林檎に牙を:全5種類
水田が広がる窓の外、今日もまた蛙の合唱は闇夜を騒がせている。
朝からの曇天で月も星も隠れたまま。
まだ梅雨の夜に散らばる光は、星より近くて派手な街の明かりだけ。

ある意味夏らしいが、雨の気配こそあらずとも寂しい空の七夕。
見晴らし良好のマンションには寒いくらいの風が吹き込む。
もうすぐ熱と湿気で茹だる日々がやって来るのだ。
こんな冷たい夜も今だけ、そう考えれば過ぎ去るのが惜しいくらい。


「でも折角、笹まであるのにね。」
「此れはカウントして良い物なんですかね、琴子さん。」

同意を求めて軽い溜息を吐く琴子に対して、白鳥の返事は冷静。
何しろ色紙の鎖も短冊も必要無いのだ。
二人を隔てる炬燵テーブルの上にあるのは、葉の香りで包まれた笹餅。


しっとり湿った大きな葉を捲れば、艶々と真っ白な餅。
餡の仄かな甘さは五月の風物詩と似た味わい。

湯気を揺らす緑茶が穏やかな空気を作る、夜のお茶会。
此の時間に忙しなさは不可侵。
白鳥が隣室の琴子とこうして過ごすようになってから随分経つ。
何せ、マンションに住む前から顔見知りの仲なのだ。

よく入り浸る琴子の為、彼女専用に置かれているカップはルビー色。
緑と黒を基調とした白鳥の部屋でほぼ唯一と呼べる紅。

酒で乾杯する日もあるのだが、学生の頃より機会は減った。
二人共あまり呑まず甘い物の方が好み。
それに、気侭な一人暮らしは全て自己責任が伴う。
頭痛で動けなくなっても誰も頼れず、明日の仕事を考えれば控えるのが無難。

アルコールに頼りたい時だってあるけれど。


「星に願いを、とは言うけどこんな天気じゃ届かないだろうねー。」
「そうとも限りませんけどね。」

七夕が晴れないと織姫と彦星の逢瀬は翌年まで延期になるらしい。
そんな逸話もあるが、此の方が二人にとって有り難いと云う正反対の説も聞く。
雲より遥か上にある天の川は雨で流れたりしない。
下界の人目を気にせず、隠れた空で年に一度の日を楽しんでいるそうだ。

白鳥がそう説明すると、空を見上げていた琴子も納得したらしく頷いてみせた。
如何にも退屈そうだった目も幼子のように輝かせて。
雨が良いと云う方の話は聞いた事が無かったのかもしれない。

けれど、次いで微笑んだ表情は寂しげな色。
良くも悪くも琴子は判りやすい。


「離れててずっと苦しかった訳だもん……、
 会える時間が大切すぎて、他人に触れて欲しくないのは解かるよ。」

少女の頃から知っている琴子の顔が変わる。
単身赴任の旦那を想う妻に。


予想通りとは云えど、あまり聞きたくなかった。
何を言えば良いか分からなくなってしまう白鳥はカップを傾けるだけ。
胸に立ち込める曇った気分を緑茶で洗い流そうと。
そうでもして紛らわせないと、痛みすら伴って息を詰まらせる。

酒が欲しくなるのは、こう云う時だ。


琴子の旦那である鷲崎とは、彼女達が学生時代から長年の付き合いになる。
二人が結ばれてからも交流は続いているが、置き去りにされた白鳥は密かに傷付いた。
心から幸福を願っている事に偽りは無くても。

こうして琴子が隣に上がり込むのも、独りの部屋で人恋しさに耐え切れない所為。
それでも彼女の視線が白鳥を通り越している事は知っていた。
目が向けられる相手は、此処から見える訳が無い彼方に居る愛しい男だけ。
与えられる物が違う限り叶わない。

寂しいなら、隣の私を見て欲しいと。


反面、琴子の無神経ぶりにはうんざりしていた。
白鳥が苦い感情を押し殺している事も気付かず、甘えて奔放に生きている。
そう云う悪い所があると知りつつも一緒に居る理由は解からない。
憎めたら良いのに、突き放せないまま身動き取れず。


餅の欠片を呑み込んで、お茶会は間も無くお開き。

手元に残るべたべたに汚れた笹。
短冊は飾れない、願い事は天に届かない。


*end



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2013.07.04