林檎に牙を:全5種類
此処に音楽と貧しさと寒さ以外に何がある?
周りから隔離された国、
余所者のカルロが何も考えず出した答えは、「虚無」だ。


風の冷たい季節はだらだら流れ、気付けば此の国に来て最初の年が今日で終わる。
本来ならばもっと騒がしく締め括るべきなのだろう。
だと云うのに、この静けさは何だろうか。
年の終わりから始め、自分が生まれた場所では半月は祭りが続いていたのに。
赤い服を着た夜の訪問者も、こんな貧しい街には来る訳が無いのだ。
異文化にも信仰にも疎いのだから当然か。

休日でもなく、特別な事もなく。
何も変わりは無く今日も仕事で駆けずり回っていた。
ああ、其れは娼館で下働きの時代からだったか。

イベントらしい事もあるにはあるものの、やはりそう派手な物ではなく。
時計の針が12を指した瞬間、夜空に花火を上げて周りの人々とキスを交わすらしい。
此の国にも文化らしき物くらいはあったと云う事か。
何にせよ、やはりカルロには関係ない。


「じゃ、何でこんな所に居るのかしら?」


体温を奪われそうなほど冴えた夜の中、聴き慣れた声が白く浮かぶ。
闇を梳いた色の髪と左だけ冷たく光るピアス。
逃げもせず、ただ其処に。

せめて花火くらいは愉しもう、
家路を急ごうとした筈の車、気紛れに少し遠回りして今は高い橋の上。
寒い中で新年を待っていたのは一人ではなかった。
まさか年の最後に彼女に逢えるなんて。
運転席に収まったまま、窓ガラスを下げて小柄な背中に言葉を返す。

「……リンファさんこそ。」
「私?まぁ、そこはアンタと同じね。単に花火見たかっただけよ。」
「こんな寒い夜に外出するのは好まないと思ってました。」
「そうね、でもどうせ特別な事なんて起きないもの。」
「助手席来ます?少しは暖かいですよ。」
「襲われたくないから遠慮させてもらうわ。」
「信用無いんですね、僕。」
「当然じゃない?」

苦く笑った瞬間、夜空を駆け上がった鋭い音。
時計を見逃してしまっていた。
木々の影の向こうに打ち上げられた種が大きく弾け、金色の花。

冷たい空に光が舞い踊る。
続いて、遠く離れても耳に届く大きな歓声。


始まりだ。


数分前と自分自身は何も変わらなくとも、もう同じではない。
一つの年の終わりと、目覚め。
次々に咲き誇る花火は果てる事など知らないようだ。
漆黒の夜を華やかに彩っては降り注いでいく、鮮やかな光。
寝静まっていた全てを明るみに晒す。

暫く意識は空へ向かっていたが、幾度目かの花火で少女の方へと変わる。
不意に、背を向けていたリンファが此方に寄って来たのだ。
忍び足を思わせるような緩やかさで。

窓の縁に頬杖をつくと極めて至近距離、
立ち込めた闇は透明になる。

「風習知らないの?」
「襲われたくないんじゃなかったんですか?」
「訊いてるだけよ。」
「……判ってて言ってますね、リンファさん。」

それでも碧の瞳は瞼を閉じる気配などさらさら無く。
何故だかカルロには居心地悪い。
思わず視線を落とせば、意図の掴めぬ言葉ばかり発する唇。

どの記憶の彼女もささくれ立っている事は無い。
今も、荒れて乾いた外気の中だと云うのに艶やかなまま。
口紅で形作られてはいない柔らかな質量感。
瑞々しい薄紅はリップバームに潤む血の色か。
薄皮一枚、尖った舌先を刺しただけで容易く破れてしまいそうだ。

甘い事なら知っている。
『あの時』早急に食べてしまったのが惜しまれる、今更。


「はい、時間切れね。」

花盛りの終わり。
火薬の匂いで煙るだけになった空を背にして言葉が響く。
触れる事は、出来なかった。

「キスして欲しかった訳じゃ、ないでしょう?」

此の一連の違和感は彼女に対してか、自分にか。
無粋を承知で投げた問いは掠れていた。

「どうかしら。私もね、ちょっとだけ興味あったからよ。」
「と、言いますと?」
「大義名分で堂々と誘うか、私にはもう興味無いか、どっちかと思って。」
「……しなかったのは後者じゃないですよ。」

しかし、其れもきっとリンファの内で予想外でもなかったのだろう。
曖昧な返事をして、共に無言。
挑発を仕掛けた体勢から腰を上げたリンファは、もう此方を見ない。
確実に虚勢が混じっていたのは判っている。
どれほどの割合なのか、其ればかりは定かではないものの。

いつまでも抵抗できない小娘ではない、
きっと、そう云う事か。

「新年おめでとう、おやすみ。」

去り際に付け加えられた祝詞。
それこそ吹けば飛びそうなほど、軽く。
返すのも忘れたカルロには見送る事しか出来なかった。


「…………ぁー……、」


呻いた後、呟かれた言葉は声とは響かず。
今更、何を躊躇う必要があった?
どうも調子が悪い、
こんな事など今まで無かったのに。

あれは、皿の上に綺麗に並んだ桜桃ではない。
食べたいと思う前から差し出されているような物ではない。

欲しいのなら、牙を立ててでも。


去年と今年の間、あれはもう古い刻。
次に迎える時は惜しい気持ちで振り返る事などしないだろう。

輝かしい花の色は褪せてしまった夜の中、
漸く少しだけ微笑む。
柔らかくとも表情を見せようとせず、静かに。
スポンサーサイト

2012.02.03