林檎に牙を:全5種類
雨で冷え切った夜が明けて、水溜りの凍る朝。
ずっと薄曇りの今日は真昼でも肌寒さが纏わりついていた。

春の匂いはすれども、まだ掠める程度の淡さ。
太陽が見えなければ錯覚に過ぎず。
生温かな夢から覚めるように、冬に包まれていた事を思い出す。


日暮れを迎えれば、こんな夜は歩き慣れた距離が長くなる。
駅の東口からアパートまで数十分。
街明かりに浮かび上がるのは、黒いダウンジャケットを暗闇に溶かしていた拓真。
月も星も隠れた空はいつも以上に全てを不明瞭にする。
電灯の白い光が妙に頼もしかった。

肝心の寒さは拓真にとってそれほど辛いものでもなかった。
ボクサーを辞めてもトレーニングが日課。
鍛えている身体は耐性が強く、薄手でも保温に優れた上着一枚あれば充分。

比較的身軽な拓真に対して、隣の寒がりは少しばかり重い足取り。
濃紺のロングダッフルコートによる重装備。
口許までマフラーで覆われ、ふわふわ頭にも帽子。
細身の遼二は今や着膨れで丸々と。

「……お疲れさん。」
「はい、そちらもお疲れ様。」

交わされた短い言葉は白く染まって、瞬く間に消え去る。
学校もバイトも終えた週末の帰り道。
行き着く先は拓真の家、土日の二日間を過ごす場所。


帽子が好きらしいと知ったのは付き合い始めてから。
モノクロでシンプルな服装の多い遼二にとって、唯一の洒落っ気。

実習中はコック帽、バイトではキャスケット。
私服の時にはまた違うデザインを選ぶので印象も変わる。
お気に入りも幾つかあるようだが、冬の間はアイボリーのニット帽。
髪を纏める為にも丁度良いらしい。
意地の悪い北風に撫で回されると、癖毛は厄介な事になる。

パーカーを着ている時もわざわざフードを引っ張り上げるのだ。
頭や首周りを庇護していると落ち着くのだろう。
少しばかり幼く見えて愛らしい。
まだ10代、実際に若いのだから当然の話なのだが。


「何で女子高生ってあんなに寒さ強いんでしょうね。」

連れ立って歩く二人の背後から風一陣。
自転車で追い越していった少女の背中に、感嘆めいた遼二の呟き。
スカートに靴下のみの脚は守りが薄すぎる。
ただし、向けられる視線や声には情欲など欠片もあらず。
男にしか興味が無いので対象外。

「お前だって高校生だったろ、ついこないだまで。」
「いや、でもスカート穿いた事ないですし。僕とは別の生き物ですよ。」

簡潔な返答は突き放すようにすら聞こえる。
別に女嫌いと云う訳でもないのに。
女生徒の方が多い製菓学校の中、遼二は周囲と巧くやっている。
外面が良いので、優しく紳士的との評価。


「ああ、けど保志さんなんて上半身剥き出しだったんですよね、年がら年中。」
「ボクサーなんだから当たり前だろ……、嫌な言い方するな。」

拓真の前では良い子の顔など捨ててしまうが。
憎まれ口も甘えているうちなので実に難儀な恋人である。
何故こんな奴に惚れたのやら、男が好きな訳でもなかったのに。

若かった頃を思い出そうとして気付いた。
拓真がボクシングに打ち込んでいた高校三年間、遼二の方は幼稚園児。
一回りある年の差を改めて考えさせられてしまった。
入学した専門学校にそのまま就職し、すっかり身を落ち着けて数年。
変化が無いだけ歳月の流れには鈍感になっていた。

同性、学校に於いての関係、そして年齢。
遼二との間にある障害を無視しているつもりなど無い。
ふとした瞬間、手強い壁になる。

何事も考え込みがちの拓真は悩みが尽きず。
壊せる物でもないので、気にしないのが一番のようだが。


「寄っても良いですか?」

無心で足を進めていたら、遼二にジャケットの袖を引かれた。
指差す先は親しみ深い存在感のコンビニ。

立ち寄る事に明確な理由など要らない気がした。
曇天の夜にはあまりにも明るく、オアシスにすら見える。
頷くまでもなく進路変更。
ガラス戸が開けば、暖かな空気に強張りが解けた。



