林檎に牙を:全5種類
ガラス一枚を隔てて賑やかな声が響いてくる。
視線を向ければ放課後の校庭。
運動部は練習の真っ最中、青空の下にはどの季節も快活な生徒達が集う。

こんなに寒いのにご苦労な事である。
暦の上では春でも、窓辺に寄っただけで冷気が肌を刺して来るのに。


とは云え、その声で現実に引き戻されたのは事実。
顔を上げたついでに時計を確認する。
まだ大丈夫と安心して、凛子は再び読書に戻った。

読みたい本があるのなら借りれば良いのだが。
何しろ、卒業まで残すところ一ヶ月ちょっとしかないのだ。

此処に居る事が出来るのだって。


校庭と正反対、暖房が効いて静かな図書室は実に快適だった。
やたらと美人の司書が居る事も一因か。
淑やかな微笑に惹かれ、彼を目当てに通う女生徒は多い。

凛子の好みではないものの。
どうせ美人ならば、いっそ女性の方が良かった。

かと云って、図書室へ来たのは純粋に読書を愉しむ為でもなく。
実のところ単なる付き合い、暇潰し。
本当の理由は"連れ"が此処に足繁く通っているだけ。

「毎日付き合ってくれなくても大丈夫なのに。」
「良いよ、千紗置いて帰るのって何か心配だし。」

「お気遣いなく」と言う千紗に対して、まるで保護者のような返答。
三年間で凛子が築いてきた関係そのもの。

けれど、交わした言葉もすぐ途絶える。
居ても居なくても変わらないような素っ気なさ。
図書室に作り上げられた静寂を壊さぬようにと、沈黙もまた自然に。


これから受験の三年生も居るが、二人は無事に戦争を終えた後。
第一志望校の合格発表を受けて卒業を待つばかり。

冬は寒さが沁みるセーラー服とも、もうすぐお別れ。
カーディガンを羽織っているお陰で幾分か過ごしやすいものの。
凛子はグレー、千紗はクリームで色違い。
制服が真っ黒なので淡い色と合わせると明るい印象になる。

一年生の秋、駅ビルで映画を観た後にお揃いで購入した。
中学校生活の肌寒い季節は重宝したものである。

しかし時が流れれば同じでいられない。
あの服屋も、今や100円ショップに改装されてしまって面影すら無し。
思い出があれば寂しさに拍車を掛けるが、仕方ない事。
子供の彼女達にとって3年の歳月は長かった。


「……ッ痛!」

不意に、凛子の指先に鋭く小さな衝撃。
裂かれた薄皮から真紅が滲む。

ああ、上の空でページなんて捲るんじゃなかった。

室内に暖かさが保たれていても冬、乾燥しているのは変わらない。
ただでさえ荒れやすい指先には薄い紙なんて剃刀。
切れ味抜群、傷口から痛みが響く。


慌てて本を閉じようとして、勢い余って膝から落ちる。
借り物に血を付ける訳にいかない。
とりあえず指先を咥えるとして、流れる血は舌で受け止める形。
ポケットからティッシュかハンカチを探した。

それにしても、焦りもあってか片手だけでは何だかやりにくい。
いつもならば造作もない事の筈なのに。

ティッシュを見つけても、なかなか抜き取れず。
引っ込んだ紙を摘まむのも一苦労。
包装ごと上下に振って、やっと唾液と血に濡れた指先を拭けた。


名前の通り、普段は凛々しい彼女の失態。
中性的でスマートな物腰に定評のある凛子は女子に人気があった。
「その辺の男子よりも格好良い」と。
部活内でも下級生からは慕われていたものである。

自負していただけ、こんな些細な事でも少し恥ずかしい。
どうか誰も見ていませんように。


「凛子、大丈夫?良かったら使ってね。」

千紗から投げられた声で、密かに肩が跳ねた。
こんな距離では隠し事は無理か。


そうして差し出されたのは、絆創膏ではなかった。
空いた手で受け取れば何故かリップバーム。
凛子も見覚えがある、それは千紗が事あるごとに使っている物。

「止血もしてくれるから便利なの、ラベンダーは殺菌作用あるし。」

天然成分で無添加を謳う、質素なパッケージ。
低刺激なら傷口にも優しいだろう。

小さなチューブ型のリップバームは軟膏。
クリームタイプよりも粘着きやすいものの柔らかい。
蓋を外して押し出せば、ぷっくりと膨らむ雫。

掬い取れば、濃厚な蜜に似た質感で患部を包み込む。
痛みによって掠れた気持ちまで潤うような。


それから、清々しい薄紫の芳香。
リラックス効果でよく知られるラベンダー。
保湿の蜂蜜も加わって、リップバームは甘やかに匂い立つ。

凛子にとっても馴染みがあった。
此れは、千紗がいつも淡く纏っている香り。

艶々と目を引く、肉感的な唇。
乾燥のケアは何も冬だけに限らないのだ。
荒れやすいからと、小まめに塗るたび千紗はラベンダーを咲かせる。
少女とは可愛くなる為に努力する生き物。

そう思うと、傷口にキスを落とされた錯覚。
同じ香りはマーキングにも感じられて。


「絆創膏貼るまで凛子が持ってて良いよ、貸してあげる。」
「あぁ、ありがとう……」

労わってくれても、それきり会話は終わり。
同じ場所に居ても再び離れ離れ。

開いた本の世界にどっぷりと浸るだけなら図書室でよくある光景。
されど千紗の目当ては違った。
時折、視線を上げては追っているものがある事。

口にせずとも凛子は気付いていた、いつも近くに居れば。
それが何なのかも。


蜜で埋められた傷はもう痛む事も忘れてしまった。
裂かれた時の熱を覚えているのに。
あんなに一人で大騒ぎしてしまう程だったのに。

ラベンダーの香りだけ残して。



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2016.02.19