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仄暗い空間にアイシャドウの瞼が力無く震える。
開かれた紫の瞳に映ったのは、見知らぬ天井と隣で眠る大男。
さて、此処は何処か。
夢の続きかと錯覚したのも一瞬。
夜を思い出して、七海から重い溜息が抜け出ていく。
カーテンの隙から空を覗けば朱色の早朝。
部屋の主が寝付いたら、そっと退散しようと思っていたのに。
結局あのまま一晩経ってしまった。
月明かりだけの寝床で横になっていたら当然か。
2週間連続使用タイプのコンタクトは付けたままでも眠れる。
化粧もしたままだったので肌に悪い。
其処は目を瞑る事にしても、頬に触れると微妙にざらつく。
元々髭は濃くないのだが気になる。
女になりきっている時は美意識も同様なので、大問題。
藤色のワンピースにデニムシャツを羽織った姿には不似合い。
これからどうするか?
とりあえずは、洗面所を借りるとしよう。
秋一の寝息を乱さず、何とか重い腕を外す。
静かに身を捩って脱出成功。
自分より大きな者の胸に収まる形なんて忘れていた。
せいぜい両親くらいだろうが、物心ついた頃からの記憶には薄い。
大事にされる姉に、可愛がられる妹。
真ん中の子供が家に寄り付かず自由に育つのは、よくある事。
それも男なら尚更だろう。
誰かと一つのブランケットを分け合うのも、いつ以来か。
前の彼女とは高校卒業から間も無く縁が切れた。
ただの恋より刺激的なキャバクラの夜。
専門学校に入ってからは、嬢として男に出逢う方が圧倒的。
普段ふざけている時の印象が強く、付き合いやすい性格。
けれど、七海の全てではない。
長い睫毛を軽く伏せた表情は、相手をどきりとさせる影を持つ。
異性に化ける事もあるだけに身に付いた。
黒髪を掬う指先、ふとした仕草にも色気が宿る。
寄って来る女の子も複数居たが、深い仲になってもあまり続かない。
昔から友人が多いので充分楽しかったし。
借りた剃刀を置いて蛇口を捻る手。
流水に洗われ、渦を描いて泡が消えていく。
タオルから顔を上げた七海が鏡と向き合う。
洗顔の間、邪魔なので外していたウィッグも被り直して。
化粧を落としてもまだ女に見える。
カフェオレ色の巻き癖が乱れてしまっているのが困る程度か。
そこそこ身形が整えば気持ちも改まる。
色々と流れに任せるままだったが、いつまでもそう言えず。
目覚めたからには此処に長居すべきではない。
片手にバッグを抱えて玄関まで忍び足。
まだ寝ているなら、戸締りしておいてあげるべきか。
それなら鍵は何処だろう。
探す眼が見回して、振り向いて、そして止まった。
紫と交差する褐色の視線。
「あ……っ、あの……!」
寝覚めで渇いていた、秋一の喉が絞り出した低音。
しかし、それきり上擦るばかり。
言いたい事は山ほど、けれど声にならないと云うところ。
元から癖毛なので、起き抜けは更に跳ねてしまっている黒褐色。
這い出たブランケットの上で秋一が正座する。
どうやら覚えているらしい。
申し訳なさそうな、恥ずかしそうな、居た堪れない表情。
大きな身体が隠れる訳がないのに。
肩を縮こまらせて、今にも消え入る雰囲気。
「大人になると弱み見せられないもんな、特に男は……
だから寄り掛かる為に俺らみたいのが居る訳だし。
まぁ、昨夜のは特別無料サービス残業って事にしとくけど。」
恥の上塗りになるか。
此れでお互い様になるか。
双方の可能性はあれども密かな決心。
小さく咳払いして、此方も痛い部分を見せた。
何も繕わず"七海"の声。
「……え?ちょ、あの……、男性、ですか?」
「長年連れ添った、息子とお袋さんが居ます。」
相手の驚きは声だけで感じて、顔を見ないまま。
じゃ、と一つ手を振って足早に去った。
後には何も残さずに。
最後の一言は余計だった、間違いなく。
何故あんな阿呆な事口走ったのやら。
思い出し笑いしては苦くて、缶ビールの味で誤魔化す。
先程のコンビニでの勢い任せの購入。
商品は割高でも、立ち寄る時間を気にしなくて良いのは便利。
「お前……、朝っぱらから酒とか良い御身分だな。」
隣の烏丸が、レンズ越しに鋭い眼光を更に尖らせる。
運転に集中するので睨むのも一瞬だけ。
顔の一部になりきってない眼鏡は、やはり浮いて見えた。
「良いでしょ、いつも夜呑めないんだし今くらい。」
「……俺も呑んでないけどな。」
景色とは夜と朝で全く違って見えるもの。
