林檎に牙を:全5種類
「あの、試着良いですか?」

だからこそ此の言葉を待っていた。
"彼女"が来店したのは暫く後。


なるべくグラマーサイズも揃えるようにしているのは前々から。
けれど、流石に要望までは分からない。
好みと一致しなかったらしく、すぐ帰るだけの日が続いての事。
今日になって、やっとお気に召す物と出逢えたらしい。

きっと色白の肌によく似合うと思う。
選び取った下着は、チョコレート色の花が咲く淡い桃色。
お菓子を連想させる甘いデザイン。


どうぞ、と試着室まで送ってカーテンが閉まる。
きちんと身体に合っているか否か。
此処まで来て駄目ならがっかりさせてしまう。
その為、待つ時間は妙な緊張を含む。

「すみませーん、会計お願いします。」

けれど、すぐに別のお客さんに呼ばれてしまう。
生憎と今の時間は私一人。
離れてレジを打っても、意識は何となく試着室。

どうも気になって落ち着かないのに。
こう云う時に限り、細々した物が多くて手間取ってしまう。


「あっ、此れ下さい!」

そうこうしているうちに、勢い良く開かれるカーテン。
合っていたなら何よりだけど。
そんなに嬉しいのか、財布を開くにも上機嫌。

なかなか溜まらず、よれ気味のポイントカード。
律儀に記された名前は……、八木椿さん。

折り重なる花弁のようなスカートと良い、よく似合って愛らしい。
尤も、彼女から思い起こさせる色は赤より白。
目にするたび、密かに考える事。


「お好みの物見つかったようで……、良かったです。」
「はいっ、甘い感じのデザインずっと探してたから嬉しくて!」

どんな体形であっても、女性は少なからずコンプレックスを抱く。
そう口にしていたのは誰だったか。
けれど、見えない所で着飾れるのも女性だけの愉しみ。
レースは柔らかに優しく身体を包み込む。


装う物を提供するのが私の仕事。
それが、彼女一人だけの愉しみだなんて限らなくても。


それから後日、またメインストリートで彼女を見掛けた。
隣に、金茶の髪で長身の男の子。
店内に視線を送っても一瞬、前を素通りしてすぐに消える。

カップルだって毎日幾らでも居るし、連れ添って訪れる事もある。
でもあれは、ずっと考えないようにしていた事。
ランジェリーショップに通う理由なんて、彼氏の為に決まっているのに。
目の当たりにしてしまうと鈍い重みが圧し掛かる。

何だか、身体の真ん中が気持ち悪い。

桃色とチョコレートを纏った彼女の素肌。
あの男の子は、もう見たのだろうか。


そんなに泣いてばかりで酷い顔してると、お嫁に行けなくなる。


祖母に言い聞かされていた台詞が不意に蘇る。
私は男の子なんて要らない。
どうせ好きな女の子に触れる事が叶わないのなら。

自覚した瞬間の失恋。
息が詰まりそうな中で滲んでいく視界。

限界まで膨らんだ涙が、透明な珠になって零れ落ちる。
目を腫らして接客する訳にいかないのに。
無人の店内、レジカウンターに隠れて泣いた。




「稲荷さん……、大丈夫?」

不意に、胸にまで沁み込んでいたピアノが遠退く。
片側だけのイヤホンを外された所為。

もう一方に繋がるのは、シュシュで纏められた髪の中。
眼前のパソコンからすぐ隣へ移した視線。
此方を覗き込む、少し戸惑った椿ちゃんの表情。


「そんなに泣く程、でした?」
「ん……、こんなの作っちゃうなんて、凄いと思って。」

あまり至近距離で見ないで欲しい。
簡単に泣いたりして、恥ずかしくなってしまう。
けれど顔を隠すまでも無かった。

「稲荷さん、可愛い。」

優しく巻き付いた細い腕。
甘く緩んだ声色一つ、抱き締められた。
腰掛けた状態のままでは胸元に顔が埋まる形になる。

私の涙で水玉が散ったTシャツ。
ふかふかの柔らかさに安堵して、目を閉じた。



こうなった切っ掛けは一つの勇気。
渡すだけなら、と震えを噛み殺して差し出したトリュフ。
それが今年のバレンタインの出来事。

あれから知った、名前以外の情報。

幼稚園の先生になりたくて前々からピアノをやっていること。
それが高じて、自分でもVOCALOIDを使って曲を作っていること。
動画サイトにも投稿して「カプラP」の名前で知られていること。
岸さんと同じ大学で、そうしたサークル活動をしていること。

あの男の子は友達で、彼氏なんて居ないこと。
「LuLu」に通っていた本当の理由は、私に会いたかったこと。


「そろそろ……、名前の方で呼んで欲しいな。」
「あっ、はい、えっと……、す、すずみ……涼さん。」

涙で言葉が詰まったままじゃ知り得なかった。
大切な事も全部。
目許を拭ったら、笑みに変わる。

*end

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2012.06.21