林檎に牙を:全5種類
「勝てますかね?」
「そうだなぁ……、20ラウンドもやれば見込みある。」

本からやっと顔を上げた遼二に、拓真が淡々と答えた。
恋人同士の会話でも目は合わないまま。
視線は二人揃って前方、テレビのボクシング中継。


卓袱台にコーヒーを並べて、居間で団欒を過ごしている時。
夕飯も風呂も済ませて静かな夜だった。

拓真だってボクシング中継はそれほど楽しみにしている訳でも無かった。
チャンネルを巡っていて目に付いただけで、元プロとしての惰性。
一方の遼二は本を読み終わって暇になっただけ。
卓袱台に隣同士でも、それぞれ好きな事をしている時間。

ボクシングと聞けば血沸き肉躍る場面を想像するところだろう。
けれど、今回は興奮するような試合ではなかった。
盛り上がっている解説と声援は大袈裟なくらいで、いっそ白々しい。

確かに、どちらの選手も既に瞼や口を血染め。
それにしては肝心の攻撃は守りばかり、何処となく空気は緩い。


「血まみれで怒涛の殴り合い、とはいかないものですね。」
「まぁ、こんなモンだ。」
「ところで保志さん、実際に八百長とかはあるんですかね?」
「……それは言えねぇ。」

見据えられそうになって思わず拓真は視線を逸らした。
とは云え、遼二も大して興味があった訳でもなし。
あっさり引いて、再び手元の本を開く。


頬杖をついて、ただ眺めるだけの殴り合い。
拓真があのリングに立っていた事はもう昔々になりつつあった。
コックコートでお菓子を作り、若い生徒達と過ごす騒がしい今の生活が鮮烈で。
何度もそう思い返しながら日々は過ぎていく。

コーヒーを一口啜ると、苦くなった舌は甘い物が恋しくなる。
菓子鉢にはまだ食べ切れないクッキー。
タルトの実習で余った生地も、型抜きして焼けば可愛らしい。

しかし手を伸ばす前に、一息早く遼二にクッキーを盗られた。
読みながらでは本が汚れるだろうに。
わざわざ拓真が食べようとした物を狙わずとも良いのに。
そうして、いつもの意地悪かと思えば。

「……どうぞ。」

向き直って拓真の口許に差し出し、食べさせる形。
最初からそのつもりかは判らずとも。
一瞬面喰ったが、こうして遼二が可愛い事をするのは稀。
大人しく餌付けされておいた。


甘い物には事欠かないので、引退してから確実に体重は増えた。
今でも基本のトレーニングだけは日課。
呪縛と云うより健康の為なので、お陰で脂肪にならず済んでいる。

それにしても、遼二の方はどうなのだろう。
大食いの割りには変わらず痩せているように見える。
入学前までは単にカフェで顔を合わせるだけの仲だったのだ。
服を脱いだ状態も知ったのは夏、比べるには記憶が曖昧。

緩い部屋着は身体の線を浮かせる。
情欲と無縁の視線を遼二に向けていたが、意識すると急に疚しい。


それにしても、いつまで遼二はクッキーを支えているつもりだか。
少しも引かず向かい合わせで食べさせられる状態。
幼い子でもペットでもないのに。
何となく間が持たず、拓真は何処を見ていれば良いのやら。

堅焼きだったので咀嚼にも時間が掛かる。
一口では含み切れなかったが、流石に二口目で終わり。
やれやれと再び開いたら、細くて骨っぽい指を突き込まれる。

最近、遼二は口腔を犯す真似なんて覚えた。
寝室で欲望を受け入れる側なので反抗心かもしれない。
拓真には従うしか出来ないと知っているくせに。
こうして欠片まで食べさせ、唾液で汚れた指を翳して目を細める。


それで満足かと思えば、どうやら甘い考え。
今度は反対の手が伸ばされる。

「ちょっと失礼。」

どう云うつもりか、遼二が拓真の服を捲り上げる。
全くの不意で呆気に取られるのも当然。
胸や腹を見られたところで別に恥じる必要も無し、訳が分からず。

「え……、おい、何だよ早未?」
「いえ……、保志さん現役より太ったかなと。」

まだ濡れた指で横腹を辿りながら。
それでも欲情を促されるより、くすぐったさの方が勝る。
意味を図りかねて首を傾げるばかり。

第一、ボクサー時代の事など知らないくせに。
想像で物を言われると腹立たしい。


「そんな事ないですよ、だって試合の録画観ましたし。」

そう言って笑う遼二は拓真を見ずに。
向けている視線はテレビの下、DVDプレーヤーの方へ。
空白一つ開けて思い出した。
現役時代、ビデオカメラで撮った物を奥に仕舞い込んでいた事。

隠していたつもりは無いにしろ、いつの間に。
恥ずかしさで一気に妙な汗が湧いた。


「ちょ………、お前、勝手に……ッ!」
「格好良かったですよ?」

そう畳みかけられては何も言えなくなってしまう。
怒っている訳ではないのだ、最初から。
上った血の気が鎮まれば拓真はどんな顔をしていれば良いのやら。
分からなくなって、どうでも良くなって、卓袱台に突っ伏す。

あやす手で遼二に背中を叩かれると複雑な気分。
誰の所為だと思っているのか。

画面では、遠い世界の戦いを映し続ける。
爪も牙も抜かれた猛獣は平穏な部屋でただ眺めていた。
草食獣にすら勝てないまま。



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2014.12.31