アパートから記憶を頼りに歩いて行き、何とか知っている道に出た。
今日は土曜日、学校も休みなのでバイトの夕方まで眠れる。
とは云えど、帰ろうにも街を二つ越える距離。
今回の件で、一番迷惑を被ったのは烏丸だろう。
夜も遅かったのに七海の電話で叩き起こされ、迎えを頼まれる損な役割。
「深夜とか明け方に運転するのは怖いな……
周りの連中、車少ないからって高速道路並みで飛ばすし。」
「そうやね、さっきの後ろのトラックとか。
ウィンカー出してんのに、減速したらクラクション鳴らすって何様?」
仏頂面は年中変わらないので七海には怖くない。
文句を零しても素直に応じる辺り、実に人が良過ぎる。
知っている上での我が侭だ。
「番長、帰ったらさ……」
「……二度寝する。」
「ですよねー。」
「お前もだろうけどな……、飯は昼まで待ってろ。」
そう云えば、まともな食事なんて昨日の出勤前に済ませたきり。
店ではほとんど烏龍茶しか飲まないので当然の空腹。
ビールのついで、何となく手に取ったパンがコンビニ袋に1つ。
とりあえず朝食にはなるか。
勿論きちんとした物も欲しい、そう、例えば。
「あれ美味かったな、こないだの……ロールキャベツ。」
強請るつもりはないのだが、ぽつり零れた。
いつもと全く違う味だっただけに七海もよく覚えている。
柔らかく煮込まれたキャベツの衣。
箸で裂けば、旨みを閉じ込めた鶏団子。
和風出汁が疲れた身体に沁みて、優しい美味さだった。
「あぁ、あれな……分かった、レシピ訊いておく。」
「ん?番長が作ったんじゃないの?」
「いや、店の新メニュー……、タッパー分だけお裾分けして貰った。」
「そうやね、あれは金払う価値ある。」
その後に台所を見ても何処にも残っていなかった訳だ、道理で。
キャベツを丸ごと使う料理。
作るとしたら、どうやっても鍋一杯になってしまう。
「それでな、あれ作ったのが……昨日の、東さん。」
ビールを噎せそうになった寸前、無理やり飲み込んだ。
そう動揺する事もあるまいに。
ゆっくりと朱色が抜け落ちれば、空は見慣れた青。
妙な朝を迎えた七海にはあまりに爽快な。
ごった煮の気持ちも車に運ばれて、また一日が始まる。
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開かれた紫の瞳に映ったのは、見知らぬ天井と隣で眠る大男。
さて、此処は何処か。
夢の続きかと錯覚したのも一瞬。
夜を思い出して、七海から重い溜息が抜け出ていく。
カーテンの隙から空を覗けば朱色の早朝。
部屋の主が寝付いたら、そっと退散しようと思っていたのに。
結局あのまま一晩経ってしまった。
月明かりだけの寝床で横になっていたら当然か。
2週間連続使用タイプのコンタクトは付けたままでも眠れる。
化粧もしたままだったので肌に悪い。
其処は目を瞑る事にしても、頬に触れると微妙にざらつく。
元々髭は濃くないのだが気になる。
女になりきっている時は美意識も同様なので、大問題。
藤色のワンピースにデニムシャツを羽織った姿には不似合い。
これからどうするか?
とりあえずは、洗面所を借りるとしよう。
秋一の寝息を乱さず、何とか重い腕を外す。
静かに身を捩って脱出成功。
自分より大きな者の胸に収まる形なんて忘れていた。
せいぜい両親くらいだろうが、物心ついた頃からの記憶には薄い。
大事にされる姉に、可愛がられる妹。
真ん中の子供が家に寄り付かず自由に育つのは、よくある事。
それも男なら尚更だろう。
誰かと一つのブランケットを分け合うのも、いつ以来か。
前の彼女とは高校卒業から間も無く縁が切れた。
ただの恋より刺激的なキャバクラの夜。
専門学校に入ってからは、嬢として男に出逢う方が圧倒的。
普段ふざけている時の印象が強く、付き合いやすい性格。
けれど、七海の全てではない。
長い睫毛を軽く伏せた表情は、相手をどきりとさせる影を持つ。
異性に化ける事もあるだけに身に付いた。
黒髪を掬う指先、ふとした仕草にも色気が宿る。
寄って来る女の子も複数居たが、深い仲になってもあまり続かない。
昔から友人が多いので充分楽しかったし。
借りた剃刀を置いて蛇口を捻る手。
流水に洗われ、渦を描いて泡が消えていく。
タオルから顔を上げた七海が鏡と向き合う。
洗顔の間、邪魔なので外していたウィッグも被り直して。
化粧を落としてもまだ女に見える。
カフェオレ色の巻き癖が乱れてしまっているのが困る程度か。
そこそこ身形が整えば気持ちも改まる。
