林檎に牙を:全5種類
先程までの酒場の喧騒は止み、今宵も此の刻を迎えた。
窓も無く静まり返った薄闇の広間の中。
眩しい程の灯りも、客の視線も、其れは全て中央の舞台だけのもの。

真っ直ぐと細い影が伸びる。


肩先で揺れる褐色の髪、灯りの許に晒されて飴の糸のように。
端正な顔立ちをしているが、瞳はあまりに静かで表情に変化が無い。
一瞥だけでは少女と判らないであろう。

肌を隙無く包むのは黒いパンツスーツ、女性的な曲線は浅い。
華奢でも少年のような硬さが覗くシャツの腕、人形を抱いている。

少女が身に纏うモノトーンの中、血を一滴落としたような色彩。
人形の深い紅をしたワンピースドレスは映える。
同じ色の帽子と零れ落ちる金の巻き髪。
大人しい顔に藍色の瞳、ガラス球は時折揺れ動いては瞼が伏せた。


「皆さん今晩は、ジュリアン・ヴァームスです。」
<待ってよー、私の事忘れてなーい?>
「そうだったね、ご挨拶して。」
<はーい、ベティ・A・クラウンですっ!>


柔らかなアルトで少女が言葉を発せれば、人形は甘いソプラノで続ける。
腹話術なので耳を澄ませば声の色は同じなのだが、まるで別物。

人形とは、其の名の如く『人を形取る』もの。
歯まで覗く少し開いたベティの口は本当に喋っているようだ。
一方、持ち主の筈のジュリアンは彫刻のように眉一つ動かさず淡々と。
どちらが人形だか。


しかし、底知れぬ妖しさに人が惹かれるのも確かであり。
何処か倒錯的な艶は酒の効果も相まって、此の店の花形と言えた。

今でこそビスクドールとは子供の為に作られているが、そうそう手は出せない。
上流階級の温室で育つ少女の玩具であり高値。
20、30万は軽く吹き飛ぶであろう。
こんな街の酒場に居る事自体が奇妙なのであって。


実際、ジュリアンの仔細を知る者は何処にも居ないのだ。
相棒を抱いてふらりと店に現れたのは、いつの事か。
店主の前で披露してみせ気に入られて以来、此処で舞台に立ち続けている。
当然ながら、何故ビスクドールなど高価な物を持っているかも判らず。
しかし、謎だと言われているのは華あってこそ。

謎とは即ち、知りたがる者が居てこそのもの。
誰も興味を持たなければ「如何でも良い」との言葉で片付く。
魅力の一つとすれば、惹かれる者は離れず。



苛つき混じりに吐き出される紫煙。
舞台の袖、薄闇を茫洋と濁らせて板張りの床に灰を零す。
ジュリアン達の前、長い指でトランプを自在に操っていた手品師だ。

吊り気味の目は眼鏡越し、舞台に向けようともせずに。
面白くないと感じているのは誰よりも彼だろう。


『スペードのジャック(王子)』の通称を持つが、もう彼とて三十路。
華やかなショーを愉しむ為の酒場。
長く舞台に立ち続けていたが、新しいエンターテイナーは次々に現る。

ジャックがどんな魔術を披露してみせようとも、いつまでも満足しない。
質の悪い酔っ払いなど、種を見せろと野次まで飛ばす始末。

黙れ、と其の度に怒鳴りそうになるのを抑える。
世の中に於ける不可思議など、全てトリックがあってこそなのだ。
解っているならば騙されていれば良いものを。



「さて、今日は如何しようか?」
<ねぇねぇジュリアン、お話して!聞きたい!>
「そうだねぇ、こんなのは如何かな……」
<うんっ!>

前置きは其処まで、ジュリアンの唇は物語を始める。
静かに響き、詩のように流れて行く。


昔々、深く愛し合っていた男女が居た。
ある時、男は「妻に欲しい」と彼女の父親に申し出る。

其の父親は酒浸り、
代わりに働かされていた娘の手は年中傷だらけ。
収入源が居なくなる事を恐れた父親、頭に或る考えが浮かぶ。


「お前の家の薔薇を全て赤くしろ、遣り遂げれば望みを叶えよう」


彼の庭に咲く薔薇は雪のような白。
難題を突き付けられた男は困り果て、家に閉じ篭るようになる。
そんな事が出来る訳が無い。
其の答えなど元から存在しないのだ、そう鼻で嘲笑う父親。
しかし、暫く後で突然と姿を消す。


