林檎に牙を:全5種類
「お風呂沸きましたよ。」

数歩しかない廊下を隔てて台所、大きな声を出さずとも一言で事足りる。
夕飯の後片付けをしながら拓真が頷いた。
紅玉駅の東側、公園近くのアパート。
遼二がこんな台詞を口にするのも、馴染みとなった週末の夜。


駅を挟んで西側、遼二は母親の実家住まい。
こうして一夜を共にする日は拓真のアパートと決まっている。

母親からは外泊自体あまり煩く言われてないらしい。
もうすぐ成人する年頃、何より男なので大して心配も要らず。
「恋人が居る」と話しているのかいないのか。
いずれ明かす事になるだろうか、考えるだけで緊張が拓真の指先まで走る。

とりあえず、その問題は置いて。

濡れた素足で廊下にぺたぺた音を立て、遼二が近付いてくる。
呼ぶだけなら用は済んだ筈なのだが。
怪訝に思って、洗い物をしていた拓真の手が休む。
水を止めて静かになった台所に、その声は妙に明瞭な響きを持った。

「……だから、一緒に入ります?」

予想外の一言。
泡が跳ねたのは、腕を引かれた所為だけじゃない。


「お前……っ、何言い出すんだよ急に……!」
「そこまで驚く事でもないと思うんですけど。」
「先でも後でも好きに入れば良いだろ……」
「保志さん待ってる間に寝ちゃいますけど、僕。」

充分有り得る、と云うか、確かに何度もあった。

今まで女相手での経験しか無かった拓真と同性愛者の遼二。
男同士で付き合うとなればお互い初めて。
共に過ごしてきた数ヶ月は手探り。

なので折角、風呂で身体と気持ちの準備をしてきたのに。
拓真が上がってみれば、遼二は布団で寝息を立てている事が多々。
無理に肩を揺すったところで、寝起きは機嫌最悪。
どちらにしても朝までそれまで。


確かに拒む理由なんて特に無し。
照れ臭いだの何だのが先立つものの、そんな程度。
言ったところで呆れて笑われるだけ。

「うちの風呂狭いぞ?」
「知ってますけど?」

眠そうに伏せているくせに怯まない、眼鏡越しの黒目。
そもそも口にしたのは遼二の方だから当然か。
泡だらけの両手を挙げて降参。
衣服を一枚ずつ床へ落としながら、裸体二つが浴室に消えた。



狭い密室に、熱いシャワーが床を打つ。
立ち込めてくる霧は少し息苦しいくらいの濃さ。
細身の遼二は兎も角、体格が良い拓真が居ては仕方あるまい。

覚悟はしていたが浴室に押し込まれるような形。
それでも、まぁ、何とかなる。
遼二が洗い場で石鹸を泡立てる間、拓真が浴槽に退く。
揃って湯には浸かれないので一人ずつ交代。


今日の入浴剤は蜂蜜オレンジ。
掌で隠れるほどの塊を投げ込むと、勢いよく溶け出した。
賑やかにパチパチ弾ける湯船はまるで炭酸水。

柑橘系の香りはストレスや緊張の軽減に効くらしい。
湯に身を沈めながら、入浴剤の袋に並ぶ小さな文字に拓真が目を走らせる。
こう云う物一つにしても妙に凝るのは遼二の方。
流石、温泉街育ちと言うべきか。
甘いシトラスに気持ち良く力を抜いて、視線を移した。

濡れてぺしゃんこの髪に、晒した素顔。
普段ふわふわ癖毛と眼鏡が特徴の遼二とは別人になる。

雷雨で送ってもらった夜に初めて目にした面。
遼二と関係を持つなんて、あの時は思いもよらなかった。
柔らかな黒髪も、今は墨を含んだ筆を思わせる艶やかさを持つ。
裸なので色香やそうした物は当然と云えば当然。
けれど何より、眼鏡が外されて雫の伝う横顔に見蕩れた。


オレンジ色の水面が一つ跳ねる。
向けられた背中から拓真が腕を伸ばして、平たい胸を弄った。

泡で滑る中で指先は先端を探り当てたが、当の遼二はと云うと。
驚いた素振りも無ければ、赤くなった様子も無し。
手を払い除けないまま振り向いた、その顔。

「あなたは女性と入る時もそう云う事するんですか?」

怪訝に冷めた眼だけは変わらない。
自分から誘ったくせに、触れるとこんな反応を示す。


「僕はそんなつもりありませんよ、此処じゃ嫌です。」
「あぁ、そう……あと言っとくけどな、女と、とかは無ぇよ……」
「なら、そう云う事にしといてあげます。」
「信じろよ……」

浴室に低音は何だか不機嫌な響き。
眉間の浅い皺も、眼鏡が無くて見えない所為だけでなく。

触れられて初々しい反応するなら甘い展開になったかもしれないが。
昔から同性が好きだった遼二だが、まだ身体は未開発。
ベッドでは拓真が丹念に愛でないと鈍い。
逝かせてあげたとしても、男はすぐに冷めてしまう。

確かに、こんな空気では情事へと流れるなんて無理。
全部曝け出す場で二人きりなのに。

しかし、それならそれで変に期待せず済む。
いつ手を出して良いか悩んで、落ち着かないままの入浴は辛い。
ただ一緒に身体を洗って寛ぐだけなら割り切れる。


「ゆっくり浸かりたいなら……今度行くか、温泉。」

今度こそ遼二が不意を突かれた表情に変わった。
此の辺りで"温泉"と云えば、彼の故郷。

「それは……ちょっと、困るかもしれません……」

両親が離婚するまで身を置いていた場所なので複雑な気持ちかもしれない。
無理ならそれで諦めるしかないけれど。
拓真は興味があった、一緒に行ってみたかったのだ。
遼二の生まれ育ったと云う街を。


「あ、悪かった……、嫌なら……」
「だって、男湯で沢山の裸見たら欲情しちゃいますもん僕。」

一瞬でも思い詰めたのは、拓真の方だけだったらしい。
答えた遼二は至って神妙な表情。
それはそれで、彼なりに悩んだのだろうけれども。

「そこなのか、お前の問題って。」
「そこですよ、僕にとっては。」

生まれ付いての性癖では仕方あるまい。
反応してしまう事自体を咎めるつもりは無い、けれど。

だったら何故、今、目の前に居る拓真を"そう云う目"で見てくれないのか。
触れたいと思うのは自分だけのような。
腑に落ちなくて溜息一つ、オレンジに深く浸かって目を閉じた。


「で、温泉いつ行きますか?」
「……は?何だよ、困るんじゃなかったのか?」
「行きたくないとは言ってませんよ。」
「どうだか……」

子供っぽいと自覚しつつも、拓真は拗ねているだけ。
折角、遠出の誘いに応じてくれたのに。

早く折れなければ、話が流れてしまうかもしれない。
答えた後でどうしたものかと次の言葉に悩む。
暖まりながらではぼんやりしてしまって考えが纏まらず。


不意に、唇を柔らかく塞ぐ感触に驚かされる。
霧が晴れるように目が覚めた。

「一緒に行くの約束ですよ、案内しますからね。」

浴槽を隔てて中と外、顔だけ至近距離で刺された。
忘れるな、と警告のつもりか。
どうせなら「楽しみにしてる」と言って欲しいのに。

二人だけを包む霧、狭い世界で。



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2013.04.29