林檎に牙を:全5種類
「さーちゃんの所為ですからね、大体は。」

理不尽な発言は、せめて食べる前にして欲しいものである。
疑問だらけになる一瞬の空白。
目測を誤って早苗が齧ったシューから、クリームが派手に垂れた。

昼に作ったばかりのサブレシューは少し皮が固い。
冷蔵庫で一日置けば中身と馴染むだろうけど、今はまだ別々の物。
来客とテーブルを囲んでいても自宅なので楽な格好。
薄い夏物のブラウスに点々と卵色。
染みになってはいけないと洗面所に立とうとした時、加わる一言。

「着替えた方が良いなら後ろ向いてましょうか、僕。」

誰の所為だと思っているのだろう。
恨みがましい眼をしたら、遼二は極嬉しそうに笑った。


一学期最後の実習を終え、テスト期間が迫る7月の事である。
持ち帰りのサブレシューは二人ともタッパー一杯。
ただでさえ夏に生モノ、早いうちに片付けてしまうに限る。

パン職人志望の早苗とパティシエ志望の遼二。
作りたい物は違えども、専門学校一年目では製パンも製菓も学ぶ。
縁あって数年振りに幼馴染同士は再会した。
中学生の頃に別れてから、連絡自体なら時々取っていたけれど。

付き合っていたからではない。
寧ろ逆、絶対に恋愛対象に成り得ないのはお互いに。


拓真と喧嘩になり、怒りに任せて遼二が一騒動起こして数時間後。
そんな行動に出てしまったのは早苗の所為だと言う。
突き詰めるまでもなく、本当の原因なんて有馬にあるのだが。

実習の班が変わったのは切っ掛け。
将を射んとすればまず馬を、とはよく言ったものである。
早苗に近付く為にと、幼馴染の遼二に狙いを定めて優しくなった。
最初から解かっている上で受け取る好意。
けれど、色々あって拓真に誤解されてしまった。

「だって彼女居るし……わたし。」
「僕も有馬は好みじゃありません、男なら誰でも良い訳ないです。」

早苗と遼二の場合は男女だからこそである。
同性愛者同士では、二人っきりになっても何も無し。

勿論お互いに知っている事実だ、昔から。


「わたしが普通に男の子が好きだったとしても、あの人はどうかな……
 さぞ自信あるみたいで、押しが強いから怖いんだけど。」

そう云う訳で、異性の素肌を見ても何も思わない同士。
遼二から隠れて上だけ着替えた後、ぽつり零れた苦い声から会話再開。
早苗がこうして疲れた顔をするのは余程の事。
実際、有馬と同じ班だった頃は何となく居心地が悪い時間を過ごしていた。

周囲から頼られがちの早苗は学校でも同じ。
実習では特にそうなるが、老舗洋菓子店の跡取と一緒となれば別。
お陰様で負荷が軽くなったのは確か。
しかし、仕切り屋でもあるので結局は有馬の思い通りに作業が進んでいく。
班員の不満により薄っすらと良くない空気を感じていた。

それに加えて、早苗に対しての好意の重さである。
クラスでは出席番号1と2で席が前後。
どちらも長身なので列の最後尾へ追いやられてはいるものの。

授業中、どうも有馬の視線が刺さってくるのは気の所為ではないらしい。
恐る恐る振り向いたら、微笑まれて密かに鳥肌が立った。

大袈裟だとか贅沢だと言うなら想像してみて欲しい。
自分に恋人が居る上、性別からして恋愛対象外の相手に言い寄られたら?
受け取れない好意は迷惑でしかないのだ。

「さーちゃんは昔からモテましたからね、可愛いし頼りになるし。」
「弱音の吐き時が解からないだけだって……」
「あれですね、同性にモテる人は異性からもっとモテるんですよ。」
「全然嬉しくないよ……」


こんな話をしていたら、ふと思い出した事がある。
いつも苦い感情が掠める古傷。

10年以上の昔々、まだ早苗が幼稚園に通っていた頃の話だ。
好意を伝えるのは子供ほどストレートな物。
もう顔も名前も覚えてはいないが、記憶自体には根深い存在。
とある男の子にキスされたのである。

此れは早苗にとって相当なショックだった。
普段の大人しさからは思いも寄らないような火の点いた泣き方。
家に引き篭もって暫く園を休み、親や先生を困らせた。

「でもファーストキスではなかったんでしたっけ?」
「うん、女の子同士でキスするのが一時期流行ってたから……」

その一件で男が嫌いになったのではない、そうでなくて。
女が好きなのだと気付かされたのだ。
性別の違いで湧き上がった感情の差は、決定的。

その頃には遼二も既に秋一に対する恋愛感情を自覚していたのだ。
昔から仲が良いのはそうした理由。
ある意味で対極と云えども、同性愛が解かる相手が居るのは心強かった。
子供だった二人にとって支えには違いなく。

「今日有馬がさーちゃんに対して望みあるか、て訊いてきましたけど……
 否定しないでおきましたからね、僕。」
「…………え?」

今度は、口を付けようとしたコーヒーを落とし掛けた。
冷たいグラスが汗を掻いていた所為だけではなく。
困っている、と云う先程までの話を本当に聞いていたのだろうか。
怪訝な眼をする早苗に、遼二は飽くまで平静。

「きちんと自分で断らなきゃ駄目ですよ、今後もそうした事あるでしょうし。
 本当にさーちゃんだけの手に負えなくなったら僕も協力しますけど。」

尤もらしい口調だが、サブレシューを齧りながらの態度。
半分近くは面白がっているだけのくせに。
そう云う奴だと本性を知っているだけ、早苗の溜息は苦い。

協力する、と言われた辺りでまた別の事を思い出す。

大人になってから異性を好きになれなくても、世間体等が大事なら。
カモフラージュで結婚しようか、なんて馬鹿な話をされた。
遠い昔、約束にも満たないプロポーズ。

「遼、保志さんの事だけ考えてれば良いのに……」
「さーちゃんも大事ですよ?」

果たして、遼二はあの時の言葉を覚えているのだか。
早苗だって嬉しかった訳でも無いし、本気とも取っていない。
それなのに胸に残っているなんて、もっと馬鹿げている。
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2013.01.11