林檎に牙を:全5種類
所狭しと小さな軒を連ねる、台と日除けだけの簡素な出店。
道を行き交う人々は老いも若きも手に籠を下げ、視線は忙しく声も高い。

此の街では三日置きに市が開かれる。


商品と許可さえあれば誰でも主人になれるので、銭を稼ぐには良い機会と言える。
自ずから店数はとても多く、毎回大変な賑わいを博した。
遠くて行けない、と言う客の為に立派に店を構えている処も中に混じって。

寂れたスラム街に篭もっていたリンファには、其の活気付いた空気は光の気配が濃い。
日焼けが苦手な所為だけではなく。



掘り出し物なんかも見つかり、何処かに隠れていると思うと誰もが気持ちを弾ませる。
余計な物まで買ってしまいそうになるが、今日は生活に必要な物だけ。

此処で生活するようになって、市を頻繁に利用するようになって。
暫くは罪悪感で前を通るのも少々心苦しかったが、そうも言っていられず。
何年も店を出し続けていると固定の場所も出来る。
リンファが子供の頃から変わらず、其れは今日も在った。

盗みに入って失敗した上、店の男性の脛を蹴ってしまった、パン屋の出店。
番が髪の長い女性になってからは、かなり安堵した。


買わねばならぬ物はまだあるが、持っている途中で潰れないだろうか。
かと言って、後に回せば目当てのパンは売り切れる事も。
そう考え一歩、二歩、足が止まる。

呼吸を置いてから、リンファは結局パン屋へ向かった。
いいわ、もう此処まで来ちゃったし。



「ありがとーございました。」

東洋人がするように頭を下げられると、習慣の無い者は如何していいのやら。
前に並んでいた客が、其れに釣られてしまったのをリンファは見た。
一つに束ねられた女性の髪はバレッタで留められ、頭の上。
彼女が顔を上げるまで、跳ねる毛先を目で追ってしまうのはいつも。

パンは此処でしか買わない。
味の事もあるが、売上に貢献しているのはリンファなりの罪滅ぼし。


渡された紙袋を少し開け、確かめるように爪先で軽く突付いてみた。
欠かせない胡桃のパンはツヤツヤとした焼き色。
そこに歯を立てる時の事を考える。
籠の角へそっと入れると、歩みの度に乾いた音で紙袋が揺れた。



「あ、リンリン発見。」


軒下にずらり並べられた服、その中の一枚をリンファが熱心に見ていた時。
背後から掛けられた声には憶えがあった。
振向いた先、其処には思った通り黒髪の若い男。

さすがにクロス程ではないものの背は高く、如何にも頑丈そうな身体つき。
加えてサングラスと来ると、近寄り難いように思えるものの。
上身から腰はしなやかなダークグレーの上着で包まれ、ラインの柔らかい印象。
どんな格好でもリンファは驚きはしないが。
彼の人柄を知っている者ならば、尚。


「あら……コーニッシュさんこそ、里帰りしてるって聞いてたけど?」
「え。リンリンも知ってんの?あー……、うん、一昨日戻って来たとこ。」


コーニッシュの歯切れが悪い理由も、実は知っている。
職場でお客に襲われそうになったとか、
その為ほとぼりが冷めるまで雲隠れしてたとか、そんな処らしい。
何しろ、彼の職は場所が場所であって……

と、其れはまた別の話。




「で。買うの?」
「んー……、まさか、予算オーバー。」


途端、其れに視線を注いでいた眼はくるり横を。
言葉と共に、ワイン色に花が散ったワンピースを離す。

彼が声を掛けた理由を挙げるならば、服に興味を示したのが珍しかったから。
髪の事は気にするくせ、身に着ける物に関しては無頓着なリンファの事。
今だってすっかり着古したブラウス。
水色は購入した時よりも少し薄く、相変わらず小さい手は袖に隠れてしまう。


「じゃ、コレにしようかしら。」
「………なぁ、」

前言撤回。リンファの手に収まったシャツは、如何も趣味が良いとは言えぬ。
カーキと言えば聞こえは良いが、どちらかと言うと、ただくすんだ緑。


「リンリン……、それって若い娘さんのセンス?」
「だって安いし、」
「いや……、それにしたって酷いだろーよ。」
「そうかしら?」
「そう!」

やけにきっぱりと言う。
まぁ確かに、此のシャツはコーニッシュの趣味じゃない、決して。


「こーゆーワンピース欲しいなら、俺作ったるけど?」
「え、でもコーニッシュさんだって忙しいんじゃ、」
「布扱うのいつもだし。だから、そんなダッサイのに金なんか払うな。」


彼の言い分も相当酷いが。
しかし、店員に聞こえたら如何する気だろう?

