林檎に牙を:全5種類
「膝枕してくんない?」

其の日、カルロが連れ込み宿を訪ねた時にバノックは居なかった。
適当に長椅子で寛いでいると暫くして主は帰って来た。
唐突な欲求を突き付け、神妙な顔で。

「どうぞ、暇ですし。」

断る理由も特に無いだろう。
既に日常の一部となったお茶の時間、今日は『いつもの』ではないようだ。


「はぁー……」
「それで?」

目を瞑って溜息一つ、心地良さからではなく嘆き。
スーツの脚に頭を乗せ、可愛らしく結った赤毛が濃紺に散る。
椅子は長身のバノックが寝そべられる程は大きくないので、膝を立てても少し小さい。
カルロの腰掛けている側と反対側で窮屈そうにしている足の爪先。
問い掛けから充分時間を置いて、漸く重い口を開いた。

「……友達だと思ってた女の子と縁切ってきた、今。」

バノックの様子から察しはついていたが、やはり穏やかな話ではないようだ。
赤毛が乱れるのも構わず向きを変える顔。
開かれた瞼の下、不機嫌な柘榴石の瞳と視線がぶつかる。

「何か、されたんですか?」
「誘われたんだよ、恋人とご無沙汰で寂しいからって。
 しかも……ヤラないか、じゃなくてヤってあげても良いよ、だったの。」
「随分と上から目線ですねぇ……」
「その子さぁ、俺がその子の事を好きだって勘違いしてたんだよ。
 当て馬にする気だったのは腹立つし、ずっとそんな目で見られたかと思うと悲しい。」

苦々しい言葉に、カルロも流石に眉根を寄せた。
バノック特有の社交術は相手によっては羽のように軽く見られる。
こうして『都合の良い人』と認識される事も、稀に。

「ええ……僕がバノックさんの立場でも同じ気持ちになったと思います。」
「冗談じゃねぇよー、俺は既婚者だっつの。」
「おや、バノックさんが結婚してるのもご存じなかったんですか?」
「そうそう、ハニーハニーって結構言ってつもりだったけど聞いてなかったらしいよ?」

人、特に女は、自分の事が可愛くて可愛くて堪らない。
故に、其の自分は他人に愛されて当たり前だと思っているのだ。
自分を好きになれない者が他人に好かれる筈が無いのは道理。
だが、可愛いだけでも足りない。
そもそも一人の女しか見ていない男が、他の女が目に入る訳が無い。

「ラブストーリーに一味スパイスが欲しかったんでしょうね、きっと。」
「それが俺?うっわー迷惑、ちょー迷惑。」

話題に上がった元・女友達とやらも恋人との仲もきっと長くはない。
自ら隙間を広げるような真似をしておいて、ヒロインの立場に酔っているだけ。
あわよくば、二人の男から求愛される筋書きにも憧れていたのだろう。
他所でやってくれよ、
其の舞台に立たされるのは勘弁してくれ。


「でも、この手の話なら奥さんに寄り掛かれば良いじゃないですか?」
「やーだ!惚れた女の前ではタフでカッコイイ男でいたいのー!」
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2012.01.28