林檎に牙を:全5種類
校舎の2階、東の突き当たりは美術室になっている。
真っ白な裸身を晒した彫刻やモノクロのデッサン画、机に転がった鉛筆。
色を扱っている割りには意外と味気ない空間だった。
100色の絵具も普段は道具箱に仕舞い込まれて、匂いだけが淡く残る。

だからこそ一枚だけでも色彩は目を奪った。
美術室へ足を踏み入れると、真正面の壁には1m以上ある大きな複製画。

それは緑の深く繁った小川が描かれた絵だった。
流れを見下ろすように咲いた白に、散らされた赤や青の花。
そうして恍惚の表情を浮かべる若い女が一人。
黒い水面に揺蕩いながら、生気の失われた瞳でただ天を仰ぐ。


「色っぽーいけど、何か怖い感じの絵だよねぇ。」
「そうね……、だって彼女は死の間際だもの。」

都来が眉を顰めれば、隣の鈴華は浅く頷いて肯定した。
ラファエル前派を代表する作品、ミレーの「オフィーリア」。
小川に浮かぶ彼女の名前。
シェークスピアの「ハムレット」にて非業の死を遂げたヒロインである。


とある放課後、筆を握りながらの会話だった。
都来も鈴華も両者の手元には、まだ白い部分が幾つか残っている絵。

まず第一に、美術は作品を完成させる事が大切。
時間の配分を間違えて授業中に仕上げられず、面倒でも居残りになった。
締め切りは今日中なので提出した者から帰宅が許される。

他にも数名クラスメイトが集まっているが、此処は校舎の外れ。
見渡す廊下は長すぎて、果てが無い錯覚すら起きる。
部活の声も遠くて何となく居心地が悪い。
言うまでもなく、そこに拍車を掛けているのがオフィーリアである。

確かに引き込まれる力を持つが、多感な生徒達は薄気味悪さも感じていた。
学校と云う場で何故わざわざ"死"を題材にした絵を飾るのか。
尤も、小学生じゃあるまいし怖がって騒ぐ生徒は流石に居ないものの。

もっと無邪気で可憐な美女を描いた作品など幾らでもあるだろうに。
教師に「趣味」だと言い切られたらそれまでだが。


前向きに並んだ机には水入れやパレット、投げ出された絵具のチューブ。
お喋りする者も居るが時間制限は刻々と迫っている。
黙々と取り組んでいれば、やがて絵と向き合う事に疲れて首が痛む。

そうして視線を動かしていると、背中側に居るオフィーリアが引っ掛かる。
モノクロの空間に溶け込まずに意識を奪うのだ。


「都来さん、後ろが気になるかしら?」

鈴華の方はどうやら終わったらしく机の上に放置状態。
絵具は乾かす時間があるので、完成してからも待機する必要がある。
その間にと、後ろの棚から持って来た美術書を広げて悠々と。

本があれば手当たり次第に読みたくなる性分らしい。
実際、教室での鈴華は物静かにページを捲っている姿が多かった。
前から美術書も気になっていたらしいが、授業中は作品に集中する時間。
今日は念願叶ったと云うべきなのか。

都来も鈴華もマイペース同士、共にする時間が長くても行動は違う。
お互い好きな事を好きなようにやっていられる。
無理に合わせる面倒がない関係なので、傍は居心地が良い。


「鈴華ちゃんはさー、ハムレットは読んだ?」
「いえ、大筋くらいしか知らないわねぇ……」

「ハムレット」はシェイクスピア四大悲劇の一つ。
復讐に巻き込まれた登場人物の大半が無残に命を落としていく。
ハムレットに父親を殺された恋人、オフィーリアは溺死。
それを題材にしたのが此の絵である。

「花だって、ただ綺麗なだけじゃないものね……、花言葉が不吉な物ばかりよ。」

屋外での鈴華は花や緑を育てる事に熱を注いでいる。
故に、延長でそうした知識も持っていた。
まず最初に目を引く真っ赤な芥子は、死の象徴。
共に流れる菫にパンジー、川辺の柳やミソハギは悲恋を表す。


「あったしさー、水に潜る事って何よりも幸せだと思ってたんだよね。」

鈴華が園芸を愛するように、都来は幼い頃から水泳に夢中だった。
帰宅部を選んだのはスイミングスクールに通う為。

快活な都来は泳いでいる時が最も楽しい。
透き通る青へ潜れば、重力や音が消えた世界に抱き止められる。
昔から水の心地良さを知っていたのだ。
前世が魚だったかもしれない、と密かに思っていた。

「だったら、溺死の絵って皮肉に感じるかしら?」
「んー……いや、上手く言えないんだけどさ、そんなに悲痛とか思わないなって。」

此の絵は、不気味であると同時に確かに物悲しさが存在する。
けれど飽くまでも静かに匂い立つもの。
川に落ちる前、オフィーリアも心が壊れるほど不運に見舞われた。
それも死によって解放されて、まるで安堵したように夢見心地な表情。

悲劇も命も全てを呑み込んで、川は悠然と流れる。
身勝手な解釈だが都来の感想はそんなところ。


「しなやかに流れる水って、それだけで力あるんだよ。何か鈴華ちゃんみたいで。」

此処で名前を呼ばれ、活字を追っていた視線が都来の方へ向いた。
いつも気怠げで変わりにくい表情。
此の時だけは、珍しく驚いて鈴華の眼が丸くなる。

黒い湖を思わせる瞳に、滴り落ちるように滑らかな長い髪。
鈴華は水のイメージを抱かせる。
泳ぐ事を至福とする都来にとって最上級の賛辞だった。
そう知っているだけに、不意の一言に当人が戸惑うのも止む無し。

してやったりと満足げ、都来が悪戯っ子の笑みを浮かべる。
ただのクラスメイトでは知り得ない顔を見られるのも友達の特権。


「ありがとう……、都来さんは桜みたいね。花が咲いたみたいになるもの。」
「わー、嬉しい例えだねぃ。」

お互いが自分の好きな物によく似ている。
趣味嗜好や性格は違っても妙な奇遇で繋がった仲。
臆面も無く口にした言葉は、彼女たちにしか解らない友愛だった。

夕陽は強さを増して、モノクロの美術室は全てが染まり始める。
茜色に水没するのも悪くない。

そう考える顔は、模造画の美女にも通じる微笑み。



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2014.12.07