林檎に牙を:全5種類
仄暗い空間にアイシャドウの瞼が力無く震える。
開かれた紫の瞳に映ったのは、見知らぬ天井と隣で眠る大男。

さて、此処は何処か。

夢の続きかと錯覚したのも一瞬。
夜を思い出して、七海から重い溜息が抜け出ていく。

カーテンの隙から空を覗けば朱色の早朝。
部屋の主が寝付いたら、そっと退散しようと思っていたのに。
結局あのまま一晩経ってしまった。
月明かりだけの寝床で横になっていたら当然か。


2週間連続使用タイプのコンタクトは付けたままでも眠れる。
化粧もしたままだったので肌に悪い。
其処は目を瞑る事にしても、頬に触れると微妙にざらつく。
元々髭は濃くないのだが気になる。
女になりきっている時は美意識も同様なので、大問題。
藤色のワンピースにデニムシャツを羽織った姿には不似合い。

これからどうするか?
とりあえずは、洗面所を借りるとしよう。


秋一の寝息を乱さず、何とか重い腕を外す。
静かに身を捩って脱出成功。
自分より大きな者の胸に収まる形なんて忘れていた。

せいぜい両親くらいだろうが、物心ついた頃からの記憶には薄い。
大事にされる姉に、可愛がられる妹。
真ん中の子供が家に寄り付かず自由に育つのは、よくある事。
それも男なら尚更だろう。

誰かと一つのブランケットを分け合うのも、いつ以来か。

前の彼女とは高校卒業から間も無く縁が切れた。
ただの恋より刺激的なキャバクラの夜。
専門学校に入ってからは、嬢として男に出逢う方が圧倒的。

普段ふざけている時の印象が強く、付き合いやすい性格。
けれど、七海の全てではない。

長い睫毛を軽く伏せた表情は、相手をどきりとさせる影を持つ。
異性に化ける事もあるだけに身に付いた。
黒髪を掬う指先、ふとした仕草にも色気が宿る。
寄って来る女の子も複数居たが、深い仲になってもあまり続かない。
昔から友人が多いので充分楽しかったし。



借りた剃刀を置いて蛇口を捻る手。
流水に洗われ、渦を描いて泡が消えていく。

タオルから顔を上げた七海が鏡と向き合う。
洗顔の間、邪魔なので外していたウィッグも被り直して。
化粧を落としてもまだ女に見える。
カフェオレ色の巻き癖が乱れてしまっているのが困る程度か。

そこそこ身形が整えば気持ちも改まる。
色々と流れに任せるままだったが、いつまでもそう言えず。
目覚めたからには此処に長居すべきではない。


片手にバッグを抱えて玄関まで忍び足。
まだ寝ているなら、戸締りしておいてあげるべきか。
それなら鍵は何処だろう。

探す眼が見回して、振り向いて、そして止まった。
紫と交差する褐色の視線。


「あ……っ、あの……!」

寝覚めで渇いていた、秋一の喉が絞り出した低音。
しかし、それきり上擦るばかり。
言いたい事は山ほど、けれど声にならないと云うところ。

元から癖毛なので、起き抜けは更に跳ねてしまっている黒褐色。
這い出たブランケットの上で秋一が正座する。
どうやら覚えているらしい。
申し訳なさそうな、恥ずかしそうな、居た堪れない表情。

大きな身体が隠れる訳がないのに。
肩を縮こまらせて、今にも消え入る雰囲気。


「大人になると弱み見せられないもんな、特に男は……
 だから寄り掛かる為に俺らみたいのが居る訳だし。
 まぁ、昨夜のは特別無料サービス残業って事にしとくけど。」

恥の上塗りになるか。
此れでお互い様になるか。

双方の可能性はあれども密かな決心。
小さく咳払いして、此方も痛い部分を見せた。
何も繕わず"七海"の声。


「……え?ちょ、あの……、男性、ですか?」
「長年連れ添った、息子とお袋さんが居ます。」

相手の驚きは声だけで感じて、顔を見ないまま。
じゃ、と一つ手を振って足早に去った。
後には何も残さずに。




最後の一言は余計だった、間違いなく。
何故あんな阿呆な事口走ったのやら。

思い出し笑いしては苦くて、缶ビールの味で誤魔化す。
先程のコンビニでの勢い任せの購入。
商品は割高でも、立ち寄る時間を気にしなくて良いのは便利。

「お前……、朝っぱらから酒とか良い御身分だな。」

隣の烏丸が、レンズ越しに鋭い眼光を更に尖らせる。
運転に集中するので睨むのも一瞬だけ。
顔の一部になりきってない眼鏡は、やはり浮いて見えた。

「良いでしょ、いつも夜呑めないんだし今くらい。」
「……俺も呑んでないけどな。」


景色とは夜と朝で全く違って見えるもの。
アパートから記憶を頼りに歩いて行き、何とか知っている道に出た。
今日は土曜日、学校も休みなのでバイトの夕方まで眠れる。
とは云えど、帰ろうにも街を二つ越える距離。

今回の件で、一番迷惑を被ったのは烏丸だろう。
夜も遅かったのに七海の電話で叩き起こされ、迎えを頼まれる損な役割。

「深夜とか明け方に運転するのは怖いな……
 周りの連中、車少ないからって高速道路並みで飛ばすし。」
「そうやね、さっきの後ろのトラックとか。
 ウィンカー出してんのに、減速したらクラクション鳴らすって何様?」

仏頂面は年中変わらないので七海には怖くない。
文句を零しても素直に応じる辺り、実に人が良過ぎる。
知っている上での我が侭だ。


「番長、帰ったらさ……」
「……二度寝する。」
「ですよねー。」
「お前もだろうけどな……、飯は昼まで待ってろ。」

そう云えば、まともな食事なんて昨日の出勤前に済ませたきり。
店ではほとんど烏龍茶しか飲まないので当然の空腹。

ビールのついで、何となく手に取ったパンがコンビニ袋に1つ。
とりあえず朝食にはなるか。
勿論きちんとした物も欲しい、そう、例えば。

「あれ美味かったな、こないだの……ロールキャベツ。」

強請るつもりはないのだが、ぽつり零れた。
いつもと全く違う味だっただけに七海もよく覚えている。

柔らかく煮込まれたキャベツの衣。
箸で裂けば、旨みを閉じ込めた鶏団子。
和風出汁が疲れた身体に沁みて、優しい美味さだった。


「あぁ、あれな……分かった、レシピ訊いておく。」
「ん?番長が作ったんじゃないの?」
「いや、店の新メニュー……、タッパー分だけお裾分けして貰った。」
「そうやね、あれは金払う価値ある。」

その後に台所を見ても何処にも残っていなかった訳だ、道理で。
キャベツを丸ごと使う料理。
作るとしたら、どうやっても鍋一杯になってしまう。

「それでな、あれ作ったのが……昨日の、東さん。」

ビールを噎せそうになった寸前、無理やり飲み込んだ。
そう動揺する事もあるまいに。


ゆっくりと朱色が抜け落ちれば、空は見慣れた青。
妙な朝を迎えた七海にはあまりに爽快な。
ごった煮の気持ちも車に運ばれて、また一日が始まる。

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2012.05.28