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夕暮れが迫る頃、放課後の生徒会室はまた一人退席していった。
それぞれ仕事が終われば帰って良い日。
他の教室とも離れており、ただでさえ静かだった部屋に音が消える。
そう言い表せばいかにも窮屈そうな世界だが、実際には。
書面から視線を上げて見渡せば、ホワイトボードやファイルの山ばかりでない。
片隅には電気ポットに持ち寄りのカップがきっちり人数分。
おまけに良い匂いを漂わせるお菓子までも。
「武田君もその辺で終わりにしても良いからねぇ。」
「いえ、もうすぐ書き終わるので……」
そう言いながら伊東天満はカップケーキをつまむ。
今日のおやつも料理部の彼による手製、まだしっとりと温かい。
苺ジャムにバナナ、ナッツやチョコチップを散らして焼いたので種類も色々。
紺青のブレザーによく映える赤いパーカー、柔らかい栗毛。
一応は校則違反でないにしても目立つ。
ただ伊東の場合は何も格好の所為ばかりでもないか。
睫毛が長くて大きめの垂れ目は愛らしく、少女のように甘い顔立ち。
これで早生学園高等部の生徒会長だと云うのだから驚く。
見るからに生真面目な生徒が務めるものだと思っていたのだが。
威厳は置いといて、伊東が選ばれた理由は全くの謎でもない。
笑みを絶やさず人当たりの良い彼が居てこそ、堅苦しくならずに済んでいる。
そして指示が的確と云うか、人を使うのが巧いと云うか。
仕事に慣れてくるうち分かってきた事。
中等部と打って変わって高等部の生徒会は雰囲気が緩い。
仕事もきっちりこなすが、先程まで繰り広げられていたのは半ばお茶会だ。
周囲からの推薦で流されるまま決まったとは云え、拍子抜けしてしまった。
書記の一年生、武田遥人は聞かれないように溜息を吐く。
艶々した黒髪に退屈そうな猫目。
成長期前なので、まだ小柄で華奢な身体つきに制服は緩い。
実はベテラン俳優の息子と云う肩書を持つのだが、注目されるタイプではない。
昔から大抵、外交的で父親似の兄に人は集まるものだった。
お陰様で母親似の物静かな遥人は干渉されず自由にやってこられた訳だ。
平気で人前に立てる父や兄と違って、遥人は裏方の方が落ち着く。
生徒会の仕事も嫌ではないので淡々と。
それに早く帰ったところで、やりたい事がある訳でもなし。
彼氏彼女と約束があるからと去って行った役員達に対しても無関心の目。
放っておけばいい、どうでもいい。
人を好きになった事すらないので全くの他人事だ。
しかし、やはり切りの良いところで帰るべきだったか。
今日のうちに仕上げてしまおうとしたら遅くなってしまったようだ。
いつの間にか、引き戸のガラスに見慣れた人影。
ああ、また狼が出た。
「よぉ、伊東居る?」
「いらっしゃい白ちゃん。」
獣の耳みたいに跳ねた癖毛を覗かせて、呼び声一つ。
尖った形の目で生徒会室を見回した。
遅れてきた役員ではない、演劇部部長の白部である。
来訪する事なら伊東も分かっていたのだろう。
にこやかに招いて、お茶会に一人増えた。
伊東に声を掛けたものの本当に用があるのは食べ物の方だ。
空いた椅子に腰を下ろすと、白部はバナナケーキを無遠慮に食い付く。
伊東も気前良く葡萄ジュースを注いで飲み物の準備。
此処にあるカップの人数分とは役員だけでなく、白部も含まれている。
「がっつかなくて大丈夫だよぉ、白ちゃんの分も取っておいたから。」
赤いパーカーの伊東と狼に似た白部。
肩を並べると、何だか「赤ずきん」を思わせる組み合わせである。
「なぁ悪いんだけど。借りてたDVD、兄ちゃんに返しといてくんねぇ?」
「え?はぁ、別に良いですけど……」
ふと此方に向き直ると、白部が手提げを渡してきた。
彼ら二人も兄と同学年なので友人関係らしい。
だからと云って、その繋がりで遥人とも仲が良い訳でもないが。
それどころか正直な話、遥人は白部にあまり良い印象を持っていない。
