林檎に牙を:全5種類
まどろみから目を開けると、もう空は夕方から夜の色へと移り変わっていた。
熱と汗で湿っていた部屋の空気が薄い闇で澄んだ頃。
寝返りを打とうとしてずれた毛布、感じた冷気に肌が震える。
動かした視線、
愛しい少女は隣に確かに居た。

ベッドに座り込んで、何をするでもなくただ其処に。
闇に溶ける胸まで伸びた黒い髪、
窓から射す何処かの灯りに、何も纏っていない肌が白く浮かぶ。

彼女は眠った顔を見せない。

どれだけ求めても、穢しても、先程までだって何度注ぎ込んだ事かも判らぬ。
眠りに落ちる刹那すら、腕に抱いたリンファの瞳は情欲に潤んだまま。

いつだって眠そうな瞳をしてるくせに、決して閉じる事は無い。
隙を見せたりしない。
其れはあからさまなものではなく、強がりでも非ず。
少なくとも、自分の前では。


気怠く伸ばした指先で髪に触れる、
まだ僅か冷たく濡れている柔らかな感触が、眠っていた身体を覚ます。
緩慢にリンファが振り向いて、男の腕にも其の黒はさらりと舞い落ちる。
咎める訳でもなく、ただじっと此方を。

「風呂……、行く?」

拾い上げたズボンに脚を通してアーネストが訊くと、頷きを一つ返した。
引き剥がしたシーツを華奢な身体に巻き、ベッドから降りる。
ふらつきもしない脚で。



汗ばんだ身体に湯が降り注いで、アーネストは仰向けのまま眼を閉じた。
二度目の入浴は、安堵感に思わず息をつく。

椅子に座った彼の背後、金色の髪に滑らせた指先をリンファは丁寧に動かす。
香りが好きじゃないから、と此処のシャンプーは使わない。
すっかり汗を流し終えて其処から離れた小さな手、
我ながら未練がましくも向きを変え、下から見上げた。

黒い髪を後ろへ払って、リンファは泡立てた石鹸で肩から洗い始めた。
男を知っているとは思えぬ程、綺麗な身体。

掌が撫でただけで乳房は揺れ、泡の滑り落ちた頂点は紅く尖っている。
水のような泡はそのままゆっくりと腹部、その下までを伝って、白い香りで濡らす。
燈った熱に目線を逸らした。
其の彼の様子に、リンファは僅か不思議そうな色を。
手は相変わらず泡と戯れるまま。

泡を洗い流す派手な水音、
無防備だった背後から抱き締めた。
小さな身体は、狼狽もせずに腕の中で力を抜く。

一見すると、恋人同士のような。
それが切ない。



眼鏡を掛け直して、冷えた手で紙幣を捲る。
「この時間」の代金。

金を渡すとクロスは枚数を確かめて、素っ気なく「毎度」と呟いた。
欺いたりなんてしないさ。
其処まで自分は器用なんかじゃない。

「……おい。いつまで髪弄くってンだ、お前は。」
「あら、せっかちねぇ……、今行くわよ。」

顔を上げたクロスの呼び掛けに、リンファはようやく鏡台から離れた。

冷たいほどの青いドレスにすっかり肌を隠して。
整えられた黒い髪。
見なくとも判る、其の左耳にはピアス。

「大体なァ、いつも時間掛け過ぎだ、お前は。」
「いいじゃない?一つくらい拘るものがなきゃ人生つまらないわ。」
「また大袈裟に……、髪くれェでそんな、」
「クロには解かんないわよ、どーせ。」

身奇麗に体裁を取り繕っている筈の今の方が、色彩を感じる表情で。
「どうして」か、なんて解かってる。


細い腕を掴んで、引き寄せた。


拒まれぬ事もなく交わる唇。
舌先で味わうように辿って。

吐息の甘さも飲み込んで窺った、黒髪の男の顔。


何故、そんな瞳をする?


一瞬で掻き消えた色を、レンズ越しに確かに捕らえた。
彼が見逃す筈も無い。

時計にすれば、秒針は半円すらも描かなかったろう。

離れた唇の間、
冷たい空気が流れて、すぐに包まれた。



先に閉じられたドアを動けないまま眺めている。
去っていくエンジン音、
無理矢理に耳を塞いで、ベッドに倒れた。

彼女の中、自分は何も残せない。

丸まったシーツに残った、幾筋かの黒い髪。
摘み上げた其れを指に絡ませて、灯りを消した部屋で目を閉じた。
三角関係にすらもなれない苦しさに。



「ねぇ……」
「あァ?」

薄闇の降りた街中、
走り抜ける車に短く響いた声。

「ちょっと、寝る……、着いたら起こして?」
「昼間あんだけ寝てたくせに……」

ハンドルを切るクロスの声など、リンファには既に届いていない。
長い睫毛の瞼は閉じられて、微かな呼吸を繰り返し始めた。
呆れる程、無防備に。
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2012.02.03