早苗からも同じく。
一瞬だけ盗み見た表情。
男に敵わない事を彼女も知っているのだ。
軽く伏せた瞼は、切なげ。
受け取っていた時に嬉しそうだっただけに。
「……お腹空くわよね、部活の後って。」
窓に背を向けて雪菜が切り出した。
見上げてみた早苗の方は、意味を図りかねながらも曖昧に頷く。
「ミスド、行ってみる?確か今100円だったし。」
「えっ?!」
「何、嫌なの?時間無いとかなら……」
「い、行く!嬉しい!」
鞄を抱いたまま今度こそ強く頷いた。
先程までの陰りを晴らして。
最後の一年の間、いつしか友達としての日々は色を変える。
部活を引退してから伸ばし始めた髪は、早苗によく似合っていた。
軽い気持ちじゃ手を伸ばせない。
触れてしまえば、もう戻れなくなる感情。
女同士ならただの戯れ合いだったと笑って済むかもしれない。
けれど、それは出来そうもなかった。
何より自分にとっても。
その先、どうなるかなんて分からないけれど。
「言わないから伝わんないのよ、あんたは。」
卒業式の帰り道、雪菜が凛と響かせた声。
繋がりが切れるか否かの賭け。
好きだと言って欲しい、早く早く。
決心は出来ている。
私なら、同じ意味の言葉を返せるから。
本来それは長所である筈だった。
もっと優しい人間ならば。
相手の望みと云うのは勝手なものだ。
例えばの話、誰かが1つしかない物を手に入れたとする。
すると、同様に欲していた他の誰かを落胆させる事になってしまう。
全部に応えて叶えるなんて出来る訳が無いのだ。
神様じゃあるまいし。
だから、気付いても横目で通り過ぎる術を身に付けた。
私の知った事ではないと雪菜は呟く。
高い窓から差し込む夕陽に染まり、影の濃い体育館。
先程まで弾んでいたボールは籠の中で眠る。
本日のバスケ部は終了。
床を磨いていたバッシュの音も鳴り止んだ広い空間。
今騒がしいのは、片隅の更衣室である。
散々走り回るのも毎日の事だ。
すっかり慣れてしまった学生達は夕方でも元気。
女子更衣室は、いつも清涼感のある香りで噎せ返ってしまう。
混ざり合った制汗剤に隠される熱。
タンクトップを脱ぎ捨てるとスプレーで匂い立つ。
薄く筋肉がついた身体に、愛らしいレース。
ユニフォームの下は誰でも乙女。
手早く着替える雪菜も缶を取ったが、空だと気付いて蓋を戻す。
押し出されるのは弱い匂いと音だけ。
必需品だけに減りが早い。
隣に借りる事だって出来る、けれど少し躊躇ってしまう。
此処に、例の"神様"とやらが居る。
要は周囲から押し付けられているだけなのだが。
そんな損な役回りだった、早苗は。
長身が揃うバスケ部でも目立つ存在。
黒褐色のショートカットは、後姿だと男子にも見える。
人気に関してはそれ以上か。
黒褐色のショートカットに、柔らかな表情と人柄。
不慣れな一年生にも指導は飽くまで優しい。
綺麗で頼り甲斐のある先輩。
そう云う訳で、後輩の女子達から大変懐かれていた。
付き合いこそ一年生の頃から、そして今年、初めて同じクラスになった。
共にする時間が増えた事で、距離も縮まりつつある。
だからこそ気付いてしまった。
何事にも興味を持たないように見える雪菜だが、洞察力は鋭い。
以前からの一つの疑惑は確信に近くなった。
相手が男女かで、早苗には僅かな温度差がある。
異性に対して媚びる訳ではない、寧ろ、その逆。
同性と一緒に居る時の方が温かくなるのだ。
それだけならば何も可笑しくなく、誰でも当然の事。
しかし、親しみ易さで和らぐ訳ではない。
感情とは声や仕草の端々に表れる。
雪菜が直感を信じるなら、早苗は同性愛者かもしれない。
だから何だと云う事でもないが。
「アズ先輩、良かったらどうぞ!」
「あっ、私も!」
甘い匂いに、黄色い声。
お菓子の包みを差し出す後輩に囲まれる、早苗の姿。
今日、一年生は調理実習だったらしい。
こうした光景をバレンタインにも見た覚えがある。
ありがとう、と受け取る早苗の笑みも。
