林檎に牙を:全5種類
「届けてくれたって良いんじゃないですか?」

いつものカーディガンを羽織り、鞄を肩に掛けた帰り支度の姿。
目的の調理バッグは拓真の手元なのだ。
視線だけで確認すると、「気が利かない」とばかりに溜息混じり。

そう言いつつ、素通りした遼二は実習室の奥へと足を進める。
どちらにしても此処に寄るつもりだったらしい。
業務用の大きな冷蔵庫を開けて、取り出したタッパー。
実習で作った物は生モノが多いのだ。
昼休みに食べ切らず、こうして冷やしておいて持ち帰る手もある。


刺される事に慣れた棘は痛みにならず。
多少ちくちくしても、拓真にとっては寧ろ少しだけ安堵の感触。

ああ、けれど、もう此れで最後かもしれない。


「何ですか、機嫌悪そうですね。」
「え、いや……別に……」

そう云えば「凄く判りやすい」と言われた事もあった。
目の前に居る遼二から。
全く無意識なので拓真には表情など制御出来ないが。
ならば、せめて隠すべきか。

口篭もって眼を伏せたら、頬に指先。
「こっち見ろ」とばかりに髭を撫で上げられた。
胸の中、渦巻いていた物がぐらり揺れる。

手が伸びたのは全くの衝動、触れる手を振り払った。


「なに苛ついてるか知りませんけど、八つ当たりしないで下さいよ。」

加減も出来なかったものだから、打たれた痛みは相当だろう。
擦りながら思い切り渋い顔。
遼二が睨むのも尤もだが、其の言葉は拓真にとって逆撫で。

「誰の所為だと……」
「ちょっと保志さん、僕振り払われる程の事してないですけど?」
「だから、その苛ついてんのも原因はお前なんだよ。」
「……はぁ?」

遼二が何か悪い事をした訳じゃないのに。
感情の毛羽立った声が落ちた。

「昼……、告られてただろ、有馬に。」

言葉として一度零れてしまったら、響きは予想以上に大きく。
まともに顔が見れないままで。
廊下と云えど、あの場に居た事をどう思われても取り繕えやしない。


「あぁ、保志さん居たんですか……、あの時。」

暫し無言の後、遼二は額に片手を当てる姿勢。
今、何を考えているのだろう。
やはりほとんど溜息に近い、低く気怠げな返事。

「それで……、もし僕が有馬と付き合うって言ったら、保志さんどうするって?」

此れも、響きが胸に圧し掛かる言葉。
目だけ動かした遼二が視線を突き刺してくる。
拓真の気持ちを知っている上で。

遼二を想う相手が、何も自分だけじゃないのなら。

「俺のは、全部、無かった事にするから。」
「本気で言ってるんですか、それ。」
「お前は……、誰と一緒になっても幸せになれるだろ。」
「…………」

嫌だ、本当は。

昂ぶる感情を必死に抑える言葉を、遼二はどう受け止めたか。
それきり口許を引き結んだ無表情。


落とされたタッパーの蓋が、固い床で音を立てて跳ねた。
思わず其方に気を取られてしまったのは油断。
そうして再び目を上げた時。

遼二から叩き付けられたサブレシューが、顔面で潰れた。

「おい、早……ッ、何すんだよ……!」

何が起こったのか理解出来ない頭は、怒りよりも呆然とするばかり。
痛みよりも視界をクリームで塞がれて気持ち悪い。
何の冗談だと云うのだろう。

目許を無理やり拭ってみれば。
何か青い塊を振り被った、遼二の姿。


今、実習室の床は酷い有様だった。

いかつい筋肉質の男が蹲っているだけでも妙な光景だが。
クリームでどろどろに汚れた髪や顔。
その下に隠れた表情は、脂汗を浮かべた苦悶。

頑丈な調理バッグを腹に打ち据えられたりしたら当然か。
下手したら内蔵損傷物の暴力。
それでも元プロボクサー、鍛えている身体の防御は固い。
ただ、衝撃である事にも違いなく。

「お大事に。」

冷たく言い放った時の遼二はどんな顔をしていたのか。
見えたのは、蓋を拾った手だけ。
引き戸を閉めた音に、遠ざかって行く靴音。
それきり残して拓真の前から消えた。




「そりゃ怒るわ、クマさんが悪いだろ。」

すっかり日が長くなっても夕暮れは必ず訪れる。
暗闇が迫る拓真の部屋、携帯電話から七海の声が刺さった。


重い足取りで帰宅して早々、どうにも困り果てて縋る想いでの相談。
その際に説明は一から十まで洗い浚い。
腹にバッグを喰らった件は流石に心配されたものの。
直前の話、拓真が遼二に口にした言葉を聞いた七海は同情を引っ込めた。

「ドラマとか漫画で結構使われてるお決まりの台詞だけどさぁ。
 時と場合によっては酷い暴言だって解かってんの?」

静かながら突き抜ける強さで、諭す物言い。

「幸せになれる、て思う事の何が悪いんだ……」
「うわ……っ、頭に何詰まってんだよ、綿か?」

拓真からしてみれば全く訳が解からないのに。
けれど七海にとっては其れこそが信じられぬようで、引き攣った返事。
恐らく苛立ちで言葉が纏まらないらしい。
その後「だから」と続けたきり、意味の無い唸り声が雑音として零れる。


「もう良いや……、俺、クマさんの事ちょっと見損なった。」

通話が切れる前の声は、幾ら説明しても無駄だとの放棄。
そうして意味を教えちゃくれないままで。

← BACK   NEXT →



*クリックで応援お願いします

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村


小説(BL) ブログランキングへ



スポンサーサイト

2012.12.13