林檎に牙を:全5種類
開けたままだった窓、風向きが変わった事を頬で感じた。

今日の空は泣き喚く駄々っ子を思わせる。
ずっと暗雲が居座っていた所為で、真昼から灯りが要る程だったのだ。
境目の見えない夜はいつから始まっていたのやら。

仕事中の机が濡れては一大事。
念の為に原稿用紙を避難させてから、作家は窓辺に立った。

昼も夜も家で筆を振るう生活で生白い肌、伸ばしっぱなしの黒髪。
釣り気味の双眸が涼しい面差し。
背が高く細身なので髪が短ければ青年にも見えたろう。
実際はそう若い訳でもなく、女性として円熟してきた年頃。


ガラスを閉ざす前、決まった癖で上空に向けて鋭い目を細めた。
見上げたところで今日は何も居やしない。
寝静まる時間でなくても飛び回る影など一つも無し。

いつも我が物顔で突き進む竜も箒も、こんな天気に挑むほど酔狂でない。
地上から足を離せばたちまち撃ち落とされてしまう。


荒れる外界と切り離されて、不自由が無い家の中はまるで箱舟。
職業柄ただでさえ籠りっぱなしの生活なのだ。
インクと紙さえあればどんな世界だって描き出せる。

勿論、手と頭だけ動かして生きている訳じゃない。
一人暮らしに足りるだけの食糧に、居心地良く温かな寝床。
常備薬の小瓶は魔女から補充したばかり。
ついでに大袋一杯のチョコレート。
雨をやり過ごす用意は万全、必要な物ならば此処に揃っている。


打ち付ける雨の中、ドアベルとノックの音が作家の耳を叩いた。
一人でも問題なかった空間は不意に壊れる。

騒がしい雨夜の訪問者など雨宿りか、それとも幽霊か。
否、寧ろ輝く月夜にこそ似つかわしい存在。
その正体を作家は知っている、そろそろ来る頃だと思っていたのだ。

「お久しぶりね、スノウ先生!」
「いらっしゃいローズ……、相変わらずのようで。」

傘を畳んで雨避けの赤いストールを纏った少女が家に踏み込む。
黒髪に大きな目が可愛らしく、年頃は10歳前後だろうか。

少女が呼んだ作家の名は、スノウ・ホワイト。
20年前から此の国でなかなかの売れっ子として知られている。
かつて「天才文学少女」と謳われた程。


処女作から耽美な作風を得意とするが、何も性描写ばかりじゃない。
口付けの表現だけで下手な官能小説よりも胸を熱くさせる。
妖艶ながら淡い色が似合う物語。
表現に幅がある文章は、歌のように読者の頭へ流れて光景を描くのだ。

故に、作風で読者から「理想像」を押し付けられる事が多い。
主人公と作者は混同されがち。

女性同士の恋愛を書けば、スノウを同性愛者だと決め付けて指を差す輩も居た。
そんな理屈は当て嵌まらない、馬鹿馬鹿しい。
では何故、男性の同性愛を描く作家は大半が女性なのかと問いたい。

雪の如く儚げな少女だって、年齢を重ねれば冷たく強かな氷の女になる。
良くも悪くも注目を浴びて人々に踏み固められた結果。
「白雪姫」なんて名前でも、三十路の今では継母女王の方が近い。
服など何でも良いと、黒いワンピースを着ている所為もあり。

ワンピーススタイルを好む女は無精者も含まれる。
一枚だけ纏えばそれなりに恰好がつくので、服を選ぶ手間が省けるのだ。


「趣味は悪くないけど、もっと良い服あるでしょう?」
「私が家で何着ようと良いだろ……別に、年相応だと思うけど。」

ローズが来た時点で今日は筆を置こうと決めていたのだ。
お持て成しは赤ワインとチョコレート。
杯と皿を運んで、テーブルに向かい合わせになる。

自分を美しく見せる事にローズは余念がない。
睫毛の長いアーモンド形の眼で、子供ながら華がある。
服装に対して言葉を投げるだけあって、いつでも気を抜かない。
長く柔らかな黒髪に映える赤いストール。
同系色のドレスで今日の装いは一見すれば赤ずきん。

