林檎に牙を:全5種類
作中の歌は此方から(YouTube)。

*十面相
新しい人格作り上げ 私たちの感情は入れ替わる


「あー……!」

胸に燻った形容し難い物。
マイクに向かって叫んだって少しも減らない。
勢い余って、がなり声になってしまう。

まだ喉を嗄らす訳にいかないのに。
歌はまだ始まったばかり。


歌い手"GIGI"のリストに新しく加わる曲はGUMIの「十面相」。
現在、収録の真っ最中。
防音効果抜群のマンションは、叫んでも一室にしか響かず。

今回は烏丸と組まずにソロである。
女性の声を10人分使い分けてみようと云う挑戦。
その中に六花も居た。
他人事のように振舞う、5番目の人格。

此れは、恋を恐れて多重人格となった少女の物語。
いっその事そうなってしまいたい。
この度の選曲はそんな気分を抱えた七海による。

腹からの声に変えて、今はただ歌うだけ。


ずっと状況によって性別すら入れ替わり、巧く演じ分けてきた。
愉しんできたつもりが首を絞める事になるとは。

確かにキャバクラの従業員達には、本当は男だと明かしている。
素顔の七海まで知っているのは烏丸だけだった、けれど。
秘密を共有する相手が一人増えた。
それだけで秋一の存在は特別と、間違いない。

長身で圧倒されてしまったのも最初のうちだけ。
穏やかな雰囲気に、すぐ変わる表情。
反応が素直なので何をしていても見ていて飽きない。

奇妙な出逢いから数ヶ月、気まずくなって当然だろう。
その後、無理に関わる事も無いのに。
距離を置いた方が良いかと思っていると追い駆けてくる。
そうして烏丸を間に友人として付き合ってきた。

けれど、今度こそもう戻れない。


瞼の裏、思い浮かぶ秋一の表情は二つ。
膝に触れた時の赤い顔。
キスを見られた時の泣き顔。
舌先に沁み込んだ、甘い涙が不意に蘇る。

夜の街で過ごすうちに麻痺してしまった感覚。
故に男相手に抵抗が無いと云えども、同じではない。
客と秋一、唇に触れた意味。

金銭の絡まない行為なんていつ以来だったか。
秋一に好意があった、それは確か。

しかし、恋愛に踏み込む類の物なのやら。
キスした後で考えるのも今更。
順番が逆、ご尤も。

そして其れは"誰"の感情なのだろう、七海か六花か。


秋一だって、手痛い失恋をしたばかりだった。
出逢ったタイミングも毎日泣いて弱り果てていたところ。
優しくしてくれる者が其処へ現われたのだ。
風変わりな男であっても、第一印象は艶かしい女の姿。

彼もまだ若い、一時的な気の迷いで七海に惹かれる事も有り得る。
勝手な推測でもあながち間違いでもあるまい。


<初めて逢った夜、女だと思ったから声掛けられたんでしょう?>
<散々お客さん達を騙して稼いできたくせに。>
<東さんが好きなのは――……>

うざい。

小悪魔の六花が頭の中で話し掛けてきて、実に気持ち悪い。
本当は七海自身の言葉に過ぎないのに。


そうして歌った曲はパソコンに取り込まれる。
編集の際、ヘッドフォンを当ててみて七海は愕然とした。

重い感情を吐き出すつもりが、歴代最悪のコンディション。
特に最後のシャウトで思い切り裏返ってしまい、聴くに耐えない。
烏丸からは「音程が来い」の辛口評価が下される始末。
こんな出来で動画サイトにアップロードなど出来ず、やり直し。

<次は真面目に歌えよ?>

今、喋ったのは歌い手GIGI。
面目無いと七海が素直に謝っても、やはり頭の中だけ。

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2012.08.04