一人きりになってしまった娘に頼る者は居らず、途方に暮れる日々。
そんな中、扉を叩く音。
父親でないかと怯えながら開けば、其処には恋人。


連れ立って辿り着いた先は男の家の庭には。
咲き誇る、紅い紅い薔薇。

跪いて彼女の手を取り、其の前で永遠の愛を誓い合った。




「貴方のお陰です、ありがとう」


彼女には聞えなかった、男の感謝の囁きは密やかに。
薔薇の根元、其の下に冷たく横たわる『彼』へ。

花に血を与え紅くしてくれた、花嫁の父。




「とても良い話だったね。」
<うん、「人の恋路を邪魔する奴ぁ馬に蹴られて死ねや」って言うもの!>
「それもそうだね。」
<でも、今日来てるお客さんは如何だったかしら??>
「じゃあ訊いてみようか、はい、其処の人。」
<前の席に座ってる髭のおじさん!ビール呑んでる貴方よっ!>

舞台からしゃがみ込まれて目線はほぼ同じ位置、
しかし、やはり見下ろされる形。
思わぬ指名に、危うくディランはビールジョッキを落としそうになる。

欺くして診察後の一杯は中断された。


口許の泡を拭うのも忘れ、ディランはたじろぐのを必死で抑えていた。
正面からはジュリアンとベティ、背後からは周りからの視線。
振り返らずとも、其れは間違いなく感じる。

