林檎に牙を:全5種類
「……死んでる?」
「生きてるわよ……」


夜に包まれる宿屋の一室、ベッドの上は殺人現場にも近い惨状だった。
飛び散った体液と濃く立ち込めた匂い。
あまりの酷さにデイジーが顔を顰めれば呟きが返る。
乱れたシーツの波間に埋もれていた、年若い女が生存報告。

何処か屍めいた真っ白な裸身に長い金髪を纏って。
投げ出された四肢が痛々しい。
真新しい傷や痣は浅くとも、視線を奪われたまま逸らせず。

海から引き摺り出され、息も絶え絶えな人魚を思わせた。
両脚に鱗など無くとも歩くには頼りない細さ。


太陽が消えたばかりの空は深い藍色に染まる。
夜を煌めかせるのは星ではない。
あちこち派手な色のネオンに彩られ、昼よりも目が痛い程。

窓辺の騒がしい灯りで浮かび上がる、一糸纏わぬ女の輪郭。
何処か眠そうな潤んだ瞳に小さな光。
男の残していった白濁を舐め擦る唇も艶々と。
極上に滑らかな髪はまるで蜂蜜、身動ぎすればしなやかに形を変える。

重たげな乳房と括れた腰は、性別も年頃も同じだろうと目の毒。
短い赤毛に胸も薄いデイジーからすれば別の生き物。


此処、花街は数多くの色欲が沈む深海とでも云うべきか。
紳士淑女の仮面なんて脱ぎ捨てられる。
陽の差す地上で晒せない姿を剥き出しにする場所。

そして「人魚」とは娼婦を指す、花街で独特の隠語。
欲望を糧にして生息する美しい魔物。



飽くまで地上を住処としていようと深海に潜る日々。
連れ込み宿に勤めるデイジーは、数多い女達の極間近で夜を過ごす。
魔物と客が情欲を貪る饗宴の舞台。
どちらが狩人か獲物か、喰っているのか喰われているのか。

ほとんど受け付けや注文の際に一目触れるのみでも。
声も音を殺す扉の向こう、生態は様々。

見えない分、妄想を掻き立てられるかもしれない。
覗いてみたいなどとだらしなく口元を歪ませる者も中には居る。
全く品性下劣な話だ、嘆かわしい。
壁一枚を隔てれば別世界、忙しく働くデイジー自身には無関係。


それを言えば、彼女達が魔物達に化けるのも仕事に過ぎない。
好きでもない男を受け入れる理由なんて、ただそれだけ。
喉が嗄れるまで啼き声を上げても紛い物。

弱々しげな少女だったとしても見掛けに寄らない。
生活に困って仕方なく身を差し出す素振りで、とんだ食わせ者。
男が眠った隙に縛り上げて荷物を持ち去った事例もある。
噂には聞いていたが、まさか本当に遭遇するとは思わなかった。

金銭と床を共にしているようなものだと魔物達は笑い飛ばす。
蜜に濡れていた指で紙幣を数え、冷徹なまでに強か。


そんな深海で、デイジーが見つけた金色の人魚。
此処の宿を餌場と決めたらしい。
目を奪われてしまってから幾年月、現在は短い言葉を交わす仲。

本来ならば一瞬だけ顔を合わせる程度。
今こうしているのも実のところ皮肉な縁である。

それと云うのも、要因は人魚の無茶な仕事ぶりにあった。


通常、部屋を貸し出すのはどうぞご自由にと云う体裁。
しかし密室とは危険が伴う場合もある。
色欲が渦巻く花街で痴情の縺れなど珍しくないだろう。
廊下と反対側の壁に従業員用の隠し通路があり、其処からは各部屋の声が聴こえる。
最悪の事態を回避する為、何かの緊急時には駆け付けられるようにと。

例えば客一人だけが逃げるように去り、女の残る部屋が無音だとか。

ぐったりとベッドに倒れた人魚を発見した時、デイジーは少なからず覚悟した。
細い首筋には絞められた生々しい痣。
加虐趣味を拗らせた客なんて取った結果が此れである。
力加減を間違っていれば今日でお別れだったのだ。

こんな姿すら美しいのだから、デイジーは思わず溜息一つ。
感嘆よりも寧ろ呆れに近い色で。


「死にますよ……」
「死なないわよ、まだ稼がなきゃならないのに。」

酷い目に遭った後だと云うのに、恐れの無い表情でいられるのは何故か。
どんな時でも瞳は死なず、華を失わない。
刻まれた痕さえも白い肌を煌めかせる装飾になった。

妙な客ばかり引き受けては、過剰な欲望に身を貪らせる。
そうまでして人魚でいる理由は何だろうか。
あの世に持ち込めないなら、集めた金銭など無価値だと云うのに。
「人間」である事にしがみ付くデイジーには解からない。

其処に事情があるか如何か、そもそも名前すらも知らなかった。
寝床で男に呼ばれる物なら意味が無い。
故に、声を掛ける前の一瞬はいつも戸惑ってしまう。


白魚の手は爪一枚一枚にマニキュア。
こんな暗い部屋では色も判らないが、濡れたような艶。
鱗にもよく似てネオンの光を弾く。

もし此の手を引いて深海から抜け出せたら。
人魚に対して燻る物は、如何云う感情なのだろうか。

同情だとしたらおこがましい。
必要としない者にとっては鬱陶しいだけなのに。
デイジーの中に煙が上がるだけで形にならないまま。


乱れた金の頭を撫でてあげたくなっても、ただ考えるだけ。
慰めよりも触れたいだけのような気がして。
それでは男達と同じになってしまう。
引っ込めた手はバスローブを広げ、せめてと無防備な肌に羽織らせた。

けれど、その手は人魚の方から重ねられる。
欲望の欠片も無しに。
そうして、いつもより少し幼い色で微笑んで。


「ありがとう。私に触れない男はあなたくらいよ、坊や。」
「……良いから早く着て下さい。」

デイジーの風貌は一見すれば少年。
人魚もまた何も知らないのだ、此方の事など。
同じ部屋に居ても別世界の住人。


ふと、昔読んだ童話がデイジーの中でページを捲る。

人魚が鱗を脚に変えるならば、やはり王子に恋した時なのだろう。
例え悲恋で終わったとしても。
王子になれないデイジーは女だと打ち明けられない。
声を失い、伝えないから何も変わらず。


*end



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2014.04.19