林檎に牙を:全5種類
タイトルは「バスルームガーデン」より(YouTube)。

*バスルームガーデン



朝から降り始めた外の雨はまだ続いているようだ。
窓が無い浴室からは聴覚だけが頼り。
空気の冴える夜にはよく響く、壁を隔てて闇が洗われる音。

濡れた手で栓を捻れば、シャワーで掻き消える。
狭い世界にも此処だけの雨。

ただし、それは部屋の住人である稲荷の手ではない。
ストロベリーミルクのマニキュアが似合う、ふっくらした指。
白と黒が行儀良く並ぶ鍵盤上で軽やかに舞う。
おっとりしているように見えて、音楽の事となると椿は別人。

気恥ずかしかったのは初めの頃くらい。
泊まりに来ている椿と風呂を共にするのも、何だかんだで慣れてきた。


そろそろふやけてきた稲荷の方は、骨っぽく長い指にアイリスブルーの爪。
アイシャドウが消えた吊り目は何処かあどけない印象。
そうして浴槽に深く細身を沈めながら、ぼんやりと椿を見ていた。

シャワーを止めれば再び染み入る雨音。
バスチェアに腰掛けている椿は、全身にフローラルを泡立てる真っ最中。
背中を洗うなら手伝うべきか。
呼ばれるのを待つか、声を掛けるか稲荷がしばし迷う。

けれど、彼女の手は不意に止まる。
足元に視線を落としたままで何か考え込む表情。


「昔読んだ本にこんなシーンあったな、と。でも本のタイトルが思い出せなくて。」

どうしたのかと稲荷が訊ねてみれば、そんな返答。
睫毛に雫を浮かせたまま此方へ振り向く。

「厳つくてお腹出た母親でも、泡の中で足の爪が綺麗だった……て文章。」
「そう……、知らないな。ごめんね、お力になれなくて。」

雨の夜、同性の恋人同士で一緒に入浴。
確かに傍目にはドラマチックかもしれない場面だろう。

かと思えば、そんな事情は無関係。
椿の記憶に触れたのは切り取られた日常の一つ。
ふとした時に「美」は光る。


真っ白なクリームに似た泡の中で艶めく色。
指先の可愛らしいピンクと違って、椿の足にはアイリスブルー。

湯船に並べた膝の水面下、稲荷の足にも甘いストロベリーミルク。
素足で戯れ合ったベッドで塗り合った。
ペディキュアは普段なら自分で選ばない色だろう。
それぞれ一番気に入っているマニキュアを交換した結果。

サンダルを脱いで久しい季節、素足を晒す事は少ない。
そこは他人に分からない場所。

見えない部分を選んだのは、その方が心音を躍らせるから。
後ろめたいなんて訳ではない。
秘密を愉しむ二人遊び、複雑で深い理由は要らない。


それはそうと「厳つくてお腹が出た」の形容詞が引っ掛かる。
まだ年若いのに椿がそこに自分を重ねたのは。

「椿ちゃん、やっぱりコンプレックスあるの?」
「まぁ、お腹はちょっと……胸見られるより恥ずかしいですよ。」

太ってはいないものの、乳房も尻も肉感的な身体つき。
前屈みでは余計に腹が弛んで見えるので、不自然なほど背筋は真っ直ぐに。
曰く、細身の稲荷と比べると少なからず自己嫌悪に陥るらしい。
同性の恋愛は憧れや劣等感が浮き彫りになる。

昔、棒切れのような自分が嫌だった稲荷からすればそんな事ないのに。
むしろ椿の方がよほど女性として魅力的に感じる。
白くて柔らかで、ふわふわした肌触り。

良い香りの泡に包まれて、何だかお菓子にも見えた。
とびきり甘い事なら知っている。


「ひざまずいて足をお舐め。」

熱で血色鮮やかになった椿の唇から、零れた言葉。
独り言の声量でも確かに響く。


どうした事かと稲荷が驚いた目をすれば椿も当然気付く。
今の言葉は無意識か、悪戯かは判別不能。
それでも色香を打ち払って、いつもの表情で笑う。

「いえ、さっきの本のタイトルですよ。」
「あぁ……、思い出せたのね。」

再び開かれた栓、シャワーで流して泡が溶け出していく。
熱い水滴を弾きながら濡れた裸身。


その時、稲荷の手を伸ばさせたのは衝動かもしれない。

浴槽からアイリスブルーの爪は狙いを定める。
どうしようもなく沸いた欲求。
バスチェアに支えられた、椿のふくらはぎを緩く掴んだ。

「え、あの……?」

呆気に取られつつも、椿は抵抗せず。
裸は今更でも片足を上げたものだから、色付いた付け根が覗く。
そこだって恥じらうのは今更でも。

引き寄せた爪先には、艶々と小さな菖蒲の花弁。

命令でなくても、こうしたいと心から思ったから。
躊躇う事など無く稲荷は口付けた。
自分自身から分かたれた色、愛しのアイリスブルーへ。


*end



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2015.11.16