林檎に牙を:全5種類
「随分と長いのねぇ、あんたの『少し』って。」
「あァ、もう夜か……悪ィ。」



寝起きなので低い声は普段以上に掠れ、引き絞るような音。
投げて寄越したシャツを緩い動作で羽織ると、上2つだけ残してボタンを留める。
此方を見る眼を気怠く擦って。


「ご飯あるけど……、待ってて、温め直してくるから。」
「いや……、折角だけどな、」
「食べなさい。」
「…………強制か。」

そのままで良いから、と制してシチューの皿を渡す。
今まで毛布の下にあった、硬く骨張った手はやけに汗ばんでいた。
こっちは温めるのに苦労してたのにねぇ。



まだ少し力の入らぬ手でスプーンを握り、シチューを口にする。
くすんだ銀色が皿を叩いた音は硬く。


「今日は随分と心広ェな……、」
「如何云う意味よ。」
「分かってンだろ、お前。」
「あー、其れは違うわ。枕に涎垂らしたら蹴り落とそうと思ってたもの。」
「……おっかねェ。」

あァ、この娘ならやるだろうな。

冗談だけでは済まない其れに苦笑して、人参に歯を立てた。
今まで誉めたりはした事はないものの美味いと思ってない訳じゃない。
特別な言葉など、ただ彼女を驚かせてしまうだけだろう。
自分がそう云う男だって承知しているから。



「はい、お茶。」

受け取って一口、の前にクロスが顔を顰める。
憶えのある香り。

「……あのな、俺は此れ飲めねェって前も、」
「如何って事ないでしょ、ミントティーくらい。」
「よく好んで飲めるよな……、こんな薬みてェなの。」
「クロのピラフよか全然マシよ、いっつも生姜入れ過ぎ。」

残すな、と押し切られたのは最初から決まっていた事、
恐る恐る熱いカップを啜る。
きっと相当苦い顔していたのだろう、リンファの唇が微笑に解けた。

「すっとしたでしょ?」


母親でもあるまいに。
まぁ、柔らかい清涼感は決して悪いものではないものの。
喉を流れて行った液体其の物は少々熱かったが後味は冷たく、何だか妙な気分。
……やっぱり好きにはなれねェな。

胸を満たした其れが駆け上がり、唇の隙から零れ落ちた。



「…………帰りたくねェ……、」

含む程度の独り言だったが、リンファは瞬きしながら振り向いた。
無意識で口をついてしまった言葉、実際驚いていたのはクロスの方だった。


「其れって普通、女が吐く台詞よー?」
「馬鹿、『そう』云う意味じゃねェ。」
「本当かしら、」
「……あァ、何でもねェ、忘れろ。」

誤魔化して起き上がろうとしたが、それは叶わなかった。
毛布の上から腰を押さえつける両膝。


「腕枕してあげよっか?」


質の悪い夢でも見てるんじゃないかと思う、彼女の行動も言葉も。


「退けよ、帰るっての……」
「私は寝る時間なの、クロだってまだ寝足りないでしょ。」

此れは仕返しのつもりだろうか?
もしそれで此方が本気になったら如何するつもりなんだか。
多分ふざけ半分だろう、とは思うが。

胸の上へ斜めに乗った小柄な身体、細い腕は首に。
これは離してくれそうもない。
床での組み手はリンファも得意分野。
何処に重心を掛けて押さえれば動けなくなるかなど彼女は知っているのだ。


「寝起きにこう云う事すンじゃねェよ……冗談過ぎるぞ、お前。」
「いいわよ、襲っても。」
「……むしろ今、襲われてンの俺の方だと思ンだが。」
「なら大丈夫。私はただ此処で眠たいだけだから。」
「大丈夫なのか、其れは……」


「…………それに、なんか寝てる間に終わりそうだし。」


んな事言うンじゃねェ、堪え性くらい有る。


女に興味無いのなんて病気だ、と赤い髪の男に叩かれた軽口を苦く思い出した。
そりゃあ皆無ならそうだろうけど。
……放っとけば治まるモンだし、仮に当たったとしても。


ゆるゆる碧の眼を閉じて、お休みと欠伸混じりに小さく言う。
あまりに子供染みた呑気な声、動揺の落ち着いた今に感じる事はただ体温の心地良さ。



あァ、もう好きにしろ。



そう諦めて反抗する腕を投げ出せば楽になる。
未だ残っていた疲れが眠気となって、待っていたかのように再び瞼を重くする。
其れに逆らう術も理由も何処にも無く。


寝入りばな、やっぱり病気だと言う声が聞こえた気がした。
喧しいと舌打ちで追い払い、毛布に潜る。

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2012.02.03