林檎に牙を:全5種類
「今回も妊娠してはないわ、性病も……取り合えず。」

ガーベラは机から向きを変えて、やや硬い声で結果を告げた。

薬品の匂いの所為だろうか、診察室は張り詰めたような空気が何処か感じる。
しかし、丸椅子に掛けたリンファはいつもの通り。
眠そうな眼で――実際眠いのか、ぼんやりした表情で聞いているのやらは疑わしい。

もう長い付き合いとなるので其れは判っている事、
一つ、ガーベラは軽く息をついた。

緩めに波打つ黒髪は一つに束ね、白衣の背に垂らしている。
小さい医院とは云え、まだ二十代半ばと産婦人科を統轄する者にしては若い。
其れは医者の数が足りないと云う現状もあったが、ガーベラの腕もまた確かなものだ。


猫目をきつくし、向けられたのはリンファの背後に立っているクロスの方へ。

何を言われるかなんて判っている。
その視線の痛さに、クロスは居心地悪げに僅か身動ぎした。

「モルダーさん……、こんな仕事、いつまでさせるつもりですか?」

雇っている少女の誰を連れて来ても、もう何度も聞いた事。
其れは殊更にリンファの時は喧しい。

「セックスは、確かに子供を造るだけに留まる行為ではありません……でも、
 女性は次の世代へ命を繋いでいく役目を生まれながらに担っています。
 望みもしない妊娠で負う痛み、男性だからって解からないなんて言わせません。」

「先生、別にクロが妊娠させたとかじゃないんだから、」
「其れなら良いわ……、まだ。」

そう、責められる相手はクロス一人だけで済むからだ。
其れ自体はちっとも良い事なんかじゃない、
リンファとクロスのどちらが口を挟まずとも、彼女の苦い表情から読み取れた。


「……お前さんも共犯だろう?」

ようやく口を開いたクロスの言葉は重く響いた。
裏社会で長いこと食っている男の声。


ああ、其れは事実だ。

年端も行かぬ少女らに診察や避妊薬を提供する事は、非合法と承知でなければ出来ぬ。
只でさえ、必要としてる人間に対して医者の数など充分ではないのだ。
複数の少女達を診せていれば、いつかは足が付く事。

規則厳しい場所ならば、彼女も多少なりとも罪となるのだろう。
幾ら此処が乱れた世とは言えども、ガーベラの気持ちには棘となっている。
しかし、其のリスクなど承知と覚悟の上だ。

精一杯の気丈でクロスを睨み、言葉を。

「私は……、彼女達が心配だから、」
「スラムの人間の事情も解かりきってねェくせに随分な言い分だな、
 やっぱりお前さんは守られて生きてきた人間だ。」
「……確かに、私は恵まれてきました。でも、貴方達の苦労も解かってるつもりです。」


「先生、」

静かに、リンファがこの空気を解いた。


「娼婦の仕事しているのは私の意志よ。させられている訳じゃ、ないわ。」


年不相応に落ち着いた声。
薄汚い闇の部分を知り過ぎた少女のもの。

凛としていた分だけ、其れはガーベラには痛々しくもあって、


「いいえ、今日は言わせて貰います。大体……、」
「失礼しまーす!先生、リンちゃん来てるんでしょー?」


突然にドアが開き、明るい声が診察室に飛び込む。
揃って3人が向いた先、
ドアを開けたのは二十代前半の若い女性だった。


「ミオさん、今は……」
「あら、ミオ姐久しぶりー。」
「きゃー、リンちゃんお久ー!クロさんも、」
「……あァ。」

はしゃいだ声でリンファの肩に背後から抱きつく。
思わず前に上身が揺れたが、抱き留められたリンファは至って大人しく収まる。
ミオと呼ばれた彼女もまた、この医院で働いている者だ。
とは言え正規の医者や看護婦でなく、医院の仕事を手伝いに来ている形。

少々くしゃっとした、淡い栗色の短い髪。
長身な方なので、小柄なリンファとくっ付くと其れがよく判る。
快活そうな瞳は変わった色、

一見しただけでは判る人間など少ないが、桜を思わせる薄紅色だった。


「やだなぁー、リンちゃん来てるんなら教えてくれればいいのに。」
「んー、後で少し寄ろうとは思ってたんだけど、ミオ姐の方だって忙しいでしょ?」
「まぁそうね、じゃあまた今度家においで。ケーキ焼くからお茶しよーよ♪」
「あの、まだ話は、」
「先生も、アイさんと一緒に遊び来てねー。仲良くしてる?」
「え……っ、あ、もう、からかわないで下さいよ……」

恋人の名が挙がった途端、紫の瞳が揺れたのなんて一目瞭然だった。

やや拗ねたような其の返事だって、照れ隠しというヘタなフェイク。
他人の事にはお節介な程なのに、自分の事となると如何やってもうろたえてしまう。
二人とも、ガーベラのこういう所を心底可愛いと思う。

茶化すように其れを言葉にしたら、ますます頬は朱を濃くした。
元来、彼女は素直な人間だ。
そんな一呼吸を置いて、再び女性陣の話には明るい色の花が咲き出す。

緊迫した空気など、いつの間にか何処かへ溶け去って。


「……ミオ姐、」
「何ー?」
「ありがと。」
「ん……」

女ばかりの中では邪魔するようで、クロスはそっと部屋を出た。
其の時確かに耳に届いていた、
少女娼婦と足を洗った娼婦の小さなやり取りは、聞こえない振りをして。



「皮肉、だよなァ……」

この広すぎる街、
彼女と彼女らを手繰り寄せたのは、娼婦という仕事。
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2012.02.03