先程までは自分も客だったのに。
今はこうして、観られる対象となってしまっている。
ああ、鬱陶しい……
此処は簡潔に行く事を選択した。

「感想も何も……お前な、おっかねぇとしか言えないだろ、オチのとこ。」

「そう?じゃ、他に如何すれば良い?如何やって赤くするの?」
<3、2、1!はい、答えをどうぞ!>


正直者と云うのは時に損をするものであり。
余計な事を口にした所為で、其れは次の問いかけの火種となる。
ディランが首を傾げて導いた答えは、


「あー……、紅く塗る……?」



「誠意が無いね。」
<……最低!>

手を添えて囁き合う演技まで付けて。
途端に店中で沸き起こる笑いと拍手、ディランには肩身が狭い。

却って気持ち良い程に遠慮容赦の無い言葉、
其れこそが『エピス・エ・ミエル』、彼女達の通り名は蜂蜜とスパイス。
人形を抱いた少女と云う甘い姿でも辛口。


「すんませーん。ジュジュちゃん、俺も言って良い~?」

挙げた手をひらひらと振る、赤い髪。
椅子から身を乗り出すバノックは鶏の骨を咥えたまま。

「それじゃ、赤い髪のお兄さん。」
<お答えは?>


「燃やす!」


解答は一言、胸を張って。
心なしか耳の上で結い上げた赤い髪もまた誇らしげ。
マイク代わりに構える鶏の骨、理由を述べる。

「おとっつぁん『赤くしろ』て言ったんだろ、火ぃ点けたら赤くならん?」
「成る程ね、薔薇が燃えるの綺麗だし。」
<はーい皆さん、赤い髪のお兄さんに拍手ーっ!>

片手を挙げたバノックの満面の笑み。
お陰ですっかり解放されたディランは、ジョッキを持ち直した。



「おじさん、さっき此処で煙草喫ったでしょ?」
<煙かった!>

客に会釈したエピス・エ・ミエル、ショーは一時幕を閉じる。
袖へと帰って来た花形の抗議。
とうに火の消えていた煙草を握り、ジャックは面倒そうに。


「おい、煙草くらい自由に喫わせてもくれないのか?」
「違う。此処で喫うなってだけだよ?前にも言った筈なんだけど。」
<仕方ないかもね、憶えられないもんね、おじさんの頭じゃ。>
「お前に言われたくねぇよ、『馬鹿(ベティ)』って名前してる癖に。」
「ベティは『Betise(馬鹿)』じゃなくて『Betty』だよ?」
<馬鹿は貴方よ、おじさんっ!>

其の時、別方向から大きな咳払い一つ。

綺麗なワイン色に染めた髪は舞台袖でも目立つ存在。
背にした舞台から零れる灯りに煌めかせ、呆れに両腕を組む。


「アンタ達ねぇ……仲良くしろとは言わないけど、いい加減にしなさい。」

華のある顔立ちだが、眉を顰めてみせるトリエスティナには凄みもある。
長身で締まった身体には黒のドレス、30を少し越しても女盛り。
人形遣いと手品師の攻防に、歌姫は頭を抱えた。
此れも『いつも』の事。

「お客さんにも喧嘩してんの聞えるでしょーが、みっともない。」
「喧嘩じゃないよ。ねぇベティ?」
<そーよトリエスティナちゃん、批難してるだけ。>
「苛められてんだ、俺が!」


効果の無さに溜息を吐くが、後に弾かれるように顔を上げる。
一転するヒール、少々慌しく床を叩いて舞台へ。
響き渡る音楽にドレスを揺らし、トリエスティナが一斉の拍手を浴びた。

勝気な笑みに唇を解いて、歌を紡ぐ。


高い位置で結った長い髪と歌声、其れは共に艶めくような紅。
旋律に軽々と躍らせ、透き通る。
上等な酒のように強い香りを残し、客を酔わせて。




そっと抜け出た舞台の端。
酔いの回り始めた客席に降り立ったジャックの足は、一点で止まる。

顔半分を覆い隠す眼帯。
其の上に更に掛かる、淡い金髪。
周りから離れた席に一人腰掛け、何処も観ず、何も聴かず。

ロレンは黙ったまま懐から櫛を覗かせ、彼にだけ見せる。
傍ら、只のフェイクで置かれただけの杯。
口も付けられず既に温く。
酒を煽りながら商談などする訳にもいくまい。

ジャックの手の中には鏡、
一つ頷いた仲介人の姿を映すと、向かい合って席に着く。


娼婦は男の腕で泳ぐ人魚。
そう表すならば、櫛と手鏡、此の二つもまた快楽の象徴。

櫛は買い求める者、鏡は売る者。
此れは人魚の娼売買時の合図に用いられる。
即ち、ジャックもまた仲介人。
地を歩く娘達の脚を鰭に換え、人魚にするのがもう一つの仕事。




トランプは自分の全てでは無い。
酒場の舞台の上だけで、人生を終わらせるつもりも無い。
泥水稼業に手を出したのも、もう今更とも云うものだろうか。

人魚となる娘を連れて来るのは、決して容易い事とも言えないけれど。
罪悪感など麻痺してしまっている。

物心ついた頃から、他人の懐から掏り取った財布は数知れず。
貧しい生い立ちを過ごした者など何処にでも居る、
生きる為には金あってこそ。
流石に此の街に来てからは、そんなつまらない罪など犯さないものの。


どんな言動にも表情を変えないジュリアン。
しかし、客を愉しませると云う姿勢に措いて彼女『達』は真摯であり。
だからこそだろう、自分と合わない事は充分に承知だ。
店に来てから嫌と言う程に思い知った。

表情を持たないジャックは俯いて呟いた。
此れは堕落ではないと、声無く。
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2012.02.03