長身に引き締まった体格、
そんなコーニッシュが最も得意とするのは、裁縫手芸だったりする。
人は見かけに因らぬ。

サングラスを外し、手に取ったワンピースを真剣な表情で彼は調べ始める。
今しがた外したガラスような黒にも見える、深い深い碧の眼。
陽射しの強さで眉間に皺を寄せると、透き通って明度が高くなる。


「っし、此れなら余裕。」



「お任せして……、本当に良いのかしら?」
「いーの、俺が作るって言ったんだし。子供は遠慮すんな。」
「ありがと、ございます。」
「じゃあ、サイズ測るからそのうちな。」

買い物に忙しいのは皆同じ、ひらりと手の平を返して去って行く。
リンファも視線は既に何軒か向こうの八百屋。
完全に営業妨害、冷やかしで踵を返したのは少しだけ悪いと思いつつも。

見知った後姿を確認、
店先で立ち止まったままの金髪の青年に駆け寄る。



「アイさん、」
「あ、リン久しぶり!」


色々愛称の在る彼女だが、こう呼ぶのは一人しか居ない。
此方に気付いたアイヴィは片手を上げた。
リンファより2つ年は上だが、人懐っこそうな笑みは少年其のものである。


勢いがよすぎてもう一方の手の籠が大きく傾き、慌てて持ち直す。
無造作な髪の合間、翠の天然石のピアスを揺らした。

磨き上げられた石は雫にも見えない事も無いが、決して左右共に同じではない。
角を丸める程度に削られ、正に「欠片」と云う表現が相応しく。
陽の下でもリンファのガラス球の様に透けず、光は表面をするり滑るだけ。



「やっぱ此処、広いようで狭いねー。さっきもミオに逢ったよ。」
「あら、ミオ姐も?」
「パン買いに行くって言ってた。でさ、林檎ってどれが美味しいかなぁ?」

指差す、木箱いっぱいに赤い艶を放つ果実。
決めかねているらしい。

「林檎はどれも美味しいわよ?」
「あ、確かに。」

一言で納得、それ以上お喋りは続かず適当に選ぶ手。
相変わらず素直だ、
思わず気が抜けてしまう程に。
誘われるようにリンファも一つ手に取った。



「あのー、お釣り100ジュレ多いですよ。」
「……ああ、本当。どうもすみません、」


会計を済ませて林檎は籠へ、並んで歩く道。
何か言いたげだったリンファはそっと口を開いた。
纏まらなかった訳でもないのに、言葉にするまで数秒掛かって。


「ねぇ、100ジュレでしょ?貰っても良かったんじゃない?」

「ん?でもさぁ、やっぱりあれはお店の売上だから。
 それより、これから本屋覗いてみるけどリンも一緒に行く?」

良い子だ、とごく小さな溜息をリンファが零した。
決して嫌味の意味などではなく。


こう云う人間に対面する時、夜を生きる自分の泥をリンファは見てしまう。
別に比べるつもりなんて無いが。
そもそも、彼がそんな事に少しも構わってないのも知っているが。
如何やったら、ここまで混じり気の無いのままで人は育つのだろうか。

アイヴィだって、この性格故に色々と損もしていそうな気もする。
友人としては感心と心配が半々。

でも、世の中にはこんな言葉もある事だし、



「正直の頭に神宿る、てね。」

「……掃除機?」


誉め言葉くらいきちんと受け取ってほしいものだが。
彼の頭には花も咲いてるらしい、如何やら。
ま、知ってたけどねー。

訝しげに首を傾げたアイヴィの耳朶で石が揺れた。
各々だけにしか出来ない、ただ一つだけの形で、誇らしげに。







「ミズキさんー、何してんの?」
「んん?ストレッチ。」


両手を前で合わせ、水平にした腕は力をぐっと込めたまま。
呪い掛けてるのかと思った、
そう言って笑ったミオに、堪えられずに吹き出してミズキも同じく。


「『胡桃』ちゃん来たよ、やっぱりコレ買ってった。
 服が地味なのが残念だったなー、もっと可愛いの似合いそうなのに。」
「えー、いいなー、どんな子か見たかった!」

お気に入りの常連さんに会えるのは、番をする彼女の楽しみでもあって。
思いつきで付けたニックネームも遊び心。
勿論、本人達は其れを全く知る由も無いのだが。


「でも意外、ミズキさん年上好きなんかと思ってたー。」
「あの子は別……あ、『貴公子』来た!」



降り注ぐ陽光は飽くまで暖かく、冴えた空気に触れるものを色鮮やかに。
物も人も、幾つもの出会いや縁で交差する此処と云う場所。
そうやって日々は彩られるのです。
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2012.02.03