尤も、実のところはそんな可愛らしいものではないのだが。

「先生ってお幾つになったのかしら?」
「34歳。」
「堂々と言うのね。」
「あぁ……、若い方が価値あると思ってる奴ほど年齢隠すよな。」

皮肉めいた笑いでスノウが唇を歪めてみせる。
それは最上級の嫌味だった。
子供ながら、慣れた仕草でワインを啜るローズに対して。
酒を味わう舌なら身に着いている。

出逢ったのは、まだスノウが若かった頃。
あれから何年経とうともローズの姿は全く変わらず。
否、年を取る事から逃げたのだ。

苦々しくスノウを睨む、真っ赤な瞳。
それは不死である吸血鬼の証。


今日、ローズを招いた理由は他ならぬ吸血鬼の取材。
次回作でのテーマに選んだ事で彼女の存在を思い出したのだ。
想像だけで世界は描けず、こうして様々な職種や種族に話を聞くのも仕事。

血を好む魔族はそれこそ世界中に居るが、種族も習性も枝分かれ。
此の近隣諸国に生息する吸血鬼は以下の通り。

噛まれた人間は漏れなく同族になる訳じゃない。
第一、人間を襲わなくても肉や魚を扱う店で血なんて簡単に入手できる。
仲間を増やすのは人生の伴侶を決めた時のみ。

スノウにとって、その習性こそが最も厄介なものだった。
昔、言い寄って来る吸血鬼に執着されて大変な目に遭ったのだ。
何しろ相手の男は色狂いの人外。
周囲の人間まで被害を受けたり、住処を変えたり、逃げ切るまで苦労した。


少女だったスノウは確かに美しかったが、それだけが理由でない。
作品に心酔するあまり、いつか彼女が老いて引退してしまう事を恐れたのだ。
永遠の命ならば筆もまた永遠に動き続けるだろうと。
そんな数十年も先の話をされても困ってしまう。
それに此の騒動で多大なストレスを受けたのだ、半年ほど何も書けなくなった。

虚しく雪として立ち消えるか、頑強な氷として書き続けるか。
あの時こそが作家人生の分岐点。
そして、スノウが後者を選べたのはローズのお陰でもあった。
他の吸血鬼を味方に付けねば勝てなかったのだ。


「わたしが言うのも何だけど……、永遠に美しく生きたいと思わないの?」
「嫌なこった、かったるい。」

チョコレートを齧りながら、軽々と一蹴。

「一生涯筆を握るつもりだけど、そりゃ果てがあるから出来る事だろ。
 何百年も続けるなんて御免だね。」

あれだけ精神が擦り減る事態は無かったのだ。
人間にとって魅力的な筈の不老不死も、スノウは嫌悪しか抱けず。
何年経っても首を縦に振るつもりなど無し。


「私は"人間だから"書いていられるんだよ。」
「別に辞めたって良いじゃない、いつだって。」
「……死ねっての?」
「作家じゃなくても良いから、わたしと生きる道だってあるわ。」

吸血鬼同士から生まれたローズにはまだ伴侶が居なかった。
外見こそ幼いままでも、独り立ちして長い。
共に歩く者なら男でなくても構わないのだ、スノウを選ぶ事だって出来る。


否応なく夜の住人となった少女に同情も一片。
けれど、ただそれだけ。

「お前が本当に欲しいのは母親じゃないのか?」

差し伸べられた手を取る訳にはいかない。
少し意地悪くも、突き刺した言葉は引き込めるつもり無し。
確信ならスノウの中にあった。

姿が変わらなければ心も育ちにくい。
幼い我儘を振りかざしても許されると、増長していた節がローズにはある。
子供のままで生きるには何かと不都合が生じがち。
だからこそ、甘やかし続けてくれる存在を必要としていたのだ。

申し出た真意はスノウの為でなくて、結局のところ自分の為。

指摘されては仕方あるまい。
張り詰めた沈黙は不意に解けて、ローズの負け。


「戯言失礼しました、先生。」
「そうだな……、じゃ、本題に行こうか。」

吸血鬼と作家は口許だけで笑みを交わした。
それでは、取材を始めましょう。

色褪せず世に残る傑作の為に。


*end



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2014.09.10