林檎に牙を:全5種類
引き戸の向こうは薄紅混じりの空気が満ちていた。
鼻腔をくすぐられた気がして、小さなくしゃみを呼ぶ香り。

教室が薔薇園になった。



連日、メディアで輝いているのは女王として君臨するカリスマモデル。
その女王が最近フレグランスをプロデュースした。
彼女をイメージした、豪奢な薔薇の香り。
発売前から話題だっただけあり、若い世代を中心にたちまち虜。
爆発的なヒット商品として多くの女性達が手を伸ばし、その身に纏った。

紅玉女子高校のクラスも例外ではなく。
そして、此処には少し似ている雰囲気の子が居る。

柔らかな茶系で蜂蜜の艶を帯びた、毛先まで綺麗な巻き髪。
睫毛の長い吊り気味の目許が華のある顔立ち。
社交的で何処か大人びた犬飼紅美は場の中心になる存在だった。
それこそ例の香水がよく似合いそうな。


名簿順ですぐ後ろの席、梅月早紀子からすれば何となく眩しいくらい。
背中を見詰めていた黒目がちな瞳を細めると、本に落とす。

小柄で薄い身体、あどけなさが残る顔立ちの梅月は物静かな印象。
涼しい表情でそつなく物事をこなすので「クール」がクラスでの定評である。
さり気無い周囲への配慮と的確な発言で、補佐として力を発揮する類。
何にせよ、あまり目立つ生徒ではない。

二つ結びの髪は烏の濡羽、大人しさも相まってウサギを思わせる。
しかし、今の女子高生は敢えて黒いままのストレートも流行。
ケアで困っている友達から羨望対象になるものの、集団の中では埋もれてしまう。

お洒落は異性の為よりも自己満足や同性の目を気にする部分が大きい。
ライバルだらけと認識するか、必要無いと手を抜くかで分かれる。
女子校なら差は特に浮き彫り。
そう云う意味でなら犬飼と梅月は対照的だった。


出席番号の縁でもなければこんな近くに居られる事も無かったろう。
皆を惹き付ける巻き髪が眼前、絶好の特等席。

梅月自身は地味だと自覚があろうと特に変わる気も無いのだ。
ショーウィンドウ越し、綺麗に着飾ったマネキンを眺めるようなものである。
単純に、美しい物を観賞する目。


ただ、いつも見ているだけに分かってしまう事が幾つか。
最近の犬飼は具合が悪そうだった。
風邪気味なのかマスクで口許を隠して、後姿からしてぼんやりしがち。
頬杖で頭を押さえている事もしばしば。

廊下側とは云えど、ただでさえ前の席。
目立つ生徒がこんな授業態度では注意を受けるのではないだろうか。
はらはらと梅月の方が落ち着かない。

「犬飼さん、保健室行っても良いですよ?」

しかし、それもただの杞憂だったらしい。
厳しい教師も流石に授業を中断して、心配そうな一声。
美人の特権かマスクの効果か。
他の生徒だったら如何だか、なんて少し冷めた事を考えていると。


「保健委員、付き添ってあげて。」
「…………はい。」

次いで、職務で呼ばれた梅月は一瞬だけ動揺。

当然と云えば当然、想定出来た筈の事態なのに。
挙手した時には既に元の無表情。
席を立つと連れ添って二人、薔薇が匂い立つ教室を後にした。


窓には眩しい青空が並んでも、此処からは太陽が見えず影が濃い。
授業中の廊下は息を潜めるような冷たい静けさ。
断片的に届く教師の声も遠く。
明るい外からも、堅い教室からも、切り取られた錯覚を起こす。

手を伸ばせば触れそうな距離にクラスの華。
さて如何したものか、此の状況。

碌に話した事が無い上、友達と一緒に居ても聞き手側の梅月は無言。
そもそも具合が悪いならお喋りする余裕も無いか。
適度な緊張感であまり居心地は良くないが、そう決め込んだ。
保健室まで送ったらお役御免。

付き添いとは云え、其処まで歩くのは犬飼自身の足なのだ。
梅月が居たって支えてあげられる訳でも無し。


上と下で分かれ道の階段が長い廊下の終点。
1階の保健室はほとんど梅月達の教室の真下なので、まだまだ遠く。
少々うんざりしつつ、下り階段へ一歩。
けれど、踏み出した足は其処で止まってしまった。

梅月のシャツの袖を引っ張る、細くて整った指先。

少し長めの爪は意外と派手に飾られておらず。
春の花弁を思わせる、愛らしいミルキーピンクが一刷けのみ。

「……こっちが良い。」

犬飼の人差し指と眼が、確かな意思で天を仰ぐ。
此処から先は太陽に近い場所。
一切の物音を断って、屋上へしか通じてない上り階段。


「あー……っ、生き返る……!」

重い扉を背中で閉ざして放り出された青空の下。
独り言のようでも腹の底から響かせた声に、梅月は驚かされた。

唸ったのは、マスクを外して深呼吸した唇。


犬飼が腰を下ろした拍子、一瞬大きく膨らんだ深紅のプリーツスカート。
丸めがちだった背が伸びをして肩の力も抜く。
それは体調不良と云うよりも疲労が溜まった類に見えた。

