林檎に牙を:全5種類
いつもより少しだけ速度を落として歩く。
大事に抱えたクリームの塔が機嫌を損ねぬように。

リンファが抱えるバッグの中には、ケーキの箱。


少し遠出をした午後、長い帰り道に空きっ腹はとても耐えられない。
そんな時にケーキ屋の前を素通りなんて出来る訳が無く。
鮮やかに熟れたフルーツタルト、しっとり焼けたチーズケーキ、艶々のチョコレート。
飴色に輝くナッツや、ミルクを香らせる卵色のクリーム。
ショーウィンドウ越しに甘い誘惑。
無駄遣いは避けているのだが、今日は空も懐も暖かくてつい緩む。
散々迷って、林檎のミルフィーユ。

此れは此れで家まで耐えられず、家と逆方向の角を一つ曲がる。
ちょっと座る場所とお茶が欲しかったから。
「aventure」の宿はもうすぐだ。



「おー、リンリンらっしゃい!」
「奇遇ですね、嬉しいですv」
「私とっては違うわね……、予測は出来てたもの。」

塞がって不自由な手で事務室の扉を開ければ、やはりと云うか先客。
コーヒーのカップは二つ、
赤い髪の主人と、何も変わらない笑みを見せるカルロ。
其処に驚きは無い辺り、本音か如何か疑わしいとリンファは軽く言葉を返した。


此の二人が仲良いと知った時は、少しばかり驚きつつも妙に納得したものである。
カルロの毒が利かないのはリンファが知る中でバノックだけだ。
判っていても、歩き疲れた足は椅子を求めていたし早く食べたかったから。
例え、取り分のケーキが小さくなっても。

そうだ、別に彼に会いたかった訳では、ない。
誰に対してでもなく胸の中で呟いた。



「今日は両手に花だねぇ、俺も嬉しいー。」
「じゃあ、もう一人増えたらどうします?」
「んー、頭に飾るかね。」
「バノックはいつも頭に花咲いてるようなものじゃない。」
「アレ、リンリンてばどっちの意味ー?」
「両方よ、本当に髪に花つけてる時もあるし……」
「ああ、あれ可愛いですよねv」
「ハニーがやってくれんの。ん、何だ今日はケーキの日かぁ?」

リンファが箱を出すと、バノックの驚いた顔が輝やいた。
既にテーブルの上にも先客。
皿に寝そべった、食べかけのシフォンケーキが二人分。
さすがに此れは予測不能。

こう云う偶然ならば在り得なくも無いが、まぁ良いとする。
ケーキは幾らあっても歓迎らしいから。


「……ねぇ、バノックって一日中お茶してる気がするんだけど?」
「んなこと無いよ、俺ってばちょービジーよ?会計とか追われててさー。」
「肉体労働のシオンさん達の方が大変じゃない。」
「俺だって空き時間作ってやってるって……あ、コレ美味いわぁ。」

喋りながらも手を動かすのは忘れていない。
バターが香ばしいパイ生地が崩れれば、優しい甘さでクリームが溶ける。
間には煮詰めた砂糖の苦味。
透き通ったキャラメリゼの林檎を噛み砕いた。
ささやかでも何とも言えない幸福感には思わず溜息も零れる。
しかし、水を差す物が一つ。

じ、と無言のままで此方を見遣るカルロ。


「何、よ?」
「すみません、リンファさんの分無くて……」

何に対しての謝罪かと思えば。
意味を図りかねたが、彼が横目で見遣ったのはシフォンの方。
ああ、そう云う事か。


「別に要らないわよ……、ケーキなら一個で充分。」
「じゃあ一口、なら要りますね?」

言うが早いか、ごく自然にカルロがフォークを差し出す。
先にはシフォンケーキの欠片。
口付けるように唇に触れて、リンファが口に含むのを待つだけの距離。

……なんて自分勝手な解釈。


呆れ半分、吼える勢いで噛み付いた。
柔らかいくせに舌先を押し返す弾力は、ふわりと卵の味。

「美味しいですか?」
「んー……、」

肯定も否定もしようとはせず、曖昧な返事。
口に物が入っているからだけではない。
そんな心情をカルロが見透かしているのかは不明瞭だが、極上の笑み。


「いやん、なんか俺がドキドキしちった。」
「何でバノックが照れてるのよ。」

味なんてほとんど判らないままに喉へ押し込む。
あまりの甘さに胸焼けでもしそうだ。
ブラックコーヒーも気休めにならないほど。
多分、甘ったるさを感じているのは舌先ではなく気持ち。
気付かない振りで、リンファは今度こそ自分のフォークを握り直した。
頬を染めるほど可愛くはないのだ。



午後の陽光に晒された、隠し切れない感情と素顔。
まだ明るい空も、少しずつ風に冷たく薄闇を混ぜ始める頃。
リミットは静かに近付く。

それぞれの夜の顔など、今は何処にも見当たらなくとも。
スポンサーサイト

2012.02.03