林檎に牙を:全5種類
*R指定描写(♂×♀)

瑠夜は女王様。
憑依時の意識は主の方が強くても、紫苑みたいに従者に任せて勝手に動く事も可能です。
加速した自転車みたいな状態です。ペダル漕がなくても進む、と。
低く懐へ飛び込む速さは一瞬。
細い身体は舞い、捕らえる事の出来ない風に変わる。
野暮な悲鳴が空を裂く。
噴き上がる血が尾を引き、切り離された肉塊は地に落ちた。
足を失った獲物に最早逃げる術など無い。

恐怖で硬直しきった顎を静かに持ち上げる、抜き身の先。


纏め上げた黒髪は解けてしまっている。
指輪が絡む女性の手には、鈍く重量感を以って磨かれた刃。
時代劇で馴染みの光を乱反射させる作り物などとは違う。
全てが深紅に濡れた姿。
其の中で一つだけ違う色、爛々と輝く双眸は瑠璃。

「痛いですか?」

答えなど元から期待せずに"最期"を獲物へ振り下ろす。
問い質した剣士の唇は、残酷な笑みの形。




葉陰の深さは真昼の中にも薄暗い空間を作る。
それこそ、周囲の音すら吸い込んでしまう冷たさを帯びて。
此処ならば良いだろう。
慎重になる事を忘れず、瑠夜は其処へ足を踏み入れた。

俯き加減に加えて、漆黒の髪に隠れてしまって表情は読み取れない。
隙から覗く目は瑠璃色、そして血濡れの剣士の物とよく似た指輪。
しかし、先程の長い髪を乱した女性にあらず。
何処か陰鬱な影を持つ、小柄な少年。
否、此の少年こそが剣士の"中身"とでも云うべきか。


無闇な暴力を振り翳す妖の前では人など何とも非力である。
そうして、削られる命を護る役目を負うのが彼ら。
主である討伐師に憑依し、互いの霊力で錬成した武器を手に迎え撃つ、魂だけの存在。


死人である事を主張する青白い肌。
姿そのものが透き通っている錯覚を覚える程でも、手だけは紅く。
閉じ込めても握られた指の隙からは雫が落ちる。
斬ったばかりの獲物から流れた、鮮血。

どれだけ討伐師が血を浴びたとしても、彼ら霊魂には関係の無い事。
身体から抜けてしまえば存在は元通り二つに分かれるのだし。
にも関わらず、わざわざ掬い取って来た物。

何の為に?


「さぁ、どうぞ?」


独り言に近い口調に抑揚は無く、それでも低い響き。
飢餓感はそろそろ臨界点だろうか。
振り返り声を掛けた先、大人とも少女とも見える女性が一人。

花火は瑠夜と全く対極的な容姿をしている。
浅黒い肌の線は何処も柔らかで、健康美を感じさせる四肢。
ふわりと長い黒髪が緩く波を打つ。
よもや、彼女が光を嫌う吸血鬼だとは誰も思うまい。
瑠夜よりも少しばかり高い位置にある頭部からは、蝙蝠の耳。
血石の耳飾がぴくりと揺れる。


撒き散らされる血の匂いは濃い。
嗅覚は人よりも鋭く、ましてや餌に対してなら尚更。
今まで生殺しを強いられていた花火の眼前に初めて血を晒す。

沸き立った一瞬、深紅の共鳴。
緋色の瞳は柔和な顔立ちに艶を混ぜる。

焦らすのを止めた瑠夜が掌の器を差し出す。
華奢と云えば聞こえは良く、ともすれば折れてしまいそうな腕。
膝を折った花火の両手が恭しく支える。
着いて来るまでの所在無さげな様子は此処までか。
震える舌が伸ばされ、血溜まりに触れる。

温かなザラつきが底を着く感覚。
背筋を駆け上がった痺れに、瑠夜の息が乱れた。


血を啜る音は小さくとも耳を離さず。
手首まで唾液混じりに濡れるのも構わず、されるが侭に。
不快だと思うくらいならば最初からしない。

紅に塗れていた指輪の石も元の色を取り戻す。
瑠夜の瞳と同じ、瑠璃の粒。

やがて全て喉の奥に収めたかに見えても、まだ香気は感じる。
既に染み付いてしまった深紅。
快楽も使命も含めて瑠夜は浴び続けてきた物なのだ。
残すまいと花火が舌を絡ませ、根元まで口に含んで転がす。
奥歯に当たった爪も甘く噛まれた。

色黒の肌では判り難くとも頬は上気し、蕩けた表情。
不意を突いて、咥えられたままの指先が悪戯に舌を押した。

「……く……ぁッ!」

くぐもった息は灼ける熱さ。
緩く抜き差しを始めれば、薄紅の唇の端から唾液が溢れ出す。
そのまま顎を伝って糸を引く様に笑いが込み上げた。
空いた方の手で拭い取ってやり、瑠夜も舌を這わせてみる。
血の味は薄まっていて判らなかった。

量は決して多くを必要とせず、舐める程度で事足りる。
吸血鬼であっても花火には食事ではないのだ。
食物を摂取する必要の無い霊魂には不可欠でなく、嗜好品とでも云うべきか。


行為は何も意味を持たず、唯の遊戯。
始めた理由さえ忘れてしまう程に以前から瑠夜と花火は続けていた。


互いに加虐と被虐を演じて、今だけの別世界。
普段と云う表面上は飽くまでも素知らぬ顔で接していても。
或いは、仲間内の数名は感付いているかもしれぬ。
全てを見透かす者や察しの良い者も居るのだ。

特に支障が生じると云う訳でもなく、秘密とするには大袈裟。
周囲に妙な気を遣われるのは避けたい。
出来る事なら伏せていた方が面倒も無くて良い、それだけ。



「噛んでも僕は血なんか出ませんよ……」
「……解ってます。」

指を抜き取って至近距離、欲情した声が交わる。
唇は決して愛を囁かない。
それきり引き結んで、繰り返されるのは吐息のみ。

此処には居ない想い人の名を呼ばない為に。

他の者に触れる事が出来るなら、感情は本物ではないかもしれない。
苦しく息衝いていようとも恋とするには淡く。
所詮、実を結ぶ事などありえないと解っているのだ。
言葉など要らない。
手に収まらない物を欲してしまった、同士。


視線を落とす先、黒々とした睫毛は涙の粒で濡れていた。
胸が締め付けられる。
此の時間は確かに愉悦を得られても、痛みも伴う。

心情など知った事ではないと思えたら、どんなに楽だろう。
数え切れない命を斬ってきたくせに。
たった一人を残酷に割り切れないなど、何を今更。
此れは"そう云う"棘だ。
代用品にもなれず、癒す事も出来ず、瑠夜に突き刺さる。



腕を回して抱え込んだまま腰を下ろす。
薄い胸に顔を埋めた花火の髪が、鼻先に甘い。
目を閉じれば完全な闇。

手探りに撫でる柔肌の吸い付く感覚。
裂け目は既に熱く、掻き乱した指先が再び濡れ始める。

押し殺した泣き声を聴きながら天を仰いだ。
太陽の遠い影の中でも、瞼に微かな薔薇色が差す。
それすらも今は眩しくて堪らない。
光など望まないのだ。


ただ此処に居させて欲しい、もう少しだけ。
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2009.02.28