冷たく張り詰めた外気から、暖房が効いた店内へ。
急な温度差は眼鏡を曇らせる。
レンズを拭く遼二の仕草に横目で笑って、商品の棚へ視線を移す。

眼鏡どころか、きっと頬も指先も凍えているであろう頃。
何か温かい物でも買ってやろう。
考えてみれば夕飯だって帰宅してから支度を始めるのだ。
拓真もそろそろ空きっ腹が寒々しくなってきた。

真冬のコンビニと云えば、レジの横が定位置の中華まん。
暫く食べてないので恋しく思う。
けれど、考える事は誰も皆同じのようだ。
目ぼしい物はほとんど売り切れ。
折角ガラスケースの中は蒸気で満ちているのに。

残念と思っても簡単に諦めはついた。
湯気を立てる物は他にもあるし、きっと今なら何でも美味い。

目を付けたのは出し汁の海で泳ぐおでん。
よく煮えていて、腹の底から温めてくれる事だろう。
喉が鳴る前にとレジの店員に声を掛けた。



「ありがとうございました!」

明るい声に背中を叩かれると冬を歩く足は重くない。
充分に暖まった直後なら、凛とした空気は今だけ心地良くすら感じる。

それぞれ片手に白い袋を下げて。
拓真がおでんを選んでいる間、遼二は早々と会計を済ませたらしい。
ただでさえ夜道では何を買ったのやら判らず。


そう、此処なら人目も無い暗闇。
男同士で引っ付いていようと誰も見ていないのだ。

保たれていた一定の距離を詰めて、そっと腕を伸ばす。
拓真にしては勇気を出したつもり。
空いている方の細い手に、無骨な指先を滑り込ませた。

「……冷たいな。」
「何ですか、自分から繋いでおいて。」

一瞬だけ氷を錯覚させた感触に、思わず声が漏れる。
コンビニで暖を取った筈なのに。
放すつもりは無く、振り払われる気配も無く。
ただ、自分との温度差が大き過ぎて首を傾げてしまった。


「まぁ、多分きっと、此れを選んでた所為じゃないかと。」

ビニールの擦れる音を賑やかに、遼二がコンビニ袋を探る。
中身を見て拓真は今度こそ面食らった。
こんな夜に全く似つかわしくない、バニラアイスのカップが二つ。
冷凍庫と大差無い外気でまだ固いまま。

わざわざ寄り道した理由はあまりにも予想外。
こんなに寒がっているくせに。

「よくアイス食う気になるな、お前。」
「熱々のコーヒー掛けるのが美味しいんです、炬燵で。」

ああ、そう云う食べ方もあるのか。
遼二が居なければ恐らく知り得なかった事。

出し汁の染みたおでんに、コーヒーで蕩けたバニラアイス。
炬燵に並ぶ冬の味覚を思うと楽しみになってきた。
遠く感じていたアパートも目前。


どの窓もカーテンで閉ざされて冷気を締め出していた。
それでも何処で誰の目があるか分からず、先程とは違うのだ。

アパートに近付いてきた辺りで手を緩めようと。
すると今度は遼二から握り返され、叶わず。
良いのだろうかと隣を向けば、今更、とでも言いたげな目。
眼鏡越しに涼しく見上げられて何も言えなくなる。

階段を上がる靴音二つ。
捕獲されたままの歩みは息が合わさり、自宅を目指す。

二人での帰り道は決して悪い物であらず。
玄関を開けたら、もう此の手を放さなくてはいけない。
見失う訳でもないのに少しだけ苦しくなるのは何故だろうか。

せめて包んであげたくて握り締めた。
短い爪の形、骨の凹凸、掌に馴染んで消えないようにと。



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2014.03.20