林檎に牙を:全5種類
焼き付いたメロディは朝になっても消えない。
キラキラしたギターと強い声。
夢の後味に思いを馳せてみれば、ほろりと甘く。

通勤通学で駅は慌ただしく、誰もが自分の事で手一杯。
小鳩が鼻歌を奏でても聴こえやしない。
ツグミの曲は音源も無くオリジナルなので覚えたて。
腰を落ち着けた電車の席、眠い朝に一人だけ愉しい世界に浸る。


「朝から機嫌良いね、何か良い事あった?」

不意の問い掛けに、声を呑み込んだ。
思わず止まった鼻歌の代わり、途端に煩くなる心音。

顔を上げたら小鳩と同じ濃紺のブレザー姿。
ああ、脅かさないでほしい。
聴こえてしまったのが友達でまだ良かった。


無造作なベリーショートの鈴芽は、スカートでなければ少年に見える。
快活そうなアーモンド形の目を真っ直ぐ向け、傾げた小首。
声変わり前の男子中学生に通じる可愛らしさ。

年齢より少し幼く見えるという点では小鳩も同じく。
黒いガラス玉を思わせる目に眼鏡、髪は白いシュシュで二つ結び。
何だかんだで楽なスタイルを貫いている所為。
洒落っ気が無い訳でもないものの、地味になりがち。

「鼻歌って聴かれると恥ずかしいよ?」
「スズメ、うっさい……」

言い返したところで真っ赤。
微量の気恥ずかしさを混ぜて、また一日が始まる。

指摘された通り、小鳩が浮かれていたのは事実だった。
今まで受験や将来なんて考えるだけで憂鬱を伴っていたのに。
三日後の塾を心待ちにしている現状。
星のように光る歌声に、すっかり魅せられてしまっていた。




コンビニ袋を提げた帰り道、何となく足取りが弾む。
学校と塾で頭を使い果たした後では体力も腹も空っぽに近い。
夜を賑わせる灯りを抜けて、駅の西口ステージへ。

ただ、今日はいつも通りじゃなかった。


ステージに立つツグミは何も持っていない。
その隣、演奏者は見慣れない男性。

年の頃は20代前半で短めの黒髪、奥二重の眼が冷たく硬い雰囲気。
袖を捲った筋肉質の細い腕に抱えているのはやはりギター。
しかし、ツグミの物とはまた違う。
アコースティックよりも薄く、メタリックな艶を持つエレクトリック。


趣向が異なる為か、立ち聞きの客も明らかに多かった。
歌い手達を囲む形で小鳩との間に壁を作る。
妙に遠くなってしまって、浮かれていた気持ちは急速に落ちていく。

あれは一体誰なのだろう。

不明瞭な感情が一滴。
インクを垂らしたように沁みて広がっていく。

やがて、ステージの二人が揃って一つ息を吸う。
吐き出した時には衝撃。
夜を震わせる声が、小鳩の呼吸を奪った。


繰り返し聴いて耳に馴染んだ物でなく、全く知らない曲。

きっと、例えるならば稲妻。
月も星も見えない真っ暗闇を白く染める。
そう云う類の音楽だった。
刺すように強くて痺れる声には、甘さの余地が無い。

何処までも綺麗に伸びるツグミに合わせ、熱を含んだ低音の男性。
混ざり合って深みを持ち、一つの歌となる。


駅の片隅、ただ小さなステージを賑わせるだけじゃない。
雑踏から切り取られて独特の世界を創り上げる。
観客達はすっかり魅せられていた。
好奇心で足を止める者にも、熱狂が伝染していく。

聴きたかったのは此れじゃないのに。

正直、戸惑いで不機嫌を抱えていたのも少々。
小鳩のそんな考えも粉々にしてしまった。




「今日はすぐ帰っちゃうの?」

やがて曲が終わっても、声を掛けられず。
夜食の入った袋をどうしようか。
何となく気まずくて帰ろうとした時、ツグミから呼ばれた。
小首を傾げて、サングラス越しに向けられる眼。

素直に喜べずに一瞬固まってしまう。
小鳩の胸には、尖った光が突き刺さったまま。


「あの……、お連れさん一緒でなくて良いんですか?」
「あぁ、カラスさん?一通り歌ったら帰るって約束だったから。」

言葉通りに振り向けば、ギターケースを背負って撤収する姿。
全体的に黒っぽいあの男性に「カラス」の呼び方は適していたろう。
尤も、本名とも思えなかったが。

其処を突けば小鳩も少し痛かった。
「ツグミ」は今だけの呼び方、目の前に居る彼女の本名すら知らないのだ。

知らない顔や声を見せられた後。
軽い縁で近付けて親しげにしていたが、実は雲の上の人ではないだろうか。
聴き慣れた曲だって勿論心地良かった。
けれど、あんなにも熱くなれる音を持っていたなんて。

あれは、カラスが隣に立ったからこそ引き出せた物。
歌えない小鳩は密かに奥歯を噛んだ。

もっと知りたいのに。


「ツグミさんって……、本名はどうしても教えられないですか?」
「そうだね……、ごめん。」

差し出がましいと思いながら、恐る恐るの問い掛け。
覚悟していたつもりでも返事はやはり否。
本当はツグミからの謝罪なんて必要なかったのに。

「素の自分だとあんまり優しくしてもらえないから、歌う時は決別するつもりでね。」

意味深な付け足しが陰を落とす。
寂しげな色を含んだ口調で、小鳩は少し息苦しくなった。
誰かに酷い事をされたのかもしれない。
訊ねても答えてはくれないだろう、見えない壁に阻まれて。

せめて、慰めてあげられたら。


ツグミの頭を撫でようと、無意識のうちに差し伸べた手。
それは、全くの弾みだった。
意図も悪意もあらず、魔が差したともまた違う。

驚いて身を竦めたツグミと、目測を誤った小鳩の手。
タイミングが重なって思わぬ事態は起きる。

「あ……ッ!」

指先で弾いてしまった黒いレンズ。
痛みに痺れて動かせず、ツルとの繋ぎ目に引っ掛かったのは事故。

硬質な音を立てて、サングラスが地面のタイルを叩いた。


← BACK   NEXT →



*クリックで応援お願いします

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ 百合小説へ
にほんブログ村


スポンサーサイト

2014.10.06