林檎に牙を:全5種類
夜中、玄関の錠を掛ける金属音は忠臣の耳に冷たく響く。
きっと家を抜け出す後ろめたさの所為。
潜めていた息を大きく吐いて、コートのポケットに鍵を落とす。

芹沢家は早寝なので父母達はすっかり夢の世界。
今は近所中すら寝静まった丑三つ時。
湯上りでまだ生乾きの髪が暗闇で急速に冷えていく。
フードを深く被ってから、自転車に跨った忠臣は夜を駆ける。

まるで天体観測の歌い出し。
けれど望遠鏡など必要ない、目当ては星ではないのだ。
眺めに行くのはもっと低い空。


川沿いに風を切れば、揺らぐ水面に溺れる三日月。
本物は高い夜空の上で煌々と笑っていた。
待ち合わせで目指すのは橋の上。
闇に慣れてきた目を凝らせば、既に先客。

いつもなら時間に正確な忠臣の方が早いのに。
近付いてみればウサギの耳が生えた影。


「待っても来ないから、死んだように寝てるのかと思った。」
「まだ集合時間前デスけど?」

顔を合わせたところで「こんばんは」なんて交わされず。
ウサギのパーカーに重ね着したコート姿。
同じく自転車を従えた青葉が拗ねた声を向ける。


伏し目がちは眠そうにも見えるものだが、そんな事もなさそうだ。
動作は飽くまでも軽やかで伸びた背筋。
嫌味を投げるのも忠臣の方なのに、今日ばかりは逆。
そんなに待ち切れなかったのか。

「青葉の方が早いとか珍しいな。」
「元気だよ僕、夜は強いから。」
「夜強いって……、何かエロく聞こえるからやめなサイ。」
「いやー、男子中学生ならそんなもんでしょ?」

やたらと噛み合わない会話。
状況と相まって、実は夢の中なのではと思ってしまうくらい。

ああ、何の事はないか。
ただ青葉はテンションが上がっているだけなのだろう。
感情の読めない顔なので気付くのが遅れた。


目的地まで、あと少しだけ。
川のせせらぎに耳を傾けながら並んで自転車を押して歩く。

住宅街の狭い道には車も通らず、あまりに静か。
鼻歌でも一つ、と思っていたらまたもや青葉に先を越された。
呆けたように唇を緩ませたままで。
ただし、透き通った音が坂本冬美だと察すると笑いそうになった。

渋い選曲だが、気持ちは分からなくもない。
演歌が似合う光景になってきた。

二人の顔を撫でた夜風で、運ばれてきた花弁。
街頭で照らされた足元にも。
アスファルトに押し潰された、幾つもの白い欠片。
見上げてみれば感嘆を小さく零した。


川沿いに続く無人のサイクリングロードには、桜の群れ。
丁度良い木陰を作る緑が春には華麗に化けた。

暗闇には薄紅を帯びた白が浮かび上がる。
空へ向けて広げた枝一杯に、小さな花を無数に咲かせて。
それこそ重たげに揺らす程に。

「やーっぱり此の時間で正解だったね、桜も独占出来るし。」
「はいはい、お前の言う事は正しいデスよ。」

夜桜見物を提案したのは青葉の方だった。
集合時刻に抗議しても決定事項。
朝帰りまでするつもりはなく、素知らぬ顔で寝床に潜らなければ。

最後まで反抗心を捨てきれなかったのは生真面目な性分。
しかし、同時に鼓動の速さも感じていた。
それは確かに疚しさを伴った愉悦。
黙って家を抜け出すのは、悪い気分ばかりでもないと。


夜を選んだのは、ちょっとしたスリル欲しさばかりでもない。
騒がしいのも嫌いではないが、静かに眺めたくて。

どんなに花が見事でも此処はサイクリングロード。
過ごしやすい季節だけに利用者も多く、昼間はゆっくり見ていられないのだ。
立ち止まっていたら通行の邪魔にもなってしまう。

桜の木が並んでいる雑草地と、自転車が駆けるアスファルト。
間は柵で仕切られて立ち入りをやんわり拒絶する。
よほどの恥知らずでもなければ、シートを広げて弁当なんて考えまい。
サイクリングロードを通る者の視線も痛いだろうし。


それにしても満開はいつまでか。
春の女王として君臨する桜は、つくづく意地悪。
毎年ながら急ぎ足の花盛り。

人間の都合なんて待っちゃくれない。
卒業や入学の祭典など無視して、何でもない数日間のうちに儚く。
花見だって「そのうち」なんて後回しに出来ず。
ぼんやりしていれば、いつの間にか花弁は風に消えてしまう。


桜の下には死体、なんて有名な一節を不意に思い出した。
美しさは畏怖の念を抱かせる。
そうして幻想に溺れてしまった男の話。

ならば、此処は墓場じゃないか。
目を通した時こそ忠臣は一笑に付したが、夜の冷気が背筋を撫でる。


「忠臣、お団子持ってきたから食べようよ。」

桜に心奪われていると、青葉の声が現実に引き戻した。
自転車の前籠からコンビニ袋を持ち上げながら。
がさがさ耳障りな音すら安堵させてくれるのは、内緒。

「花より団子って伝統だしね。はい、2本ずつ取って。」
「みたらしか……、お茶ないとキツいデスね。」
「紅茶ならある、意外と合うよ?」
「……貰う。」

尊大な態度を取ってしまったが、感謝は伝わっている。
実物を目にしたら急に腹も減ってきて一玉齧った。
とろりと舌に絡んでくる甘い醤油味。


ああ、しまった。
団子の串を1本ずつ持ってみたら両手とも塞がった。
それに、これでは欲張っているようで不恰好。
紅茶だって飲めやしない。

片手に持ち替えるか、まだ口を付けてない1本はパックに戻すか。
どちらにしても自分で何とかするつもりだったのに。

「はーい、お口開けて。」

忠臣の唇に触れてきた、蓋を開けたペットボトル。
支えているのは優しく声を掛けた青葉。
こうして甘ったるくなった口腔は紅茶に洗い流される。
赤ん坊に哺乳瓶でミルクを与えるような恰好で。

親切も行き過ぎると何だか馬鹿にされているようだ。
怒りよりも脱力してしまう。
口が塞がっているのだ、文句も呑み込まざるを得ない。


一際強くなった夜風に、二人とも小さく震えた。
音も立てずに桜は咲き零れる。

右に左に、くるくると忙しなく舞い落ちる。
まるで星屑の雨だった。
夜空に散りばめられた光の粒もまた、桜と同じく数え切れない程。
もしも花弁に姿を変えて減ったところで誰も気付くまい。

「今日はお団子と紅茶だけどさ、大人になったら花見酒でもしようよ。」
「あー……、その時は流石に飲ませてくれなくて結構デスよ?」


5年後の春も、桜の下で。

指切りも無く約束を交わした。
変わらないなんて、漠然と信じていた時代。
繋がりが形を変えているとも知らずに。

その約束を果たした時、味わうのは酒だけではない。
重ね合わせた唇も。



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2015.03.27