林檎に牙を:全5種類
受験を終えた生徒も多いのに、授業の意味はあるのやら。
来月には誰も彼も居なくなる教室。
春が近付くにつれて、三年生は嬉しさと寂しさを増していく。

必要がなくても忠臣は真面目にノートを取る。
ただ、最近は黒板に向かうたび視界の端が気になってしまう。
斜め前の席に着く女子、千紗の後姿。
しなやかな長い黒髪はベールになって、その表情を隠す。

どうか振り向かないでほしい。

皆が前を見据える授業中、滅多にないであろう筈なのに。
あの瞳に怯えて、僅かな可能性に胸が締め上げられる。


"運動部"と大雑把に括っても部活それぞれでイメージが変わる。
サッカーやバスケと違い、忠臣は地味で汗臭い雰囲気が付き纏う柔道。
硬そうなベリーショートに三白眼の顰め面。
女子の友人なら何人か居るが、言い負かされてばかり。

色恋には縁が無いと、それなりに自覚はあったのに。


なので、ほとんど期待していなかった先日のバレンタインデー。
一つのチョコレートが忠臣に波紋を投げた。

送り主の千紗はあまり周囲に居ないタイプだった。
どちらかと云えば物静か、色白で可愛らしい。
生まれつき目付きの悪い忠臣と対照的に、大きな黒目が深閑と。

告白されるまで接点が全く無かった訳でもない。
文系で忠臣と同じく読書家。
本の趣味が合うようで、たまにそうした話をする仲。
此処のシーンで泣きそうになったとか、あの台詞が刺さったとか。

一冊の本で感覚を共有したり違う解釈を持つのは嬉しい。
しかし、異性としての意識はまた別。


悪い気はしなかった、確かに。
けれど、いまひとつ実感が無いと言うべきか。
そうやって返事を先延ばしにして、今日に至ってしまった。

からかっているだけだとしたら、早く明かしてほしい。
それならそれで怒って終わり。
こんなに苦しい思いなどしなくて済むのに。
どうすれば良いのか分からず、苛々ばかり募っていく。

いつまでも長引かせるのは双方よくない。
どちらにしても、そろそろ答えを出さねばと密かに決めた。



「……お返しって、何が良いんデス?」

放課後の騒がしい教室、忠臣の問い掛けは千紗にだけ届いた。
どうも喧嘩を売るような面持ち。
けれど緊張は隠せずに、裏返り気味の声で。


席に着いたまま鞄を整頓していた千紗は、真っ直ぐ忠臣を見上げる。
不意の事に驚いたようで半ば呆けた様子。

以前から何となく視線を合わせられない、件の大きな瞳。
精巧な人形のように睫毛も濃い。
否、正しく例えるならば黒い湖だろう。
覗き込めば引き摺り込まれてしまいそうな錯覚。


「ホワイトデーまで待つって言ったのに。」

千紗が首を傾げれば、湖はゆったりと光を揺らす。
水面には波一つ立たないまま。

そう、チョコレートを受け取った時に期限を設けられたのだ。
返事は一ヶ月後で良いと。
千紗も忠臣が即答するとは思っていなかったらしい。
イエスでもノーでもきっと悩むだろうと。

それでも、結論を急いでしまうのが忠臣の性。

「せっかちだものねぇ、芹沢君。」
「喧しいデスよ……」

納得しながら指摘されると、妙に恥ずかしくなる。
そんなに分かりやすいのか。

いや、忠臣自身が知らなかっただけで千紗はずっと見ていたのだろう。
視線なんて今まで気付かなかった。
彼の目は、いつも本の活字ばかり追っていたから。


「わたしは待つの平気だけど。むしろ楽しい。」
「は?何で。」
「一ヶ月ずっとわたしの事考えてくれるかな、って。」
「あー……、そうデスか……」

故に、意識を向けてくれるだけで嬉しいと千紗は言う。
近くに居ない間も存在は頭の中に。

歯切れの悪い返事になってしまったのは、決して呆れからではない。
柄にも無く照れてしまうのは仕方ないだろう。
好みはあれども忠臣は読書のジャンルを問わない。
やたらと甘ったるいラブストーリーだって山ほど知っている。

まさか、その手の台詞を自分が向けられるなんて。


「そうね、それじゃお返しはジェラートが良いな。」
「この寒いのに?!」

暦の上では春でも2月後半。
コートが脱げない時期に氷菓を選ぶとは思わなかった。

つい渋ったような事を言ってしまったが、別に文句ではない。
週末までにじっくり悩む時間が欲しかったのに。
プレゼントを用意すれば、気持ちもどちらかに固まるだろうと。
何だか予定が狂ってしまった。


「うん、だから暖かいお店に二人で食べに行きたいなって。」

黒い湖を閉じて、千紗が微笑んだ。
デートの誘いとすぐに察せなかったのは不覚。

絵や文章よりも、生きている人間から受ける感情は強い。
それが自分だけに与えられているものなら尚更。
敗北感に熱が巡った。
どうか赤い顔など見ないほしい。


そうして忠臣は白旗を挙げた。
湖に落ちてしまうまで、疑いなく秒読み。


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2016.04.07