林檎に牙を:全5種類
恐ろしい事に眼鏡が壊れてしまった。
遼二にとって、それは世界まで変わってしまう。

「はぁ……」

思わず溜息を吐けば、頬が痛む。
不機嫌と近眼が混ざり合って仏頂面の極み。


災難に見舞われたのは放課後の事である。
美術部が終わって、一ノ助の様子を窺いにバレー部に顔を出した。
ボールが飛び交う狭い体育館。
勢い余って、入り口に居た遼二の方まで跳ねてきたのだ。

視界が揺らいだ衝撃一つ。
顔より少し突き出した眼鏡が弾き飛ばされた所為。


治療の為に移動して保健室へ。
勿論痛みで痺れてしまったものだが、やがて引いていくもの。
濡れタオルで冷やしていれば鎮静も早い。

しかし、眼鏡はひしゃげてしまえばそれで終わり。
すっかり歪んでしまって元に戻らない。

「ごめんな、悪ィ、すまねェ、許せ……」
「別に……、もう良いです。」

遼二の前で項垂れて、ひたすら謝罪しているのは一ノ助。
投げやりな反応ではあるが、遼二は不貞腐れている訳でもなかった。

元々もう古くて、レンズもフレームも細かな傷だらけの眼鏡だったのだ。
ボールがぶつからなくても脆くなっていた。
先日、丁度新しい物を作ったところなので家にスペアがある。
愛着でなかなか交換の切っ掛けが掴めずにいたけれど。

ただ問題は帰るまでの道のり。
屋内なら裸眼でも構わないが、外を出歩くのは大変危険。

「送ってくれれば良いですよ、それで。」

弁償も要らないし、平身低頭にならなくても怒ってない。
その一言で交渉成立。
痛みが治まったところで帰り支度を始めた。


以前、帰り道で転んで怪我をした事を思い出す。
あの時も一ノ助が介抱してくれた。
遼二が足を滑らせたのは、彼の所為でもなかったのに。
そう云うところがあるのだ。

いつもレンズの窓越しに診ている世界。
涙で滲んだように、目に映る全ての輪郭が曖昧になる。
見慣れていた筈の通学路なのに。

こんな無防備なままで外を歩くのは初めてかもしれない。
先導する一ノ助に段差や車の注意を促されながら。
分かっている、それくらい。
単に見え難いだけで盲目になった訳ではないのだ。

そう答えるのも面倒で、口数が少なくなる。
一緒に帰宅するのはいつも通り。
何も変わらなかったかもしれない、結局のところ。


「りょんさァ、コンタクトは持ってねェの?」

適当な相槌ばかり繰り返していたら、一ノ助が手を変える。
唐突に問い掛けられて遼二は顔を上げた。
とは云え、それも眼鏡を掛けているとよく訊ねられる事。

「いえ、僕は眼鏡が好きなので。」

そして、誰に対しても変わらない返答を今日も。
嘘ではないし大抵はそれだけで済む。


コンタクトが手軽になった今、眼鏡もまた安くて良いデザインが増えた。
どちらを選んでもお洒落の為が大きい。
必要だから使用しているのではなく、好きだから。
すっかり慣れ切ってしまえばレンズが無いと落ち着かなくなる。

それに、コンタクトでは装着したまま眠れないのだ。
気を抜くと寝てしまう遼二には危ない。

「何か勿体ねェなァ、似合いそうなのによ。」

そう笑う一ノ助に、遼二は返事に詰まってしまった。
「コンタクトが似合う」とは妙な言葉だ。
それは素顔ではないのか。


タオルを外してから暫く経過、もう顔の赤みも引いた事だろう。
そっと触れてみたら視線に気付いた。
はっきり見えなくとも、刺さってくるのは肌で感じる。
間違いようがなく一ノ助から。

「さっきから、何ですか?」
「いやァ……りょん、やっぱ綺麗な顔してンなァと思って。」

毎度ながら誉める時は屈託なく言ってくれる。
大柄で不良めいた外見の一ノ助は意外と面食い。
それだけではないにしても、遼二や和磨がお気に入りである理由の一つ。

綺麗だから惹かれるのは自然な事。
何が可笑しいと、一ノ助はそこを隠そうともしない。

反対に、不細工には冷たいかと云えば決して違うけれど。
男女ともに友達が多いのが証拠。
無骨な彼自身からすれば、華奢な他者に対して憧れがあるらしい。
それだけの事だった。


「幾ら綺麗だと思っていたって、僕にキスとか出来ないでしょう?」

視線を一ノ助に合わせたまま一息で吐き出した。

こんな事、眼鏡がある時には言えやしない。
表情が読み取れないからこその強気。
それは飽くまで遼二の世界だけで、周りは何も変わってないのに。


「え、マジで言ってるンか?」
「……冗談ですって。」

発言はすぐに引っ込めた、戯れと偽って。
一ノ助はどんな顔をしたのやら。
何だか残念なような、知らなくても良いと安堵したような。
そこから先は「嘘」の言葉だけで乗り切った。


軽く笑い合った後で疑問だけは残る。
もし、本気と取ったらどうする気だったか。

「ま、良いンじゃね?みてェな。」
「軽いですね……」

一筋縄ではいかない相手とは、互いに同じ事。
その意味は違っても。
本心なんて目に見えやしない、眼鏡があろうと無かろうと。



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2015.05.03