林檎に牙を:全5種類
樹里が唇を腫らしてきたのは、洋菓子調理実習の朝だった。
着替えと手洗いを済ませた専門学校生達がそれぞれ班に分かれる頃。
綺麗な黒髪に、口紅要らずの真っ赤な艶々。
コックコートの白を纏うと此れまたよく映えた。

「どったの樹里ちゃん、人喰ったみたいになってるよ?」
「セクシーと言いなさいっ!」

間抜けた問い掛けに、牙を剥いて不機嫌な返答。
ぼんやりした桜子と気丈な樹里が顔を合わせればこうなる。
何の事はなく、いつも通りの空気で。
同じ班でもなければ接点など無かった筈の対照的な二人。

目なら泣き過ぎの心配をするところだが、唇とは此れ如何に。
原因が気になっても実習中はお喋り厳禁。
仔細を訊くのは後々、手を止めて席についてから。


「昨夜ね、彼氏がカレー作ってくれて……」

その一言で大体は察しがついた。

「あぁ、うん、お味は見ての通りって訳だね。」
「桜子は話早くて助かるわ。そうね、口の中が火事になったわよ。」
「ちょっと無理、とか言えなかったん?」
「あんな自身満々で振舞って、美味い美味い食べてる人に……?」

正直な感想を口にするのは残酷と云う訳か。
味覚の違いは埋め難い。
きっと完食したのだろう、我慢大会でもないのに。

それにしたって、つい無理してしまうのは恋心故か。
盲目とまではいかずとも鈍ってはいるらしい。
相手が好きなうちは器を大きく構えていられるので許せてしまう。
頭に来る事が多少あっても、更に器を大きくして。

しかし、怖いのは熱が冷めて器から溢れた時。

過去を穿り返して「我慢していた」と喚き、諍いの炎が上がるだろう。
普段、物怖じせず意見を述べる樹里なら充分に有り得る。

桜子だってふわふわ生きている訳じゃないのだ。
短い髪で化粧っ気などまるで無し。
そんな子供っぽい印象でも、周囲に向けている視線は飽くまで冷静。


混ぜて焼くだけだったケーキの方は本当に簡単。
メインのお菓子を作り終えてしまった後も、実習の時間は大幅に余る。
そう云う訳で、今日は手軽な物をもう一品。

鍋に放られるのは一杯のサクランボ。
砂糖、レモン汁で煮詰まってきたら実習室のカーテンを閉め切って。
薄闇で赤ワインの瓶を片手に、さてお立会い。
円を描いて浴びせれば、綺麗な色で揺らめく炎が踊り上がる。

お菓子は美味しいだけでなく、姿形も目で味わってこそ。
優雅な炎を愉しむフランベは其の代名詞。
ホテルのディナーでもよく見られるパフォーマンス。


アルコールが飛べば、炎の宴は此れにて幕切れ。
皿の上には山成すバニラアイス。
スプーンが刺さりそうな固さでも問題無し。
熱々のチェリーソースを垂らせば、甘い香りで蕩け出す。

冷たく閉ざされた心が熱情で解かれるような。
そんな事すら思わせる瞬間。


スプーンの上で絡み合う深紅と乳白。
零れそうな最初の一口を含めば、温度差のある甘味は濃厚に。
喉に滑り落ちた後もアルコールが効いた果実の香り。

「んー……っ、美味しい……!」

製菓学校に集まるのは人一倍の甘い物好き。
きりっと大人びた樹里もまた、顔中を綻ばせる。

焼け跡の口許にアイスクリームはさぞ心地良いのだろう。
樹里のこんな表情を彼氏は知っているのやら。
スプーンの先で崩しながら、じっと横目で盗み見していた。
サクランボを思わせる美味しそうな唇。


「桜子、ぼんやりしてるとアイス溶けるわよ?」
「あぁ、そうだったねぇ……美味しそうだよね、サクランボ。」


*end



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2014.05.07