林檎に牙を:全5種類
物事とは全てが予定通りに行く訳ではない。
例えば、今日は一週間ぶりのセックスの仕事でそれなりの準備だってあったのに、
目が覚めた時に起き上がれない事態になってたとか。

苦労しながら最低限の処置を施して、安静にしていようと思ってたのに、
何処かの仲介人のお節介で病院の一室に居るとか。


症状ですって?



「腰から下、感覚無いくらい痺れてて変……」
「血行が悪くなってるのね……温かくして寝てた方が良いわ。」
「家で寝てたとこ無理矢理動かされて、更に痛いし?」
「……モルダーさん、」


向けられた矛先にクロスは言葉に詰まり、殊更に渋い顔。


「今日は他の奴に行かせる……、休んでろ。」
「当然です。」

ぴしゃり言い切るガーベラは飽くまで尖った態度。
よくなったら迎え行く、と女二人に残して早々に扉は閉まった。

如何にも、産婦人科と云う場所はクロスに居心地が悪すぎる。
いや、寧ろ彼は此の女医が苦手であって。
情けないとか軽く嘲笑ってやるところだが、リンファはそんな気力も無い。


診断するまでもなく、生理痛。



「今月は二回目よ、ちょっと前に終わったばっかなのに、」
「バイオリズムも影響するものね……」


思い当たる事?
安定しない環境下で生きているのだ、そりゃまぁ、色々あって当然。
それにしても女の身体とは面倒が多い、毎月の宿命と言うべきか。


痺れも未だに続いている上、特有の怠さが気分を重くする。
そう云えば頭痛も少し。

乱れ気味の黒髪を枕に広げ、空気の塊を苦しく吐く。
シーツに力なく倒れたリンファの身体に、ガーベラが毛布を掛けた。
やっぱり、独りじゃなくて良かった。
先ほど渡された薬の効果か、ぼんやりしてきた頭で安堵する。



「あ、ピアス外さないの?」
「先生、眼鏡じゃないんだから……
 アイさんがしてるのみたいだったら寝る時は外すんでしょうけど。」
「……知らないもの。」


素っ気無い振りして言葉を切る、恋人の話題には相変わらずか。

全てのものに理由など付けていたらキリが無いのは承知であっても、
そう云う意味でもアイヴィの物とは違う。
別に、リンファのガラス玉は洒落て付けている訳ではなくて。



遠くは東、此の大陸の果てを占める大きな国に、ファンショネットと云う地方が在る。
リンファの家族の生まれは其処であった。
彼女自身は、四方を山脈囲まれた此の国を出た事すらないものの。

其の国は人口が此処より多く、アルファベットからして言葉が違い、そして海がある。
今使っている文字が読めるようになってから本で読んだ。


幼心にも、両親の話だけでは頭から信じられなかった。
疑う訳ではないけれど。
それでも彼女が其の地の人間であると証明しているのが、此のピアス。
民族の風習により10歳を迎えた男は右耳、女は左耳に開ける。


