林檎に牙を:全5種類
真っ白な布が視界一杯に大きく舞い、ゆっくりと降下する。
大人しく椅子に腰掛けていた菜々の身体を包んで。
細身を浮き立たせる瑠璃色のドレスが隠れて、今は羽にも似た軽さを纏う。

正面の鏡が映し出す、まるで処刑を待つように神妙な表情。
背後に立つマホは大袈裟だなんて笑ったりしない。
そうして伸ばされた執行人の手が、慈しみを以って菜々の髪に触れた。
銀色の鋏で切り刻んでしまう前に。



「長い髪が好き」

何気ない会話の中、好きな男がぽろりと零した声。
もう本人すら覚えちゃいないような一言は菜々の胸に焼き付いた。
ショートカットを伸ばし始めた切っ掛け。

女子の中で頭一つ分高い菜々は目立つ存在。
一重瞼が涼しげな顔立ちに、真っ黒な短い髪がよく似合っていた。
ブレザーとネクタイでますます引き締まった印象。
学生時代なんて、その辺の男子より黄色い声を浴びる王子様だったのに。

「伸びてボサボサ気味になってたよね、手入れが足りないから。」
「美容師って毒舌多いって云うけど、マホさんあなたもか……」

昔から癖っ毛で纏まりにくいから短くしていたのだ。
長くなってからは悪戦苦闘の日々。
シャンプーを替えたり、丁寧に櫛を通したり。
菜々なりに手を尽くしたつもりでも巧く髪形が決まらない。
無理に胸元まで伸ばしてみたが、どうも重い印象になってしまう。

「所詮……、私には無駄な事だったけど。」

卒業してからも皆で時々逢う仲が続いても、待っていただけ。
伝わらないまま時間だけが過ぎる。
そして今日、ドレスに袖を通したのは好きだった男の為。
彼と、菜々がよく知らない女との結婚式は夕方から駅前のホテルで。

ショートの頃まめに通っていた美容院も足が遠退いていた。
久々に訪れたのは他でもない。
泣き顔を隠して「おめでとう」と言う支度である。

マホの母が経営している此処は、住宅街の一角に構える小さな店。
お客様は大半が近所の女性達。
幼い頃から菜々も同じくお得意様だった。
マホが美容師になる前から馴染みがあり、思えば長い付き合い。
10歳近く年上でも姉妹のような間柄。


「バッサリ切っちゃっても良いのね?」
「ん……、あいつの晴れの日だし、綺麗にして見送りたいから。」

小さく頷いた菜々の声は切ない響き。
片想いに別れを告げる為の儀式も兼ねて、なのだろう。
失恋で髪を切るなんて古い。
それでも、気持ちを解かっているだけに

美容師自身が綺麗にしていないと信用問題。
ふわふわで小麦色の艶、丸みのあるフォルムの髪。
色白で華奢なマホは柔らかさを持ち、ショートでも女性的。

此れは自分の為だけに作られたスタイルだ。
誰に言われた訳でもなく。


好きな男の事で一喜一憂。
何年も前の言葉を後生大事に抱えて、自分を変えて。
悩んで、落ち込んで、格好悪いなんて言わない。
まったく可愛いもんじゃないか。

昔から大人びており、怖いもの知らずでクールだったのに。
王子様とまで呼ばれた菜々がこんな表情するなんて。


少しだけ笑ったマホが、菜々の頭をくしゃくしゃ撫でた。
鏡越しの怪訝な目も構わずに。
何しろ、終わったらこう云う事も出来なくなるのだ。

此処から先は腕の見せ所。
今度は美容師としての手で、身を委ねる髪に触れた。

綺麗になりたいと願うのなら任せて欲しい。




「……こーゆー意味じゃなかったんだけど。」
「何、気に入らないの?力作だよ?」


暫く後、鏡の前に腰掛けていた菜々はまるで別人。

毛先を整える程度にだけ使った鋏。
癖だらけだった黒髪は、膨らませて華やかなアップに姿を変えた。
クリアガラスの小さなティアラを煌めかせて。
丁寧な化粧で、ノーブルな強さを増した目許が美しい。

真白の布が再び中空で翻って取り払われる。
其処に現われたのは、瑠璃色のドレスを纏った淑女。


「折角だから長い髪も愉しんでおいで、切るならまた今度やってあげるから。」
「最初で最後かもしれないからね……あー……、ありがとう。」

しなやかな瑠璃色の裾が一つ踊る。
ヒールの靴音を軽快に慣らし、パーティへと向かって行く。
もう涙を流さないまま泣いたりしない表情で。

行ってらっしゃい、お姫様。
此処から動けない魔女は小さく手を振った。


*end



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2013.10.07