林檎に牙を:全5種類
シロからメールが途絶えたのも仕方ない話。
けれど、忙しくなる前だったので丁度良いとすら思えた。
どうせ滅多に返信しないのだ。
休日に会えない口実を作る手間も省けた事だし。

そうやって、初めての恋愛にのめり込んでいった。
甘い夢見心地に深く身を沈めながら。


眠りとは自我に目隠しする事。

何も知らない事は幸福に思えても、別の視点からすれば危うい行為。
心地良く夢を貪る間も現実は足を進めている。
すっかり忘れていたのだ、いつか覚めてしまうものだと。


何かがおかしい。
最初は漠然とした違和感だった。

手を繋ぐのもキスするのも、いつだって此方から。
メールも電話も毎回返って来るとは限らない。
彼が周囲に人気があるのは前から。
平等に優しい為、寄って来るのが誰でも手を差し伸べる。

彼の愛情を疑っている訳ではない。
浮気されているとか嘘を吐かれているとか、そうではなく。

ただ、シロならこんな事無かったのに。

シロの「好き」も「一番」も、紬だけだった。
男女だったら、恋人同士だったら、尚更ではないのだろうか。



今年の3月は例年よりも暖かい気がする。
眩しさを増した太陽で、夕方の空気も随分と温くなったものだ。
息を吐いても、もう白くならない。
通い慣れた道にもゆっくりと去る仕度をしている冬を感じた。
フェイクファーの物から幾らか軽いコートに袖を通した日。

いつかの昔なんて、まだ灰色の空に雪が舞っていたのに。

「クリスマスに降らないくせにね。」
「でも、ホワイトデーだから丁度良いんじゃない?」

他愛無くそんな事を言って笑い合った。
寒さで赤い頬の横顔が誰だったか、なんて決まっている。


ぼんやりしてしまうのも暖房が効きすぎている所為かもしれない。
脱ぎ捨てられたコートは今や膝掛け。
駅ビル内のコーヒーショップ、ラテも冷たい方を頼んだ。
隣のカップは真っ黒なドリップ。
苦味のある香りを唇に、彼が何か喋っては笑っていた。

今日は夜から大学の友人達と遊ぶ約束。
彼と共に来た待ち合わせ場所には一番乗り。
時間よりも少しだけ早く到着した理由は、今日と云う日にある。

「お返し……、開けてみて?」

今はまだ二人の時間、彼が包みを一つ差し出した。
3/14のホワイトデー。

大事に受け取ると、中身はガラス玉が煌めく華奢なネックレス。
その辺の雑貨屋にありそうな。
女の子だったら好きそうな。
でも紬はアクセサリーなんて着けない、ただ邪魔なだけだ。

クッキーやマシュマロ、キャンディの日。
紬には食べられる物の方が嬉しい。
毎年シロだったら手作りのお菓子をくれたのに。

シロだったら。
シロだったら。

「……ありがとう、可愛い。」

シロだったら。
シロだったら。


着けてみせるのは彼を喜ばせる為。
巻き付ける男の手に背中を向ければ、首を冷たく舐める鎖の感触。
総毛立って震える一瞬。
此れも普段慣れていない所為だ、ただそれだけ。
こうして自分を無理やり納得させてから紬が視線を軽く下げた。

それはそうともう一つ気になっていた事。
彼のバッグの隣、お菓子の小さな包みが顔を覗かせる紙袋。

「ああ、女子の皆に義理チョコ貰ったから……大した物じゃないけど、気持ち。」

用意したのは飽くまで礼儀として、だろう。
与えられたら拒まない。
受け入れる事が優しさだと信じているのだ、彼は。

与える事にも受け入れる事にも何処かで限りがあるのに。
それなら、相手は私だけにすれば良いじゃない。


席に紬を残して、彼がお手洗いに立った。
まだ友人達は姿が見えず。
緩やかな空間を保ちつつも、談笑の声が賑わうコーヒーショップ。
席も埋まっていて周囲にはこんなに沢山の人が居るのに。
雑音の中、急に独りぼっちになった錯覚。

そうして、意識は変わらず紙袋に。


あれが"気持ち"だと云うのなら。
私のものでしょう、全部。


そこから先は、まるで獣の所業。
幾つかの綺麗な包みを掴み取って、力一杯に引き裂いた。
ほとんど飛び出す勢いでテーブルに落ちたクッキー。
無残に割れるのも構わず、噛み砕く。

思いのほか堅くても崩れる時は何とも呆気無い。
匂いも味も甘さなど碌に判らないまま、どうでもいい。
乾いた焼き菓子に唾液を奪われて、何度も噎せそうになりながら。
それでも手を止めず無理やり呑み込む。
全部食い尽くすつもりが、胸元に零れて逃げて行く欠片に苛立った。

飢え切って堪らず、なんてものじゃない。
憎んでいるかのような荒々しさ。


「ちょ……ッ、何してんだよ……?」


耳の奥で鈍く響いていた咀嚼の音だけが支配する最中。
困惑で硬い声が裂いた。
戻って来た気配を感じてから一瞬後の事。

「なんのこと?」

頬張った物を喉の奥へ押し込み、微笑んだ口許に牙。
彼に向けた紬の目は獣のまま。


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2013.03.10