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林檎に牙を:全5種類
悪夢を思わせる雲が過ぎ去れば、洗われた朝が広がる。
澄んだ空と雫をしっとり浮かせた街。
夏草はたっぷり水を飲み、太陽を浴びて青々と匂い立つ。
眼を細めるほど何もかも眩しい。


「保志さん僕の車に忘れていったでしょう、傘。」

そうして前ばかり見ていたら、肩を叩く声に気付くのが遅れた。
実習室以外で遭うのは珍しい。
授業が始まる前の学校の渡り廊下、背後から早未が姿を現す。

次いで、やっと傘の事を思い出す。
指摘されるまで存在すら頭から消えていた。

「あっ、悪い。わざわざ持って来て……」
「ませんよ?」

訳が分からない。

此れは傘を渡してくれる流れではないのか、違うのか。
ぽかんと口を開けて声も無い拓真の代わり。
視線を投げて、早未が続きの言葉を。

「朝、家出る時は持ってたんですけどね……
 電車乗るには邪魔だったから、お店に寄って置いて来ました。」


それはつまり。




「お前、そう云う客寄せはどうなんだ……」
「どうって、何か文句でも?」

学校での一日が終わり、夕方の駅ビル。
キャスケット帽の制服姿の早未から傘を受け取った。


今日も店に来い、と云う事だ、要するに。

勿論それだけで帰る訳に行かずシフォンケーキも買わされる。
連日による外食は財布に響くのに。
送迎の件なら駐車料金で差し引きゼロ、義理も無い筈だが。

焼き菓子が匂い立って誘惑に満ちた店内。
小腹の空く時間帯、条件反射で食欲が先立ってしまう。

レジの前に立てば、拓真が選ぶのはバナナシフォン一択。
お土産用は小さめの紙型で焼きっぱなし。
箱を引っ繰り返しても崩れず、持ち帰りやすい仕様。
電車に揺られる客ばかりなので当然か。


此れで用事は済んだ、今度こそ清算終了。
箱を片手に立ち去ろうと。

「こんばんは……、保志さん。」

全くの不意に呼び止められて方向転換した足が止まる。

レジの順番待ち、背後に立っていた"誰か"。
スーツ姿の若い男が一人。
此方の名前を知っていて、拓真も見覚えがある顔立ち。

さて、どちら様?


身長は早未とそう変わらない程度だろうか。
黒々と艶めく髪は襟足まで。
小顔に中性的な面差しと良い、華のある印象の男だった。

スーツは漆黒の髪を引き立たせる濃紺。
ブルーグレーのシャツに臙脂のネクタイが洒落ている。
立派な身形からしても成人には間違いなく。
製菓の卒業生だろうか。

そして確かに何処かで見た、睫毛の長い猫目。


思考に数秒、拓真が気付くのが早いか。
崩れる表情、男が蹲って笑い出すのが早いか。

「……吃驚した?」

顔を上げた時には、もう見知った表情と声。
友達の恋人。
つい最近、彼女でないとばかり。

矢田部七海、秋一と付き合っている彼氏。


前髪を上げて整えたら、随分と雰囲気が変わるものだ。
今日は化粧もしていない素顔。
かっちりした格好、肩パッドの効果で骨格も男性的に見える。

そう云えば第一声もあの時聞いた低音。
先日、例の日曜の食事の席で。

「お前か……初めて見たぞ、そんな恰好……」
「コレは仕事着。いっやぁ、クマさんやっぱ面白いわー。」

漸く耳に慣れた呼び名、先程の「保志さん」は悪戯。
まだ笑いで揺れる七海の声。
驚かせておいて、腹を抱えているのが忌々しい。

駅ビルでの遭遇は偶然だとしても。
からかいに来たのだろうか、わざわざ店まで追い駆けて。

「そこまで暇じゃないって、此処で待ち合わせしてんの。」
「仕事関係か?ケーキ屋で?」
「いや、秋一。もう今日は終わったからお茶しよう、て。」
「仲良いな……、相変わらず。」

拓真が七海を紹介されるより前から、同棲もしていると聞いた。
二人きりの時間なら幾らでもあるだろうに。
帰りの寄り道、こうして共に甘い物を愉しむ辺り、良い感じらしい。
他人事でも何だか安心した。

この格好の七海と並べば、よくある男同士二人組にしか見えまい。
デートだと知っているのは当人達と、拓真だけか。


「と……レジ前で騒いで悪いね。遼二君、注文良い?」

拓真との会話を打ち切り、七海が早未に呼び掛ける。
一瞬だけ驚いた後に、ああ、と納得。
此処によく来るとしたら、秋一繋がりで顔見知りなのだろう。

けれど、返事は予想外。

「あ、すみません……、僕、熱が出たみたいで。
 早退するところなので、代わりの者にお願いします……」

やっと聞き取れるようなほとんど独り言、頭を下げる。
口許を抑えた表情はよく見えず。
それきり何処か呆けた足で、早未は奥へと消えて行った。

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2012.10.13