林檎に牙を:全5種類
温度調節された図書室はどの季節でも居心地が良い。
今日ばかりは閉じこもる訳に行かず、主も本の世界に鍵を掛けた。
外へと出れば、現実の肌寒さに包まれる。
薄曇りの冷たい風に踊る桜。

両手で覆った口許から、仄かに白い吐息。
昨日の水溜りにも構わず軽海は花吹雪の中を行く。


厳かな式を終えれば、皆それぞれの形で「さよなら」を口にする。
小奇麗で淑やかな雰囲気の軽海は生徒から人気があった。
卒業式になると、記念に写真や握手を求められる。
それは今年も同じく。

実のところ、昔から春はあまり好きでないのだが。
別に花粉症でもないのに。
訳もなしに、何となく不安になる季節。


とは云え、めでたい日に水を差すような野暮はしない。
写真も握手も快く応じて卒業生を送り出す。
そうこうしているうちに、また一組が軽海に寄って来た。
来ると思っていた、見慣れた顔。

「卒業おめでとうございます、望月君、芹沢君。」

恭しく会釈すれば、青葉も忠臣も丁寧に返した。
一歩大人になった顔つきで。


金色のボタンを失った学ランは、何だか物足りない印象。
上から下まで真っ黒の制服なので当然の話。
女子と違って、襟の白やスカーフの赤も無いのだし。

青葉に関しては、何とも言い難い恰好になってしまっている。
クラスの中心に居ただけあってか、シャツに至るまでボタンが無い。
前開きの服は留め金がないと全開になってしまう。
ウサギ耳のパーカーを着ているお陰で、その心配はないにしても。

「望月君、強盗にでも遭ったみたいですね。」
「来るもの拒まずでサービスしたら、こうなりまして。」
「こいつ上履きまであげてマシタよ、気前良い事で。」

笑う青葉に、嫌味を投げ掛ける忠臣。
図書室で三年間繰り広げられていた、こんな遣り取り。
見るのも今日で最後か。


一方の忠臣は足りないボタンなんて一つだけ。
卒業式の定番、上から二番目。
行く先なんて明かされなくとも軽海は知っている。
最近付き合い始めた彼女の手だと。

此ればかりは早い者勝ち。
一つしか無い物ならば、尚更。


「欲しい」と言えば良かったのに。

青葉を一瞥しつつ、軽海は胸の中だけで呟いた。
伏し目がちは相手に感情を読み取らせない。
それでも勘の良い大人は知っている。
第二ボタンが心臓ならば、誰よりも欲しがっていたのは彼だと。

伸ばされなかった青葉の手は固く握られたまま。
隣同士で居る為にと。


知っていても、軽海は何一つ動こうとなどしなかった。
寧ろ、してはいけないのだろう。
此れは彼らの問題である。

云うなれば、物語のようなものなのだ。
読み手に近い脇役が何か行動を起こすのは無粋。


「ねぇ軽海さん、折角だからジュースか何か奢ってよ。」
「そうデスね……寒いから何か温かい物欲しい。」
「駄目ですよ、君達だけ特別扱いする訳にいきませんから。」

最後のページまであと少し。
緩やかに終わる物語へ、軽海は傍観者の顔で微笑んだ。



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2016.09.17