林檎に牙を:全5種類
シロツメクサは花冠や首飾りに、クローバーは幸福のお守りに。
小さな庭に蔓延る雑草が最高の玩具だった頃。
子供の目に映っていた世界は何て美しかったのだろう。


幼い頃、茉莉子の遊び場は専らマンションの裏庭だった。
此処は碌に手入れもされない草ぼうぼう。
芝刈りで数ヶ月おきに一掃されても、根が残ったままなのでイタチごっこ。
管理人に放置されている間は四季折々の雑草が背筋を伸ばす。

一面の新緑に混ざって顔を覗かせる花々の色彩。
草と土の匂いに安心を覚えて、虫にだって怯まない。


初めて魔女に出逢ったのも此処だった。


ある日の事、いつも通り遊びに来たら黒い人影。
引き返したり隠れたりする必要は無かった。

茉莉子よりも少し年下であろう、小さな少女。
飾り気の無い真っ黒なワンピース。
不釣り合いに大きな箒に跨って、大地を踏みしめたままの足。

きっと空想の中では自由に空を駆けているのだろう。
綺麗な髪が流れ落ちる、目を瞑った白い横顔。


動じなくても良い筈なのに、此の時に感じた熱を茉莉子は覚えている。
胸の中で火花が散って、指先まで走る甘い痺れ。
まるで魔法に掛かったような瞬間。

魔女が瞼を開けたら、最初に何て声を掛けようかと。




「おや、先客。」
「いつもの事じゃない……」

茉莉子が一声零せば、魔女の返事は無感情に。

古い記憶を思い出したのは、緑の濃い地上から数十メートル。
マンションの屋上に少女達の影が落ちる。
ただ背も手足もすらりと伸びて、あの頃の事はすっかり昔話。


空に近い屋上、此処を吹き抜ける風は多少なりとも荒ぶっている。
肉感的な身体に纏わり付いて乱れる、柔らかな長い髪。
つい先日、美容院に行ってきたばかりでチョコレートに近いカラーリング。
甘い色は茉莉子の優しい顔立ちによく似合っていた。

頑丈な網目のフェンスは空と足元の境界線。
遮る物の無い陽射しを恐れずに、成長した魔女は佇んでいた。

癖の無い髪は、風で梳かれれば黒い水のように流れる。
長い睫毛に縁取られて冴えた切れ長の目。
シンプルな服装が細く締まった長身を引き立てる。
何処か冷たく艶やかな美貌を持つ魔女の名は、晴美と云った。


目鼻立ちが幼い茉莉子と比べ、年下でも晴美の方が大人びて見える。
高校生同士でも発育の違いは面白いものだ。

マンションに住む子供が外で遊ぶ場所など限られていた。
二人とも住処が変わらないまま今に至る。
歳は違えども付かず離れず、あれから10年以上の腐れ縁。


近所付き合いが薄くなった現代、壁一枚向こうは他人。
階が違えばあまり顔を合わせる事もない。
中学までは同じでも、選択肢の広がる高校となれば道が分かたれる。
ただ一つの共通点だけ残して。

人の寄り付かない屋上、空を愛する晴美はほとんど入り浸り。
気が向いた時に足を運んでは茉莉子も隣へ。

晴美と並んでフェンス越しに見下ろしてみれば、裏庭の方面。
思い出深い場所も今となっては随分と小さく感じる。
目線が高くなった所為だけでなくて。
尤も、雑草遊びを卒業してからは足を止める事も早々無くなった。


「何、どうかした?」
「別に……、頭痛いだけよ。」

いつも不機嫌じみた表情とハスキーボイス。
人によっては気圧されるが、茉莉子からすれば見慣れてしまって怖くない。
あらあら、それは大変と呑気に返して化粧ポーチを探る。
迷いの無い指先で、液体が揺れる褐色の小瓶を一つ取り出した。

「頭痛の特効薬だよ。」

幾つか指先に雫を落とした後、晴美の首筋に軽く触れた。
素直に、と云う訳でもないが彼女も大人しく黒髪を掻き上げる。
隠れていた白い肌は薄く汗の湿度。
うなじから耳の後ろに液体を塗り広げ、指先のマッサージで揉み込んだ。

