林檎に牙を:全5種類
夜明け前の工房。
初めまして、宜しくね。

配布元alkalism様より。
深い眠りから覚めた後、と云うのは昔から物語の始まり。
意識の無い自分を置き去りに、時も人も目紛るしく変化しているのだ。
瞼を開ければ、何もかもが違う状況。

そして進之助の場合も。
眠り続けて早幾年、此処は既に見知らぬ別世界。


いや、だからこそ"今"を実感している自分が居るのだろう。
そうでなければ全てが終わっていた。
あの絶望的な状況で生き延びられるなど不可能だったのだから。

現状を認識するには衝撃と困惑で頭の中が揺れた。
けれど確かに存在している、恐ろしく冷静に受け止めている部分。
感情の鎮まりは意外な程に早く。
長い夢の中、変化の過程を見ていた気がする所為かもしれない。


自分は死んだ、確かに死んだのだと。




「それじゃ、生き返った目覚めに一杯飲むかい?」

進之助の心情を知ってか知らずか、口調は実に軽々と。
何処か艶のある男の声。
無言のままに進之助が首を向けた方向には、白皙の優男が一人。


平均よりも頭一つ分突き出る長身、二十歳に届く前の面差し。
背丈も年齢も進之助と然して変わらないように見える。
尤も、"生きていた頃の"と云う上ではあるものの。
進之助を別世界に連れて来た張本人。

彼を前にした時、此処は死の世界なのかと思ってしまった。
何しろ柔らかく光を含んだ金茶の巻き毛に、睫毛が長い翠の双眸。
防寒で身を隠す大判ストールから覗く首は極細い。
例えるなら絵物語の天使に似ている。
覚醒の一瞬、天の迎えかと不吉な思い違いをしても無理あるまい。

しかし、木の枝に似た二本角と尖った耳が否と主張する。
其れは龍だけが持ち得る物。
東洋に於いて、妖狐と並んで最高位の力を誇る霊獣。


通常、龍とは人の手が加わっていない地に棲むと知られる種族。
都で生まれ育った進之助が本物を眼にしたのは初めて。
つい好奇の視線で追ってしまうが、龍は気付いていないかもしれない。
背を向けたまま茶器の用意をする手元。
飲むか、との問いに対して進之助は答えなかった筈なのだが。

物事とはいつでも勝手な速度で進んでいる。
進之助が何もしないうちに。
最初から決められているかのように。

流線形を描く琥珀色の液体。
湯を注ぐ和やかな音が、冷たい静寂に波紋を投げる。
花の綻び始めた春になっても夜には真冬に戻ってしまう。
凍て付く風を締め出した明け方の部屋。
窓の外は、濃厚な闇一色のみ。


甘ったるい香りの湯気が凛と張った空気を緩ませる。
龍と進之助の間には、差し出された湯呑み一つ。

目の前にあっても、自分に与えられた物と判断するに数秒を要した。
手を付けない理由は警戒ではない。
何だろうか、此の場違いな程の穏やかさは。
頭が追い付かない進之助はただ呆然としてしまうばかり。

「ほら、折角淹れたんだから飲みたまえよ君。」
「……飲めるのか?」

呟いてからも尚、進之助は何時までも黙って見ているだけ。
決して味に対する心配などではない。
飲食が可能とはとても思えなかったのだ、此の身体で。

一方、龍からすれば不審にしか思わなかったろう。
瞼を軽く伏せて、表情に怪訝な色を混ぜる。

「断るにしても随分と失礼な子だねぇ、それとも甘いの嫌いかい?」
「いや、そうじゃなくて……!」
「言いたい事は解かってるよ、まぁ、試してみなさいよ。」
「本当に大丈夫なのかよ……」

龍も自分の湯呑みを持ち上げ、優雅に湯気を吹き消して一口。
冷めたような軽い口調は相変わらず。
先程から小馬鹿にされているような気がしないでもない。
だが促されては仕方あるまい、恐る恐る進之助も手を付ける。


渇く唇に触れた琥珀色の液体は、やはり甘かった。
鼻腔を抜ける香りも。
熱いお茶は、喉の奥に流れ落ちる感覚までも鮮明に。

それだけではない。
伸ばした腕と湯呑みを支える指の、実に滑らかな動き。
受け取った後になって漸く気付いた。
あまりにも自然で、寧ろ軽すぎて怖いくらいに。
重みや軋みを覚悟していたのに違和感はほとんど無いのだ。

内心驚きつつ顔を上げてみて、不意の事。

視線が絡まる同一の漆黒。
進之助のすぐ傍ら、鏡の中の自分と目が合った。



起き抜けのような乱れ癖が目立つ黒髪。
人の良い柔らかさのある顔立ち。
姿見に閉じ込められた進之助は、一見すれば何も変わらない。

此処に居る男達はある意味で対照的。
どちらも背の高い細身だが、龍が華奢なだけ進之助は頑丈に見えた。
男性的に硬く引き締まった身体の線。
体格との釣り合いで、目鼻に残る幼さが際立つ。


見慣れた姿のようでも全てが偽者。
此れは、進之助に似せて作られた人形である。


余計な脂肪の無い肌の張りは、若さによる物ではない。
滑らかで冷たい陶磁器の肢体。
それこそ、手触りを確かめるまで生身の人間と同様でも。
細かく刻まれた筋骨の陰影までも写実的に。
血の通ったような頬や唇の赤味も、所詮は紅を差した物。

何よりも、自在に動く四肢が作り物の証拠である。
全身の関節は剥き出しの球体。
顔も身体も限りなく生き物に近い中、継ぎ目だけが無機質で妖しく映る。
明らかに"不自然"で形成されているのに。
何故か気にならない均整が、彼にとって奇妙で仕方なかった。

そして、進之助の本体とは身体そのものではない。
微妙に色が違う物同士で一対となる両目。
其の左、人工の白目に浮かぶ漆黒こそが例の黒瑪瑙だった。

叩き付けられた現実。
動揺したところで、心臓の無い胸は飽くまでも静かに。



「僕は和磨。君の製作者であり契約者だよ、昕守進之助君。」


形式的と云えなくもない握手。
挨拶の言葉は、"お前は死者だ"と云う意味でもあった。
掴まれた手の大きさは進之助と同じくらい。
けれど、確かに生者の質感。
失ってしまった物だと思い知らされた気がした。


死んだ人間は星になる。
幼い頃そう教えてくれたのは誰だったろうか。
今となれば、気が遠くなる程に昔の話。

「星になるのは早いよ、君は生と死の狭間に居るんだから。」


深い眠りから覚めた後、と云うのは昔から物語の始まり。
意識の無い自分を置き去りに、時も人も目紛るしく変化しているのだ。
望もうが望むまいがお構い無しに。

月すら見えない闇と入れ替わって騒がしい朝が来る。
そうして、また一つの幕が開く。
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2010.07.20