林檎に牙を:全5種類
アパートを横切る車のエンジン音。
刻々と深まる夜の静寂を微か震わせ、瞬きの間に消え去る。
切り取られた空間からは遠過ぎてまるで別世界の事。

「今度こそ諦めついた、てところか?」
「そうですね……、好きになって欲しかった、ですけど。」

眼鏡で顔を隠し、壁の掛け時計を見上げて。
涙を零さない為かもしれず。

早未は針が止まっている事を知らない。
もう日没から随分と経ち、酔いで感覚も曖昧になっている筈。
実際は1時間近くのズレ。
そう告げたら帰さないといけない頃だろうか。


頭を撫でる手と、触れ合った肩から伝わる体温。
吹き込む風は肌に優しい。
甘いオレンジが唇から匂い立ち、淡く色付かせる。
何もせず壊し難い空気。
穏やさが心地良くて、まだ此処に居たいと。

接客用に作られた表の顔ではないのに。
早未と居ると妙な事ばかり。
変に落ち着いたり、やたら騒がしかったり、拓真の感情を突き動かす。


甘い物なら学校でも家でも囲まれているのだ。
店に通っていたのは何もケーキだけが目当てじゃなかった。
錯覚だ、と否定する事も、もう無理らしい。

早未が気になっていた、本当の意味。


一回り年下、それも同性。
気付きたくなかった理由は信じ難かったからでは、ない。
男同士のカップルならあんなにも近くに居たのだ。
其処に嫌悪が無ければ。

望みが無いと思っていたから、目を逸らしていた。
早苗と並んだ時の柔らかな空気感もあって。

けれど、早未は男が好きだと判った今は?


ふんわり甘いと思いきや棘だらけ真っ黒。
店でしか知らなかった存在が、学校で初めて見せた面。
其れだって別に嫌いにならず。
そして、中身の全てなんかじゃなかった。

早未の事がもっと知りたい。



「お前さ……俺に対して、店と態度違うのは何でだ?」
「勤務時間外まで営業モードは出来ません。」
「あと、東の妹と付き合ってるのかと思ってたんだが……」
「さーちゃんは友達として好きですよ、僕がゲイって知ってますし。」

早未にとってそうだとしても、あちらは如何なのだろう。
第三者の目からは随分と親密そうに映る。
男女間では幼い頃のままの仲とはいかないのに。

そんな事を考えて、余計だったと静かに振り払う。
昨夜から様々な感情が駆け巡って忙しい。

ハンドルを握り直した拓真の手、隣に早未を乗せて闇を走る。


家まで早未を送り届ける途中、車内の会話だった。
やはり駅の東口から西口方面は遠回り。

拓真の家で一休みしたら、酔いも丁度良く醒めてきたらしい。
いつまでも引き止めておく訳にもいかず。
幾ら惜しくたって、時間に限りがあるのが現実。

それにしても、思いがけず昨日と反対になってしまった。
ただし雨が降っていないので違う顔をした夜。
ビルの頭上に、笑う三日月。
繁華街となっている西口は看板が煌めき、人通りも多い。
早未の視線は高速で流れて行く窓の外。

此方を見てくれないなんて別に当人の勝手。
分かっているのだが、一抹の寂しさが誤魔化せない。


大きく変わったのは拓真の中だけの話。
何もしない実状、取り巻く世界そのものに影響は無く。
零れた溜息が小さく溶ける。

性別の点では合格、だからって早未も誰でも良い訳じゃない。
普通の男女であったとしてもぶつかる問題なのだし。

寧ろ、嫌われているのかと拓真は感じていた。
落ち込みそうになるものの、此処二日間を思えば「否」と言える。
そうだとしたら、雷雨に車を走らせてくれたりしまい。
酔ってると云えども家まで来てくれない。


秋一が好きだったとしたら、ああ云う男がタイプだろうか。

物腰の柔らかくて人当たりが良く、表面だけでなく中身も。
長身でもやや幼げで甘い顔立ち。
友人として見ても、確かに良い奴だと保証出来る。

そして拓真は、と云えば。
10歳以上も離れているし、どうやってもごつい外見。
其処を踏まえたら、自信なんて持てない。
比べたところで仕方ないのに。

情けない話だが、些細な事で気弱になるのは昔から。
見掛け倒しなのは拓真の方。



「ああ……、此処までで結構です。」


早未がブレーキを促したのは、住宅街の路地に一本入った地点。
ネオンから少し離れただけで意外な程の静寂。
此の辺りは車も人もほとんど気配無し。

「家の前まででも構わないけどな、それだと車が邪魔になるか?」
「いえ、風が気持ち良いし少し歩きたくて。」

穏やかに澄んだ夜の中に一人、早未が降り立つ。
アスファルトに立つ足はしっかりと。
ふらつきが窺えない辺り、拓真は密かに安堵した。
その様子なら真っ直ぐ帰れるだろう。


「ありがとうございました。」

開けた車の窓越し、改まって深く頭を下げて。
昨夜、礼は言葉だけで良いと口にしていたのは早未の方なのに。
畏まった態度に此方が動揺してしまう。

「それから……、もう一つ良いですか?」

付け足したのは、何かを思い出した所為かどうか。
此方に手招きする早未の仕草。
大して不思議に感じず、頷いた拓真が窓に身を乗り出すと。


髭のざらつく頬を撫で上げる、長い指先。
一瞬触れた冷気は眼鏡のフレーム。
ワインとオレンジの溶け合った呼吸が掠める。
物欲しくなりそうな甘さで。

「僕の事、好きでいても良いですよ……振り向くか分かりませんけど。」

耳朶を噛んで、吹き込まれた言葉。
大した痛みでもないのに痺れが身体を突き抜ける。


「え、あ……っ、お前……?!」
「凄く分かりやすいですから、保志さんって。」

どうやら、気付いていたのは向こうが先。

隠そうともせずに笑いを零す表情。
三日月と同じ唇。
意地悪く、と云うよりも、腹黒く。

勝てない事を叩き込まれた、そんな気がした。


「それでは、また明日。」

軽く言い残して、暗闇に消えて行く背中。
何度繰り返すのだか。

果たして何処までが手の内なのやら。
羊の中身は、様々な色が複雑に混ざり合っての漆黒。
お許しが出たなら、暴いてみせようか。

甘くなくても綺麗じゃなくても構わないから。


*end

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2012.10.28