果たして、簡単に喜んで良いものだか。
よく知らない相手から食べ物を貰うのは、有り難迷惑な方が多い。
それも完全に密封された売り物でなく手作り。
勿論、全ての場合に当て嵌まるとも言えないものの。
制服姿の部員が消えた事を確認し、閉ざされた扉。
早苗の手元で鍵が鳴った。
職員室に鍵を返せば今度こそ終わり。
帰り道が途中まで一緒の為、雪菜も連れ添って。
まだ明るい茜色の廊下。
伸びた影は二つ、それぞれ長さが違う。
本来、此の役目を負う筈の部長は真っ先に帰って行く。
いつでも適当な用を言い訳に。
権力を握っておきながら、責任だけは早苗のものなのだ。
「付き合せちゃって、ごめんね。」
「別に……、アズの所為じゃないし。」
大人しく部長に従う早苗に対して時に苛立ちも。
しかしそんな時、口出しする事ではないと雪菜は無言になる。
早苗が現状を変えようとする姿勢が見えないのだ。
抗おうとしなければ、ずっと此の侭。
人の役に立ちたいと思うのは美徳。
けれど、その善意が利用される事もよくある話。
今は此の程度でも、そのうち酷い目に遭うだろう。
いや、もしかしたら既に何度も傷付けられてきたのかもしれない。
雪菜が知らないだけで。
自分に関係無い筈でも、ついそんな事を考えてしまう。
だから、付き合いがあっても早苗は少し苦手な相手だった。
見ないようにして通り過ぎるには危なっかしい。
目が離せなくなる時があるのだ。
「駅前って新しいお店出来たよね、何だっけ?」
「反対側だから行った事無いけど……確かミスドだったわね。」
放課後の静かな空間、ぽつりぽつり短い会話を落としながら進む。
一緒の時、盛り上がると云う感じにはならない。
口が悪い事は自覚あるだけに、雪菜からあまり面白い話題が振れず。
それでも、沈黙になろうと重くない。
視線が交わらない時でも繋がりはあるのだ。
職員室を出て、正面玄関へと続く長い廊下。
此処からは中庭がよく見える。
桜も風に消え去って紅い芯のみを残し、近付く若葉の季節。
何気なく窓の外に視線を移して、見慣れた姿に気付いた。
あれは、早苗にお菓子を渡していた後輩の一人。
それから木々で陰になった辺りでも、確かに見えた。
例の包みを手にした男子生徒。
まぁ、そんなものだろう。
中身が早苗と同じ物だとしても託された感情は違う。
どんなに後輩から「好き」と騒がれようと、一線を越えない。
男女で分かつ限り。
雪菜から見える光景は、隣の早苗からも同じく。
一瞬だけ盗み見た表情。
男に敵わない事を彼女も知っているのだ。
軽く伏せた瞼は、切なげ。
受け取っていた時に嬉しそうだっただけに。
「……お腹空くわよね、部活の後って。」
窓に背を向けて雪菜が切り出した。
見上げてみた早苗の方は、意味を図りかねながらも曖昧に頷く。
「ミスド、行ってみる?確か今100円だったし。」
「えっ?!」
「何、嫌なの?時間無いとかなら……」
「い、行く!嬉しい!」
鞄を抱いたまま今度こそ強く頷いた。
先程までの陰りを晴らして。
最後の一年の間、いつしか友達としての日々は色を変える。
部活を引退してから伸ばし始めた髪は、早苗によく似合っていた。
軽い気持ちじゃ手を伸ばせない。
触れてしまえば、もう戻れなくなる感情。
女同士ならただの戯れ合いだったと笑って済むかもしれない。
けれど、それは出来そうもなかった。
何より自分にとっても。
その先、どうなるかなんて分からないけれど。
「言わないから伝わんないのよ、あんたは。」
卒業式の帰り道、雪菜が凛と響かせた声。
繋がりが切れるか否かの賭け。
好きだと言って欲しい、早く早く。
決心は出来ている。
私なら、同じ意味の言葉を返せるから。
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2012.04.06 ▲
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