色々と流れに任せるままだったが、いつまでもそう言えず。
目覚めたからには此処に長居すべきではない。
片手にバッグを抱えて玄関まで忍び足。
まだ寝ているなら、戸締りしておいてあげるべきか。
それなら鍵は何処だろう。
探す眼が見回して、振り向いて、そして止まった。
紫と交差する褐色の視線。
「あ……っ、あの……!」
寝覚めで渇いていた、秋一の喉が絞り出した低音。
しかし、それきり上擦るばかり。
言いたい事は山ほど、けれど声にならないと云うところ。
元から癖毛なので、起き抜けは更に跳ねてしまっている黒褐色。
這い出たブランケットの上で秋一が正座する。
どうやら覚えているらしい。
申し訳なさそうな、恥ずかしそうな、居た堪れない表情。
大きな身体が隠れる訳がないのに。
肩を縮こまらせて、今にも消え入る雰囲気。
「大人になると弱み見せられないもんな、特に男は……
だから寄り掛かる為に俺らみたいのが居る訳だし。
まぁ、昨夜のは特別無料サービス残業って事にしとくけど。」
恥の上塗りになるか。
此れでお互い様になるか。
双方の可能性はあれども密かな決心。
小さく咳払いして、此方も痛い部分を見せた。
何も繕わず"七海"の声。
「……え?ちょ、あの……、男性、ですか?」
「長年連れ添った、息子とお袋さんが居ます。」
相手の驚きは声だけで感じて、顔を見ないまま。
じゃ、と一つ手を振って足早に去った。
後には何も残さずに。
最後の一言は余計だった、間違いなく。
何故あんな阿呆な事口走ったのやら。
思い出し笑いしては苦くて、缶ビールの味で誤魔化す。
先程のコンビニでの勢い任せの購入。
商品は割高でも、立ち寄る時間を気にしなくて良いのは便利。
「お前……、朝っぱらから酒とか良い御身分だな。」
隣の烏丸が、レンズ越しに鋭い眼光を更に尖らせる。
運転に集中するので睨むのも一瞬だけ。
顔の一部になりきってない眼鏡は、やはり浮いて見えた。
「良いでしょ、いつも夜呑めないんだし今くらい。」
「……俺も呑んでないけどな。」
景色とは夜と朝で全く違って見えるもの。
アパートから記憶を頼りに歩いて行き、何とか知っている道に出た。
今日は土曜日、学校も休みなのでバイトの夕方まで眠れる。
とは云えど、帰ろうにも街を二つ越える距離。
今回の件で、一番迷惑を被ったのは烏丸だろう。
夜も遅かったのに七海の電話で叩き起こされ、迎えを頼まれる損な役割。
「深夜とか明け方に運転するのは怖いな……
周りの連中、車少ないからって高速道路並みで飛ばすし。」
「そうやね、さっきの後ろのトラックとか。
ウィンカー出してんのに、減速したらクラクション鳴らすって何様?」
仏頂面は年中変わらないので七海には怖くない。
文句を零しても素直に応じる辺り、実に人が良過ぎる。
知っている上での我が侭だ。
「番長、帰ったらさ……」
「……二度寝する。」
「ですよねー。」
「お前もだろうけどな……、飯は昼まで待ってろ。」
そう云えば、まともな食事なんて昨日の出勤前に済ませたきり。
店ではほとんど烏龍茶しか飲まないので当然の空腹。
ビールのついで、何となく手に取ったパンがコンビニ袋に1つ。
とりあえず朝食にはなるか。
勿論きちんとした物も欲しい、そう、例えば。
「あれ美味かったな、こないだの……ロールキャベツ。」
強請るつもりはないのだが、ぽつり零れた。
いつもと全く違う味だっただけに七海もよく覚えている。
柔らかく煮込まれたキャベツの衣。
箸で裂けば、旨みを閉じ込めた鶏団子。
和風出汁が疲れた身体に沁みて、優しい美味さだった。
「あぁ、あれな……分かった、レシピ訊いておく。」
「ん?番長が作ったんじゃないの?」
「いや、店の新メニュー……、タッパー分だけお裾分けして貰った。」
「そうやね、あれは金払う価値ある。」
その後に台所を見ても何処にも残っていなかった訳だ、道理で。
キャベツを丸ごと使う料理。
作るとしたら、どうやっても鍋一杯になってしまう。
「それでな、あれ作ったのが……昨日の、東さん。」
ビールを噎せそうになった寸前、無理やり飲み込んだ。
そう動揺する事もあるまいに。
ゆっくりと朱色が抜け落ちれば、空は見慣れた青。
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2012.05.28 ▲
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