「『穴』ってのは、人生に於けるネガティブな意味合いでしょ?
 だから先手打って開けて塞ぐの、穴開けなきゃ何事も始まらないって。」

「……何だか、やらしくも聞こえるんだけど……考え過ぎ?」


別に『そっち』の意味は含んで無かったけど。
まぁこの際だから……
言ってしまおう、常々彼女に対して思っていた事。


「アイさんだけど、こないだ会ったわよ?」

「…………あー……」

「アイさんだったら良いと思うんだけど……先生、『まだ』でしょ?」

「……あの、ね、違うのよ……そうじゃないの、」

「違う、て?」

「私ね……リンファちゃんが思うほど、そんな可愛くないわよ?」


紫の瞳の視線は迷い、言葉を探す沈黙は続く。
やがて不透明に一息、
細い手で額を押さえるとガーベラは吐き出した。


「何年も勉強して実地経験積んで、出産は素晴らしいものだって思うわよ?
 でも……その見据えている現実って、言うのは憚られるけど、エグいよね……」


あまりに主観的な言葉なので解釈は困難、
如何いう意味かと眉を顰めたが、『出産』と云うものを客観的に考えてみる。

血塗れの肉隗が、悲鳴を上げながら性器から押し出される様が浮かぶ。
ああ、成る程ね……
答えが出て、思わず苦いものを含んだ表情で唸った。


セックスに対して甘く美しく、なんて幻影が持てないのも解かる。
だけど、其の点ではある意味リンファも同じであって。



「純情。」
「それって、今時誉め言葉なの?」


まあ其れも確かに。
此の世では笑われる部類になったと、有名な詩人が書いていた。
でも言葉なんて、象った者の気持ち次第。

賛辞よ、心からの。
本人に届かなかったのならもう一度。


「先生、繊細なのねー……、でも偉いわ。
 ちゃんと仕事にしてて、多くの人から感謝されてるんだから。」

「内緒よ?コレ誰かに言うつもりなんて無かったもの。」


人差し指を唇の前、ガーベラの苦い表情は必死。
仕草が妙に可愛らしくて、和らいだ。
しかし、そんなリンファの表情を彼女の方は余裕と取ったのだろう。
少しだけ拗ねる色が混じる。


「リンファちゃんも……、有るでしょ?」
「聞きたいの?」
「…………かも、」
「まぁ、今夜は腹割って話すって事にしましょうか。」




「人魚」と云う職の存在理由をそれなりに解かってきた、
あれは12歳だったろうか。
舞い込む仕事は、必ずしも身体に手が這わせられる事を意味してはいなかった。

肌を見せたり、舌先や手で男の欲を鎮めて稼いでいた頃。


幼い人魚は処女のまま、と云うのが特に良いらしい。
しかし、触れられる事に慣れている処女にどれほど価値があるのか。
欲望で血を流しているか否かが、如何違うと?
理解には内心苦しみながらも、リンファは答えを出すつもりもなく。

持て余す欲の形は人それぞれ、
しかし、満悦した男達から吐き出されるものは同じで。
多感な時期に其れらを見つめてきた碧の瞳に、熱は無かった。


きっと歪んでいるのは自分も同じなのだろう。
否定もせずに受け止めて、そしてまた人魚として夜を明かす。

その時は、『感じる』と云う言葉が解かってきた年頃。
だけど溺れる事は出来なかった、
嫌悪感とか、そんな奇麗事の理由じゃなくて。



自慰するところを見せてみろ、と言った客は触れようとすらしなかった。
布の上からでないと何処を触れば良いのかも判らなかったが。
直接触ると痛いだけなので、気付かれないようにローションを指に塗って。

膝を立てて座り、下着を引き抜くと客の目の色が変わった。
視線とは気分が落ち着かないものだが、高揚させる要素でもあり。


注がれる粘つくような其れに、目を閉じる。


実年齢よりも更に幼さの色濃いリンファの身体で、少しだけ成熟した秘所。
潤滑液のお陰で柔らかくなり、控えめながらも水音が絡みつく。
指先は止められず、次第に吐息も微かな甘さが混じって。
幾度となく他人に弄られて目覚めてきた感覚を、自らの意思で呼ぶ。


いつだって行為は客が満足してしまえばそれで『仕事』となって、
叩きつけられる事には慣れつつあって、

自分の手で触れていた方が、ずっと、



痛みに小さな肩が跳ね上がった。




「ちょっと、ね……、深く挿れ過ぎちゃったの。」



「……先生、引いた?」


首を横に振るガーベラの面持ちは至って真面目。


何処かの金持ちが昂ぶりを呑み込ませたのは、其れから一年と掛からなかったと思う。
例え薄い壁を破っていたとしても、それまで閉じていた場所。
睨んだとしても相手の加虐を煽るだけ。
最初の頃はいつだってそうで、憶えているのは痛み。
反り返った欲望で引き裂かれては、揺さぶられる息苦しさに顔が歪む。


他人の手で果て、深から欲情する事を教えたのは、あの青い髪の男だった。
それは堕落を意味したのかもしれないが。


辛かったのは、ただ肉体的な痛みだった。
だけど泣く事は出来なかった。
何も感じないのだ、
泣くのを我慢しているとか、自分が哀れだとか。


家族が亡くなって本当に辛い事を越えてしまって、それからずっと。
流すべき涙は枯れてしまったか、それとも涙腺が壊れたのかは解からない。

否、そんな事は如何だって良かったのだ。





話し終わるか終わらないかの内、毛布は静かに上下し始めた。
そっと差し出され置かれた手、
撫で摩りながら呟かれたガーベラの言葉は、見守る事しか出来ない痛みでもあって。


「リンファちゃんは強い……、強くならなきゃ、いけなかったのね。
 だけど……、こんなに小さい。」
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2012.02.03