林檎に牙を:全5種類
灰色の雲が重く圧し掛かる空に、放課後のチャイムが鳴り渡る。
梅雨がまだ明けない所為で湿っぽい空気。
自由になる時間を告げる音も、何処か淀んだ響きだった。
こうも日毎に蒸し暑さが増しては、ついそんな事を考えてしまう。


夏生まれは夏が好き、とは一体誰が言い出したのやら。
誕生日を迎えたばかりの鈴華には少なくとも当て嵌まらなかった。
綺麗な黒髪も汗ばむ首筋に絡み付くので、シュシュで一纏め。

セーラー服はいかにも涼しそうに見えるものだが、そうでもない。
布が二重になっているので肩に熱がこもってしまうのだ。
冬と夏で色が反転する女子の制服。
白地に黒い襟は下着が透けやすく、慎みとしてキャミソールで防御。


鈴華だけでなく最近めっきり学校の生徒全体が滅入り気味。
と云うのも、期末試験直前の金曜である。
部活も今日までのところが多く、来たる月曜に備えて週末は勉強漬け。

切り抜ければ薔薇色の夏休みが待っている。
しかし、今まさに迫り来る試練がどうしようもなく過酷なのだ。

こんな時には、何か一つでも楽しい事でもあれば良いのに。



「あー、もう数字がこんがらがっちゃったよー……!」
「頑張れ都来、あと此処を掛け算するだけだから。」
「いえ、優さんも頑張って……まだほとんど進んでないわよ。」

旧校舎最上階、西側の突き当たり。
第二視聴覚室は学校非公式の探偵部室でもあった。
鈴華も合わせて部員三人は集まっていたが、今日ばかりは活動休止。


息抜きに洋画のサスペンスでも観ようとしたのが甘い考え。
顧問の黒巣も剣道部に向かって不在。
2時間も無駄にする訳にいかず、結局教科書を広げて勉強会になった。
赤点や追試はなるべく避けたいところ。

優は英語の文法で躓き、都来に至っては数学が天敵。
苦手科目が体育くらいの鈴華が自動的に教える立場となっていた。

頭を使う、と云う点ならば推理の謎解きも勉強も同じく。
ただし遊びと義務では熱意が違う。
いつも元気な都来も思わず泣き事の一つくらい叫びたくなってしまう。
優だって、彼女が居なければきっと居眠りしている頃。


そんな時、ふと空気が変わる。

「……そーいやさぁ、旧校舎って"出る"って噂聞いた?」

シャーペンを置いて、静かに低い声で告げる都来。
左右の手をだらりと胸の前で垂らしてみせる。

そのポーズと云えば。

「何よ、ハムスター?」
「鈴華さん、ボケる事あるんだ……」

一瞬だけ漂った闇も、零れた笑い声で吹き飛んだ。


ペンキの剥がれかけた木造部分も多い旧校舎。
確かに、あちこち齧るネズミが巣を作っていても有り得る話。
それがハムスターだったら可愛いだけ。
あっという間に学校のアイドルになりそうである。

けれど失敬、そう云う話ではなかった。
それでは気を取り直してもう一度。


「東の方で獣の呻き声みたいのが聴こえる、て隣のクラスの子達が言っててさ。」
「ハムスターじゃなくて野良犬でも紛れ込んでるんじゃねぇ?」
「そうねぇ、隠れるところなんて沢山あるもの。」

吹奏楽など文系の部室や物置ばかりで、あまり人が居ない旧校舎。
出入り口は新校舎からちょうど死角。
授業で使われない時は無人の筈だが、いつ侵入されても気付けない。

それでも犬が居たら形跡くらい残る筈。
違うとしたら、それは何か?

こうした場合、サスペンスなら本当に幽霊の仕業である事は滅多に無い。
遺体が隠されていて、人を近付けさせない為の偽装だったとか。
監禁されている人間が助けを呼ぶ声だったとか。
「実は……」を妄想してみると、その数だけ胸が躍ってくる。


「でさ、今からでも現場見に行ってみない?」

噂は好奇心に火を点す。
勉強で退屈しきっていた頃、乾いた心なら尚更よく燃えて。
提案する都来の瞳にはパチパチと燻りが宿っていた。

「今日は大人しく勉強しといた方が良いんじゃないかしら、流石に。」
「気になって勉強どころじゃないじゃんよー……!」
「でも今日のうちに鈴華さんに教えてもらっておかなきゃマズいぜ?」

そこに水をそっと差して消火したのは鈴華と優。
二人とも普段なら都来に対しては割りと甘い方なので、こうした反対は珍しい。
悪いと思いつつも、遊んでいる場合ではないのだ。


都来が肩を落とすと、それはそれで良くない展開。
ならば代わりの案を一つ。

「それじゃ木曜、テスト終わったら今度こそ皆で行きましょうか。」
「部活を楽しみにして頑張れよ、俺も頑張るから。」
「うーん……、なら絶対ね!約束だかんね!」

こうして、探偵部は試験明けの活動日を調査に決めた。
怖いもの見たさは行くまでが楽しいのだ。
何も異常はあらず、安堵したような残念なような気持ちになっても。
そうして噂もいつしか消えていく。

昔から学校には怪談が付きもの。
あれもまた、夏の幻。


何も知らない都来達にとっては、此処までの話。

そこから先には続きがあった。
絡む人物は限られつつも。


実のところ、鈴華も声の噂なら知っていた。
あの時「ハムスター」だなんて口にしたのは誤魔化す為。
何しろ視聴覚室に向かう時、東の階段を使うのだ。
そこで嗅ぎ取った違和感と確信。

幽霊の正体ならば察しがついていた。

噂が無くなったと云う事は、主も其処から居なくなった証拠。
如何にして彼女が"除霊"に至ったか。

それはまた別のお話で。


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2016.05.08