まさか、サボる為の仮病だったのではないだろうか。
言われるまま一緒に来てしまった梅月も共犯になるかもしれない。
そんな疑惑も掠めたが、数日ずっとマスクまでして手が込みすぎている。
保健室行きだって今日が初めて。

「……寝てた方が良かったんじゃないの?」
「今、私に必要なのは新鮮な空気よ。」

如何しようかとずっと思考を巡らせていても、無言のままでは埒が明かず。
初めて口を開いた梅月が一言。
対する犬飼の返事と云えば、芝居の台詞を思わせるほど堂々と。

ベッドで休める保健室行きを蹴ってまでの事なのだろうか。
段差に腰掛け、ストッキングの脚を組んで悠々と。
今も華やかで美しい事には変わりないのだが、教室の犬飼とは違う。
隙無く優雅な仕草を崩して、何処か砕けた雰囲気。

確かに、一息吐くには気持ち良い場所ではある。

音を立てて屋上を渡る風は止み、澄んだ空気が作り出す静寂。
麗らかな陽が降り注いで天気は上々。
日差しが無い廊下側の席、つい先程まで教室に押し込められていたのに。

それでも、其処が本来の居場所なのだ。
呼吸が出来なかった犬飼は兎も角としても、梅月は。


青空で一際明るい色に輝く巻き髪を見下ろしながら、ポケットを探った。
指先に、紙で包まれた硬い感触。
苦手かもしれないし、お節介と断られるかもしれない。
そんな事も頭に過ぎったが、握り締めたままの拳を差し出した。

「スッキリしたいなら、あげる……要らないなら別に良いけど。」

犬飼に向けて広げた掌には青い小さな包み。
いつも梅月が口の中で転がしている、ミントキャンディ。
リフレッシュしたい時には丁度良い筈。

「お気遣いありがとう、いただくわ。」
「……ん。」

存外素直に受け取られたもので内心拍子抜けしてしまう。
さて、此れでもう保健委員の役割は済んだ。
このまま放っておいても犬飼は好きな時に戻ってくるだろう。
そうして、梅月が踵を返すと。

「え~……、もう行っちゃうの?」

翻ったスカートの裾を摘んで、見上げてくる吊り目。
捕われたと気付いた時にはもう遅い。


「そう言われても……、私は具合悪くないよ。」
「授業受けるより此処に居た方が楽しいと思うけど。」
「……そんな問題じゃないと思うけど。」
「それじゃ、ミント食べ終わるまで。」

ね、と綺麗に微笑まれて押し切られてしまった。
引き止める理由は、一人で退屈とでも云ったところか。
溜息と共に隣へ座り込んだのは降参の意。

淡い水色の粒を口へ放った犬飼に続いて、梅月も一つ包みを破く。
そこからカウントダウンの開始。
舌に触れた瞬間こそ氷の欠片に似ていても、もう親しんでしまった味。
鮮烈な清々しさよりミント特有の甘さを感じて和むくらい。


「やっぱり、落ち着く匂いするのね……梅月さんって。」

うっかり呑み込んでしまうか、開いた口から落としてしまうか。
危うくキャンディが無駄になるところだった。


肩を寄せられて触れ合う、茶と黒の長い髪。
匂いなんて何を言い出すのか。
犬飼の中で、自分がそう認識されていた事実に梅月は面食らった。
大して親しくもなければ、口説かれている訳でもあるまいし。

世間では同性愛のイメージが定着しているようだが、そんな物は女子校に無い。
寧ろ、そんな事を言ってからかう輩の方が気味悪がられる。

「な……んで、そうなるの……」
「前から思ってたわよ?後ろに座ってるとね、見なくても判るの。」
「良い鼻をお持ちで……」
「そうでもないわ、くどい香りは苦手だもの……薔薇とか。」

あぁ、そう云う事か。

最近ずっと欠かさないマスクと、教室から逃げ出した理由が読めた。
要するに犬飼は香水に酔ってしまったのだ。
女子しか居ないクラスでは吹き付けている生徒の確率も上がる。
しかも窓の遠い廊下側の席、鼻が効く者にはなかなか堪える空間であろう。


あのモデルも罪作りなものである。
犬飼は彼女に似ていると思っていたが、そうでもないらしい。

華には違いなくても大輪の薔薇にはなれない。
甘い香草を味わって緩む唇。
それは女王などではなく、梅月と同じ一人の少女に過ぎず。


「あんまりくっつかれると、吃驚するんだけど……」
「もう少しだけ。」

ただのキャンディの香りなのに。
明日から犬飼の分も持ってきてあげるべきか。
そうしたら、こうやって梅月自身が求められる事も無くなるだろうか。
こんな時間も今日だけ。

微かなペパーミントが青空に溶ける。
すっかり慣れた筈の舌に、妙な苦味を残して。


*end



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2013.06.14