こうして立ち寄っては、残り物のお茶とお菓子を喰い尽す。
演劇部は意外と体力を使うのでいつも空腹らしい。
生徒会室は休憩室ではないのだが、果たして良いのだろうか。
真似する生徒が後を絶たない事態なんてのも予測される。
最上位の権限を持つ伊東が許しているので、口を出す幕はないものの。
ご馳走するのは白部だけなのでよほど仲が良いのだろうけれど。
「白ちゃん、苺のも食べる?」
「ん、そんじゃぁ貰おうかね。」
ほんの数分、すっかり寛いだ白部は我が物顔にすら見える。
伊東の柔らかい空気に当てられた所為もあるか。
葡萄ジュースの筈なのだが、ワインでほろ酔いになったかのような。
伊東が自分の苺ケーキまでも半分に割り、気前良く与える。
けれど勧められるまま喰い付いたのは欲張り過ぎ。
「うわっ、ドロッと出た。」
勢い余ってか、溢れてきた苺ジャム。
まるでケーキが血を流したようでもあり遥人は密かに顔を顰めた。
片や、伊東は「子供のようだ」と白部の汚れた口許を笑う。
実に無邪気な声を立てて。
ご丁寧な事に、伸ばした指先でジャムを拭ってやった。
そのまま舐め取り、一瞬だけ覗かせたのは艶めいた愉悦。
あれを目にしたのは遥人だけだろう。
残り少ない役員達は、そもそも彼らの方など気にも留めず。
ああ、確かに気付かされた、全ての認識は逆さまだったのだと。
赤ずきんのお菓子が目当てで狼は通っていたのではない。
寧ろ、あれは罠だったのだ。
甘ったるい匂いで棲家へ誘い込み、食べられる為の。
「……白部さん、僕のも良かったら要りますか?」
「そりゃ勿論食うけど、どうした急に。」
「何だか、食べられなくなったと云うか。」
「意味分からんよ。」
こんなに手間暇が掛けられた罠、遥人がいただくのは申し訳ない。
毒なんて混ざっていないにしても。
しっかりと責任を持って狼に平らげてもらわねば。
偏見も無ければ興味も無い。
此れは赤ずきんと狼の物語だ、遥人はそっと舞台を降りた。
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それぞれ仕事が終われば帰って良い日。
他の教室とも離れており、ただでさえ静かだった部屋に音が消える。
そう言い表せばいかにも窮屈そうな世界だが、実際には。
書面から視線を上げて見渡せば、ホワイトボードやファイルの山ばかりでない。
片隅には電気ポットに持ち寄りのカップがきっちり人数分。
おまけに良い匂いを漂わせるお菓子までも。
「武田君もその辺で終わりにしても良いからねぇ。」
「いえ、もうすぐ書き終わるので……」
そう言いながら伊東天満はカップケーキをつまむ。
今日のおやつも料理部の彼による手製、まだしっとりと温かい。
苺ジャムにバナナ、ナッツやチョコチップを散らして焼いたので種類も色々。
紺青のブレザーによく映える赤いパーカー、柔らかい栗毛。
一応は校則違反でないにしても目立つ。
ただ伊東の場合は何も格好の所為ばかりでもないか。
睫毛が長くて大きめの垂れ目は愛らしく、少女のように甘い顔立ち。
これで早生学園高等部の生徒会長だと云うのだから驚く。
見るからに生真面目な生徒が務めるものだと思っていたのだが。
威厳は置いといて、伊東が選ばれた理由は全くの謎でもない。
笑みを絶やさず人当たりの良い彼が居てこそ、堅苦しくならずに済んでいる。
そして指示が的確と云うか、人を使うのが巧いと云うか。
仕事に慣れてくるうち分かってきた事。
中等部と打って変わって高等部の生徒会は雰囲気が緩い。
仕事もきっちりこなすが、先程まで繰り広げられていたのは半ばお茶会だ。
周囲からの推薦で流されるまま決まったとは云え、拍子抜けしてしまった。
書記の一年生、武田遥人は聞かれないように溜息を吐く。
艶々した黒髪に退屈そうな猫目。
成長期前なので、まだ小柄で華奢な身体つきに制服は緩い。
実はベテラン俳優の息子と云う肩書を持つのだが、注目されるタイプではない。
昔から大抵、外交的で父親似の兄に人は集まるものだった。
