林檎に牙を:全5種類
此の国の秋は訪れるのも早いが、息が白く染まるのもまた早く。
青に混ざる冬色の濃くなっていく空。
高い陽が降り注ぐ熱は弱く、全てを撫でる風は日々鋭くなりつつある。
まるで、また一つの年が暮れ行くのを嘆くように。

だが、まだまだ支障をきたすと云う程の寒さではなく。
冷えた風だって時には気持ち良い。
其の中へ滑るように消えていく、紫煙が一筋。


腿の辺りまでの壁、クロスが腰掛けても充分安定する。
停めた車のドアにぶつかって砕け、煙の塊は砕けては風に溶けた。

しかし休息の時だけに喫う煙草は、今日はやけに苦い。
喫煙をする為ではない、
別に望んで此処でこうしている訳ではない。
リンファに付き合っているだけ。

助手席に居た時よりも彼女は不機嫌な表情。
車から降りたと思いきや、其処から動こうとしないのだ。


伸びた細い指先は、ふいに。
一本盗むと子供の顔のままリンファも煙草を口へ。
咎めようとした刹那、
逆らえないほどの力で襟首を掴んで、引き寄せられる。


触れ合った紙束の先に、小さな赤熱。

彼女の咥える煙草が音も無く舐り、焦げていく。
しっとりと、慣れきった仕草で。
口付けのような移り火。


紅は塗られずとも、ぽってりと艶やかな唇で咥えて。
毒を吐き出す為に一旦離して、苦味を覚えた舌先を覗かせる。
こんな深く緩やかな呼吸など煙草の時くらいだろう。
溜息は辞めたから。


「……気ィ済んだか?」
「もう少し。」
「お前、やっぱりガキだな。」
「自分で解ってるわ……、そんなの。」


向かい合うが早いか、含んだ煙をクロスに吹き付ける。
咳き込む彼に悪いと思いつつ。
苦い涙を浮かべるのを見て、大袈裟ね、と呟いて。


「ごめん、タダの八つ当たりよ。」


小さなパンプスがひらり宙に。
軽やかに固い地面を叩いて、舞い降りた。

小気味良いリズム、踵の高い靴音は一歩一歩が響いて儀式めく程。
背が低いのを気にして履いているようだが、所詮は紛い物。
クロスと並べば差が際立つのは然程変わらない。
従うようにすぐ後ろを歩く彼が、今は心強いのを少し認めた。


目の前にあるのに、踏み入れるには重すぎる扉を開けて。




「いらっしゃい!」


近付く足音を聴き付けていたんだろう。
扉を開いた瞬間、飛び出して来たミオに抱きつかれる。

「リンちゃん、もう身体って大丈夫?」
「ええ、すっかりね……お招きありがとう。」

此の出迎えはもうほとんど恒例か、リンファも慣れたもの。
自らも、緩く持ち上げた両腕を巻き付けて見上げる。

軽く吹いたトワレは瑞々しい果実の甘さ。
家事と仕事で柔らかい傷の手。
メリハリの効いた肢体にはニットとエプロン。
すっかり若奥様の顔。

背後に立ったままの男は、やはり口を結んで甘味の無い表情。
だが、其れは「相変わらず」では無く。
近しい者にしか解らぬ程ほんの微か、憂いを瞳に。


「ほら、クロさんも入って入って!」
「いや……こいつ送って来ただけだ、すぐ帰る。」
「えー、何で?」
「俺が居ちゃ、茶飲んでも美味くねェ奴も居ンだろ。」

ああ、其れは確かに。
開き加減の居間のドア、後姿を見受けて納得した。

今日はリンファの他にも客人は2人、
アイヴィの向かいには白衣を脱いだガーベラ。
髪を下ろし、黒いロングワンピースを纏うと印象も柔らかくなる。
とは言え、クロスとは和やかに茶を啜れまい。
元々そんな仲ではないのだ。

気付かれぬうちに、そっと閉じる扉。
エンジン音を聞きながら見送って、振り向いて、にこやかに。

「やっぱり仲良しさんねー、リンちゃんとクロさん。」


ねぇ、


それは、寧ろ貴女の方なんでしょう?
私達が仲良くしていて欲しいのは、
嬉しいのは。
言葉は音と響かず、リンファの喉の底に落ちる。



「ああ、リンちゃんいらっしゃい。」
「……お邪魔、します。」

席に着いて、目が合ったのは家の主。
30を幾つも過ぎていない男性に生硬く会釈を。

人にとって眩しい10代20代を越して、年齢に腰を落ち着けた空気。
首の後ろで束ねた長髪は、まだ黒一色。
返したラングの微笑う瞳、
其れは飽くまでも柔らかくて、リンファの胸に刺さる。


お茶を淹れるミオの手、左の薬指に絡む、細い銀色。
そして右の手首にも小さなガラス球の光るチェーンの銀色。


いつぞやだったか結婚前、リンファが贈った物。
あまり高価と云う程では無いが、以来ミオは大事にしていた。

テーブルの上で涼やかに舞う、装飾品と婚姻の印。
片方は長い袖に見え隠れ、だがもう片方は幸福を主張して燦然と。
見るに耐えられず目を伏せた。
刻まれる苦しさは和らいでも、まだ完全に昇華した訳でなく。

「リンちゃん?やっぱり具合悪い??」
「んーん、違うわ……」


手を止め、否定するリンファを覗き込む。
至近距離にミオの顔。
かつて前髪で遮っていた、桜色の双眸。

それは色素異常の者の瞳。

ミオが抱いている劣等感は、此れこそが。
密通を疑われた母親に捨てられ、人魚として稼いだ起因。


彼女にとって忌まわしい瞳を隠す為に長かった淡い栗色、
今は柔らかに乱されて短く。
晒す事が出来るようになったのは、主人と逢ったからで。
分かち合う物も、喜びも、前まで其れは全て自分とだったのに。
共に人魚だった頃を思うと苦味のある気持ち。

だが、その時はミオにとって本当の幸福でなく、
ましてや自分が幸福に出来る筈もなく。



「熱ーッ!!」

カップを啜ったアイヴィ飛び退く勢い、舌を灼いて涙目。
ピアスを揺らす金髪に翠の瞳、
母子だけあって、先日会ったばかりのDr.ジャスミンとよく似ている。

しかし、もう10代も終わる彼には落ち着きが少々欠ける。
困ったように笑いながらもガーベラは心配そうに。
此の2人には「恋人」の甘い響きよりも、「従姉弟」の方がまだ強く。
流石に、ミルクの匂いは間に無いものの。


「痛ー……、ちょっと火傷しちゃった。」
「気を付けてよ、もう……本当に小っちゃい頃と変わらないんだから。」
「唇に当てて温度確かめなきゃ。慌てて飲んじゃいけませんよ。」
「アイさん大丈夫そうね、それよりお腹空いちゃったわ。」
「あ、そうね!ちょっと焦げたけど……、そろそろケーキ切ろっか。」


木苺ジャムのバターケーキはやや濃い焼き色。
大きな皿にどっしりと、テーブルの中央で。

ミオの手首の色彩が涼やかに揺れて、振り下ろされる銀色ナイフ。
ふわり、香ばしい甘みが空気に混じる。
煮崩れたベリーは流れ、白い皿に深紅の雫を落として。


切り分けられたケーキにリンファも握ったフォークを突き立てた。
端の焦げ色、温度の高い酸味と混じる。
次いで飲み干した紅茶の甘さが胸に染みて、溶けて行く先程の煙草の味。
目を閉じて、静かな感情も味わう。
スポンサーサイト

2012.02.03