林檎に牙を:全5種類
実習の授業は始まりから終わりまでいつも慌しい。
机に着いて過ごすよりも早足の時計、もう既に昼前を指している。
掃除も済んで生徒が残らず消えた後。
助手と云えど拓真も一応は此処の住人、仕事は終わらない。
午後からも別のクラスが使うのだ。


そうして最後の見回りで、初めて忘れ物に気付いた。
流しの奥に置きっ放しな紺藍色。
頑丈な長方形をした皮製のケースが一つ。

製菓は皆一人ずつ専用の道具を持たされ、実習のたびに持ち歩く。
絞り袋や用途別の口金、そして主にナイフ各種。
そうした一式が収納されているのが、学校指定の調理バッグ。
二重に保護されていても、刃物が多いだけに取り扱いは慎重になる。

こんな大事な物を忘れるなんて誰だろうか。
横に貼られた名前シールを確認して、一瞬息が詰まる。

持ち主は、早未遼二。

若しかしたら故意の可能性も充分?
そう思ってしまうのは意識しすぎ、それも拓真の方だけか。
判らないからこそ余計に溜息が深くなる。
昨日の今日で、どうにも考えすぎ。

ともあれ見なかった事にして放置など出来やしない。
腹を括って引っ掴めば、ずしりと重み。
午後の授業が始まる前に教室へ届けてやるか。



チャイムが校舎に鳴り響いて暫く後、拓真もバッグを下げて歩き出す。
昼休みを待っていたのは誰もが同じ。
近所のパン屋へ走る生徒も居れば、好きな場所で弁当を広げる生徒も。

実習室から階段を下って、短い渡り廊下を挟んだ所に1-2の教室。
こう云えば近く聞こえるが歩いてみれば億劫な距離。
遼二が居るかは分からない。
もし不在でも、届ければ誰かしら渡しておいてくれるだろう。


しかし、教室へ向かう拓真の足は意外な場所で止まった。
下り階段の一歩手前にある視聴覚室。
軽く開いた戸の隙間、ふわふわ頭が見えた所為。

本来、視聴覚室は飲食厳禁の筈なのだが。
建前ばかりになってしまい、こうして勝手に入る生徒も時々。
それに此方の棟の2階は教室も無く、他には実習室や多目的の空室ばかり。
昼時は講師が消えるので早々咎められる事もあらず。

そう、遼二が居る事自体は何も可笑しくない。
戸の前で立ち止まったままの足。
入って声を掛けられないのは、有馬と一緒だから。

隣り合った席に着いて、机には弁当とノート。
あちらから死角なので拓真の姿には気付いてないだろう。


どちらも学校で顔を合わせる時は実習ばかり。
生徒も講師も見慣れたコックコートを脱げば、随分と印象が変わる。
特に有馬の私服姿は初めて目にしたかもしれない。
前髪を上げて、襟を軽く緩めたカッターシャツ。

穏やかで落ち着いた雰囲気の二人だが、種類はだいぶ違う。
優等生と居眠り常習犯。
普段どんな会話をしているやら想像がつかない。

「早未って、彼女とか居るのかな。」

入って良いものか迷っていたところで、有馬の問い掛け。
静まった視聴覚室は意外と声が響く。

別に隠れる必要など無いのだが。
戸の影に潜んでいる自分は相当怪しいとも分かっている。
それでも、耳を欹てて何となく動けず。

「いえ、別に……」
「そう?東さんと仲良いよね……、よく一緒に居るし。」
「間違われますけど、さーちゃんは小さい頃からの付き合いですから。」
「それなら……」

一呼吸置いて、伏せ気味になった有馬の目。
きっと此れが核心。

「俺には、望みあるかな?」




映画みたいな、とはよく云ったものだ。
あの時の拓真はスクリーンの外だった、確かに。
1シーンが頭から離れないまま。


結局、静かに其の場を離れて逃げ帰った実習室。
遼二の調理バッグもまだ手元に。

空腹を思い出したものの、弁当はほとんど喉を通らなかった。
それでも甘い物なら幾らか食べやすい。
サブレシューを無理やり呑み込んで、午後から別のクラスの実習。
上の空だったものだから軽いミスも数回。
何とか出来上がってくれて安堵したが、どうにも調子が悪い。

今日で実習が最後で良かった。
既に傾いた放課後の陽も、焦らずに窓から見送れる。


男同士でないと駄目だとしても、相手は拓真でなくても良いのだ。

踏み込むまでもなく思い違いだった。
そう判明しただけの事。
同性を好きになるのは早々特別でもないのだし。
七海と秋一のカップルも居れば、拓真自身が良い例じゃないか。

見栄えがする者同士、並んだ時は確かに絵になっていた。
同じ時間の中で過ごす有馬の方が年相応。
秋一が好きだったなら、ああ云う物腰の柔らかいタイプは満更でもないだろう。

何より、有馬は真っ向からきちんと伝えたのだ。
遼二の方から指摘された拓真と違って。



「失礼します。」

音を立ててスライドした実習室の戸に、聞き慣れた声。

呼吸が止まりそうになったのは今日何度目か。
どうしてすっかり忘れていたのだろう。
バッグが此処にあるなら、持ち主が取りに来るのは当然。

細身の影、眼鏡越しの眠そうな目。
出入り口に一人立つ、遼二と視線が交差した。

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2012.12.09