お陰様で母親似の物静かな遥人は干渉されず自由にやってこられた訳だ。
平気で人前に立てる父や兄と違って、遥人は裏方の方が落ち着く。
生徒会の仕事も嫌ではないので淡々と。
それに早く帰ったところで、やりたい事がある訳でもなし。
彼氏彼女と約束があるからと去って行った役員達に対しても無関心の目。
放っておけばいい、どうでもいい。
人を好きになった事すらないので全くの他人事だ。
しかし、やはり切りの良いところで帰るべきだったか。
今日のうちに仕上げてしまおうとしたら遅くなってしまったようだ。
いつの間にか、引き戸のガラスに見慣れた人影。
ああ、また狼が出た。
「よぉ、伊東居る?」
「いらっしゃい白ちゃん。」
獣の耳みたいに跳ねた癖毛を覗かせて、呼び声一つ。
尖った形の目で生徒会室を見回した。
遅れてきた役員ではない、演劇部部長の白部である。
来訪する事なら伊東も分かっていたのだろう。
にこやかに招いて、お茶会に一人増えた。
伊東に声を掛けたものの本当に用があるのは食べ物の方だ。
空いた椅子に腰を下ろすと、白部はバナナケーキを無遠慮に食い付く。
伊東も気前良く葡萄ジュースを注いで飲み物の準備。
此処にあるカップの人数分とは役員だけでなく、白部も含まれている。
「がっつかなくて大丈夫だよぉ、白ちゃんの分も取っておいたから。」
赤いパーカーの伊東と狼に似た白部。
肩を並べると、何だか「赤ずきん」を思わせる組み合わせである。
「なぁ悪いんだけど。借りてたDVD、兄ちゃんに返しといてくんねぇ?」
「え?はぁ、別に良いですけど……」
ふと此方に向き直ると、白部が手提げを渡してきた。
彼ら二人も兄と同学年なので友人関係らしい。
だからと云って、その繋がりで遥人とも仲が良い訳でもないが。
それどころか正直な話、遥人は白部にあまり良い印象を持っていない。
こうして立ち寄っては、残り物のお茶とお菓子を喰い尽す。
演劇部は意外と体力を使うのでいつも空腹らしい。
生徒会室は休憩室ではないのだが、果たして良いのだろうか。
真似する生徒が後を絶たない事態なんてのも予測される。
最上位の権限を持つ伊東が許しているので、口を出す幕はないものの。
ご馳走するのは白部だけなのでよほど仲が良いのだろうけれど。
「白ちゃん、苺のも食べる?」
「ん、そんじゃぁ貰おうかね。」
ほんの数分、すっかり寛いだ白部は我が物顔にすら見える。
伊東の柔らかい空気に当てられた所為もあるか。
葡萄ジュースの筈なのだが、ワインでほろ酔いになったかのような。
伊東が自分の苺ケーキまでも半分に割り、気前良く与える。
けれど勧められるまま喰い付いたのは欲張り過ぎ。
「うわっ、ドロッと出た。」
勢い余ってか、溢れてきた苺ジャム。
まるでケーキが血を流したようでもあり遥人は密かに顔を顰めた。
片や、伊東は「子供のようだ」と白部の汚れた口許を笑う。
実に無邪気な声を立てて。
ご丁寧な事に、伸ばした指先でジャムを拭ってやった。
そのまま舐め取り、一瞬だけ覗かせたのは艶めいた愉悦。
あれを目にしたのは遥人だけだろう。
残り少ない役員達は、そもそも彼らの方など気にも留めず。
ああ、確かに気付かされた、全ての認識は逆さまだったのだと。
赤ずきんのお菓子が目当てで狼は通っていたのではない。
寧ろ、あれは罠だったのだ。
甘ったるい匂いで棲家へ誘い込み、食べられる為の。
「……白部さん、僕のも良かったら要りますか?」
「そりゃ勿論食うけど、どうした急に。」
「何だか、食べられなくなったと云うか。」
「意味分からんよ。」
こんなに手間暇が掛けられた罠、遥人がいただくのは申し訳ない。
毒なんて混ざっていないにしても。
しっかりと責任を持って狼に平らげてもらわねば。
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2017.09.08 ▲
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