晴美の掌にも一滴、二滴。
両手を器の形に合わさせ、顔に近付けて深呼吸を促した。
特効薬は塗るだけが使い道でないのだ。

濃密で生々しいグリーンの香りが突き抜ける。
小瓶に記された文字は、精油のミント。


三つ子の魂百までとはよく言ったものである。
幼い頃から植物に惹かれていた茉莉子は、ただ遊ぶだけで足りなくなった。

薔薇やラベンダーは食べられる、紫陽花や水仙には毒がある。
知れば知るほど探求心が強くなって本を読み耽った。
花はただ可憐なだけの物でないのだと。

精油を持ち歩くようになったのは、ちょっとした薬代わり。
種類によって効能も様々なので、他の物も集めてみたいのは山々。
しかし薔薇などはゼロの桁が違う値段になってしまう。
馴染み深いミントは安くて万能、高校生の身では此れで充分だ。


騒然とした頭ですらも一掃してしまう清涼感。
しかし強い香りもいつかは消える。
名残惜しげに深呼吸を繰り返し、すっかり澄み切った気持ち。

「どう、落ち着いた?」
「元からそんなに酷くないわ、頭痛いのは比喩でもあるし……」
「えっ、ハルちゃん悩みでもあるの?」
「そうね……、進路の事とか。」

青春は悩みと焦燥感の時代。

高校生となれば行動の範囲も昼がるが、まだ子供。
バイクに乗れる、結婚も出来る、けれど選ぶかどうかは自分次第。
否応なしに進まねばならない大人の階段。
立ち止まろうとすれば、背中から突かれてしまう。

三年生の茉莉子の方が落ち着いているのは、やりたい事が決まっている為。
卒業したら整体師を目指して専門学校。
アロマセラピーの勉強もして、オイルマッサージを取り入れるつもり。


「わたしは……、ハルちゃんは魔女になりたいんだと思ってたよ。」

今度こそ切れ長の目に睨まれた。
微笑ましい思い出も、当人からすれば恥ずかしい物。

「……いつの話よ?」
「だって初めて逢った時、箒に乗ってたじゃない。」
「ハーブに詳しい女は魔女扱いされて火あぶりって聞いたわよ……」
「それは大変だ、命惜しいから黙るね。」

晴美が口にした事は歴史の暗部。
魔女とは何も、空想だけの存在ではないのだ。

効能豊かなハーブは、まるで魔法の薬にもなり得る。
時には恐ろしい伝染病から身を守るほど。
そうした知識に優れた女達は尊敬と畏怖の対象となり、生きたまま焼かれた。
気に入らなければ異端として排除された時代。


下を向けば目も眩みそうな高さで、少しだけ背筋が震える。
此処から落ちれば裏庭まではあっという間だろう。

そうして代わりに見上げた空は相変わらず青いまま。
二人が立つ足元だけを切り取って、大きな力で抱え込む。
眩しいくらいに穏やかな色で。

「……そろそろ行くわ。」

もう気が済んだのか、先に踵を返したのは晴美の方。
青春の時間は花の如く短い。
茉莉子と話をしているうち、きっと胸も晴れてきたのだろう。

「そっか、わたしはもう少し空でも見てる事にするよ。」
「そう……、ミントありがとう、マリさん。」

お礼を忘れた訳じゃなかったらしい。
随分と遅れたタイミングに対し、茉莉子は小さく笑ってしまった。
振り向かない晴美は気付かないままだろうけど。

一つだけ手を振ってから屋上の扉が閉まる。
またね、と別れの言葉を残して。



「ハルちゃんは純粋だね………、ずっと変わらず。」

わたしと大違い。

付け加えた言葉は声に出さないまま呟く。
晴美の前とは別人の表情で、独りきりの茉莉子が笑う。

そして、ポケットから紙の箱を取り出した。
緑のパッケージ一杯に詰まった中身はメンソール煙草。
手慣れて様になった仕草で火を点し、煙を味わう。


本当は、空なんか欠片も興味が無かった。
高い所だって別に好きじゃない。
ただ、隠れて喫煙するには丁度良い場所だっただけで。

精油と違うミントの香り。
他ならぬ自分の意志、苦い毒で胸を深く満たした。

煙に巻かれて息絶えるのは、無邪気なだけだった昔の自分。
そうして茉莉子の中で魔女と入れ替わる。
変わらないままでいるのは難しい。
花も少女も、ただ可憐なだけの物でないのだと。


生まれる煙は絶え間ない風に浚われて、跡形も残さずに。
吸殻も灰も処分は慎重に。
それで良いのだ、こんな表情など晴美は知らないままで。


*end



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2014.08.07