林檎に牙を:全5種類
日曜日が休息にならなくたって、月曜は素知らぬ顔でやってくる。
腹の辺りにぼんやり重みを抱えた拓真にも平等に。

問題は胃腸ではなく気持ちの方。
相変わらず意図の見えない遼二の訪問に、頼りにならなかった七海の回答。
愚痴って吐き出しただけで多少軽くなったものの。
溜息の数だって、もう何度目か判らない。

幸せが逃げるって?
呑み込んで溜めてしまう方が身体に悪い。

何かと我慢を強いられるだけに男は損が多い気がする。
いっそ遼二当人の前で感情のまま振舞えたら。
他の問題が生じても、とりあえずこうして苦しまずには済むのに。


しかし、いい加減に思考も切り替えなくては。
コックコートで身を引き締め、菅原講師の横で実習室に立つ朝。
班ごとに各調理台に揃った生徒はホワイトボードのレシピを書き写している。
本日作る物は、サブレシュークリーム。

ただでさえ7月は実習が少ない。
今日で一学期の授業を終えたら、本格的にテスト勉強期間。
実技試験もあるので楽しくお菓子を作れるのも最後。

それはそうと、張り切っている空気が見えるのは気の所為ではない。
豪奢に凝った長い名前のケーキの授業と比べて歴然。
意外と生クリームが嫌いな生徒は多いのだ。
手軽に食べられて馴染みもある物の方が喜ばれる。


ただ、何を作る時も遼二はいつもの調子。
他の生徒がレシピの説明や注意点をメモする間も眠い目。
実習開始までのエネルギー温存。

あんな調子で大丈夫かとも思うのだが。
密かに呆れ顔をしても、拓真の口許は笑みが漏れそうな形。
何となくあの表情にはつい和んでしまう。
すっかり見慣れて、変わらない事に対する安心感。


そうかと思っていた時、遼二の肩に触れた手。
伏せ気味だった瞼がゆっくりと覚醒する。
微睡みで溶けかけていた空気が、少しだけ色を変えた。

手の主は穏やかな目で笑って、ノートを開かせる。
遼二の隣、同じ班の有馬。


有馬凪人は製菓でちょっとした有名人である。
行列も出来る老舗洋菓子店の跡継ぎで、彼の祖父と菅原も同期だと聞く。
それだけに授業態度も熱心と、他の講師にも評判が良い。
助手を務める拓真も其処は認める。

加えて、眉や目許に知的さを感じさせる整った顔立ち。
大人びた雰囲気で物腰もスマート。
さぞかし女子に人気があるだろう、と思いきや。

此処にはただ"何となく"で入学した、髪や服の派手な生徒も多い。
大抵は同類とくっ付くので意外と狙い目でもないそうだ。
真面目に学ぶ気があまり無いのだ、跡取息子なんて恋愛対象には重い。
外見が良くても性格的な面も合わせての話。

よく話す女子から耳にした事のある情報。
ちなみに、懐かれていても拓真は恋愛から"問題外"故。
遼二が好きなので別に構わないのだが。


それにしても、あの二人は最近仲が良さそうに見える。
思えば、班が変わってから。

班のメンバーは男女混合の出席番号順で決まる。
本来ならば一年間ずっと変わらないのだが、此のクラスは例外。
遡って半月以上前、トラブルが起きたのだ。
和菓子の授業で起きた事なので、拓真も話でしか知らないのだが。

先程も述べた通り派手な生徒も多いのだが、何も全員ではない。
そうなれば自然と偏りが出来る。

金髪茶髪だらけの中に、真面目で大人しい女子が一人。
外見で判断してはいけないとは云うが、内面までいい加減な者ばかり。
こうなると面倒事は全て其の女子任せのいじめ。
理不尽さに口答えしたら、授業中に寄って集って大声で罵る始末。
そうして泣かせてしまったらしい。

もう実習どころではなくなり、クラス中に知れ渡る騒ぎ。
いじめていた生徒達は講師に説教を食らって他の班からは白い目。
そのままのメンバーで続ける事も出来ず、急遽としての変更。


製菓衛生士になるには試験を受ける必要があり、皆その為に勉強している。
ただし、業務自体は資格が無くても出来るのだ。
有馬も昔から店の厨房に立っているそうで、実に手際が良い。
実習が始まると班で大変頼りにされる存在。

サブレ生地は冷やしておき、クッキーの要領で丸く型抜き。
天板に絞ったシュー生地の上に載せて、オーブンで一緒に焼く。
生クリームと合わせたカスタードを詰めて出来上がり。

製菓は分量をきっちり計る事が鉄則。
けれど、シュー生地の場合は卵の量が決まっていない。
少しずつ混ぜて固さ調節していくので見極めが難しいのだ。
此処で失敗すると膨らまない。
一学期最後の実習だけに、初心者向けの物ばかりだった今までと違う。

尤も、遼二の班はそんな心配も無さそうだ。
有馬が実質リーダーとなって作業の進み具合も順調に。

実習自体はきちんと取り組む遼二にも熱が入る頃。
小鍋の卵を木ベラで混ぜる真剣な面持ち。
眼鏡のレンズ越しに目を細めて、飽くまでも注意深く。
集中しすぎて周囲が見えず、コックコートに牛乳が跳ねても知らぬ程。

こうした事は、当人よりも他人の方が逸早く気付く。
また可笑しそうな目で有馬が遼二の袖を引いた。
濡らしたキッチンタオルを手に、代わりに拭って綺麗にする。


あまり遼二に触れないで欲しい、なんて拓真には言えない。

同じ空間で同じ物を作っていても全く違うのだ。
数年前なら拓真も居た、そちら側。
隣に立てないのが悔しいなんて、子供っぽい感情を打ち払う。

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2012.11.30