林檎に牙を:全5種類
紅茶は薄味だったが、匂いも飲み心地も落ち着いたもので溜息が出た。
器の中で艶めくチョコレートと食べ合わせるにも丁度良い、
啜った紅茶の熱で一粒を緩やかに味わう。
舌先に馴染んだ物なのに、徒や疎かに齧ってしまうのは勿体無い気がして。

陽射しは柔らかく、猫が丸まってしまいそうなほど。
ティータイムには打って付けの午後。



「んーとぉ……、「女王様とお呼び」って鞭振るうアレ?」
「あら。場馴れしてる人には命令しなくても、そう呼ばれるわよ。」


そんな中でただ一つ、
バノックとリンファの交わされる言葉は、其の和やかさに不釣合い。
まどろむ猫も顔を顰めて逃げてしまうだろう。


此処での談話はいつでも可笑しな方向へしか進まない、進めない。
場所が連れ込み宿だと云うのが悪いのだろうか、
現に彼らの頭上、2階では数十分前に入室した客がベッドを軋ませている。
とは云えど2人とも聞いてはおらず気にはしていない。
そんな事は問題ではないのだ。

先程までのバノックによる白衣萌えの語りは一段落、今はリンファの番。
湯気立てる紅茶を啜って開いた口、
始まった話とはなかなかに過激なものだった。


彼女が選んだテーマは、加虐と被虐。
ピンヒールの足で大の男を相手にする時の心境だ。



身体だけを提供する人魚は、いつでもただ横になっている訳じゃない。
リンファも縄と鞭を扱うようになったのは、いつからか。

素っ気無い記憶しか無いが、何事にも理由を付けなくてはならない必要なども無いのだ。
「抱かれる」よりも「抱いてあげる」に近い仕事で稼いでいた彼女の事、
責めるという行為には元より馴染みがある。

仔細は端折るものの他の人魚の指導や実践あって手が覚えた。
決して楽ではない事だが、口で気持ち良くさせてあげるよりも安全かもしれない。
あれは経口感染なんて怖いものが潜んでいる。
少なくとも、女王になるだけならば血液検査も受けずに済むのだ。


人魚にとっての仕事は愉しむものではない、それは此れも同じ事。
とは云えども、根本のSMは性行為とはまた違うもの。

気分を高ぶらせるものは優越感とか加虐心とか。
リンファ自身も愉しんでない訳でもないものの、飽くまでもそれなりだ。
客が体液を吐き出しても、単なる排泄としか冷めた目に映らない。
名誉や体裁を捨てた姿を曝け出しても、男が従属するのは其の場限りのものだからか。
だが、支配するには此方も威厳を持って接せねばならぬ。

恥じ入る部分が透ける下着、髪を纏めると表情も引き締まる。
ガーターベルトを吊った脚にピンヒールは攻撃的。


黒い革の衣装は、グレープフルーツを並べたような乳房の人魚に任せる物。
多少薄い身体でも、やはりそれなりに熟れた身体の方が良い、
十数年しか生きてない小娘にボンテージは似合わない。
それに、用意するとなると値が張る。

いつぞやか酒の席でコーニッシュに頼んでみた事もあった。
裁縫の得意なんでしょ、と。
「勘弁して」、情けない声で彼が摘んだチーズを皿に戻したのを憶えている。
呑み過ぎだって苦笑しなかったのは、素面の時にも言ってくるかもしれないと踏んだか。
リンファもあんな冗談よく口から出たものだと自分で思う。
今でも記憶があるくらいの酒量だったのに。

男が手作りした衣装着た女王様?
笑い話にしかならない。


その格好で腰を下ろしたリンファのヒールの爪先が、顎を持ち上げるのが始まり。
情けない様で床にしゃがみ込んだ男は、性器すら隠そうともしない。
ある時は手枷と目隠しなんてのも。
視界を塞いだ布越し、此方を見上げる目が期待に満ちているのが手に取るように判る。

ストッキングの脚にむしゃぶりつかれ、細い踵で踏み付けて。
両者とも形は違えど此れは奉仕精神。


セックスなら自宅へ向かう事も多い。
だが、此れを所望する客は絶対に人魚を呼ばない。
その代わり其の浅暗い場所へ一歩踏み込めば、どれだけ地位ある富豪すら奴隷になる。
今まで大勢の人間を傅かせて従わせてきたんだろう。
大金払って虐めて欲しいと懇願するのだから、人と云うのは判らない。
それも、スラムで生活に困っているような少女に。

高い場所とは酸素が低い、息が詰まるって事だろうか。




今日は言葉で表せて何だかすっとした。
こーゆー話なかなか人には出来ないものじゃない?


一通り喋って満足したのかリンファが小さく伸びをしながら言う、緩やかに。
それじゃ、自分はある意味特別なのかとバノックは苦笑しつつ。



「モルダーは?」
「仕事内容の話、あんまり聞きたがらないもの。」

「ミオちゃんは?」
「枕営業だけで、こんなの知らずに卒業したわ。」

「レジャンスの若旦那は?」
「……聞いてくれそうだけど、何だか嫌。」


「あんまり想像したくないけどねー、男が四つん這いになったり玩具使われたりって。
 全然知らんかった世界だから話としては面白かったけどさ。」
「私にとってはバノックの『萌え』とやらも同じよ。」

いつもは砂糖を溶かす紅茶、何も加えずにリンファは飲み干した。
辛口の話には甘味を断つ。
テーブルの上で呼ばれない出番を健気に待つシュガーポットとチョコレート、
哀れに思ったか、バノックだけは義理のように一粒。
場の雰囲気と胃が直結しているならば、とっくにもたれているだろう。


「あー……、まぁ『ヤれなくても』ってのは、ちっとだけなら解るけど。」
「ええ、奴隷の汚らしい物如きで啼く女王様なんて居ないわよ。」
「でもやっぱりソレはつまらんと思う、俺は奴隷向きじゃあないね。」

そうね、と肯定されて密やかにバノックは安堵した。




「虐めたら愛情持って接しなきゃ駄目よ、此れはベッドでも同じ事が言えるわ。
 ちょっとキツめに責めたら頭撫でたりとかね……」


衣擦れの音もなく悠然と脚を組む、長いスカートの下。
再び語るリンファは女王の顔を覗かせて。
それに気付いていた聞き手、恭しく彼女のカップにお代わりを注いだ。
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2012.02.03